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連載

逸木 裕「空想クラブ」 vol.19

【連載小説】「これが、郷原だ」それは以前、河原に現れた男だった。少女の死の真相は? 青春ミステリの最新型! 逸木裕「空想クラブ」#19

逸木 裕「空想クラブ」

※本記事は連載小説です。

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〈ハンター〉の目だった。
 好奇心を燃やして、興味の対象を見極めようとする目。何かを見つめる。その何かを通して、その先にある真理を見ようとする。できれば、その先も、さらに先も……。遠くへ遠くへ、何かを見通そうとする、射程の長い目。
 月を見ている真夜は嬉しそうに口元をゆるめたり大きく開けたりしているけれど、その目だけは獲物を狙う狙撃手のように動かない。懐かしい。空想クラブにいたころ、ぼくはあの目で毎日見られていた。
「今日は、地球照が綺麗に見えるね」
「地球照?」
「月が地球を照らしているように、地球も月を照らしてる。地球の光が、月の欠けてる部分にあたってぼんやりと影みたいに見えるのが、地球照だよ」
 ぼくは月を見上げた。
 紺から黒に移りつつある空の中、三日月より少し太いくらいの月が浮かんでいる。その欠けて影になっているはずの部分が、薄暗く浮かび上がって見える。
「本当だ。いままで、あんなのが見えるなんて知らなかった」
「地球照は太陽の位置によって出たり出なかったりする。今日は、かなり綺麗に見えるほうだね。月の大地から地球を見ると、満月の七十倍も明るいらしいよ。月には照明がないし、真っ黒な空に青い地球が浮かび上がるのは、綺麗だろうなあ」
 真夜は望遠鏡を覗いたまま続ける。
「私、地球照を見るの、好き」
「そうなの? なんか地味な気もするけど」
「判ってないな。普段はなかなか見えないものが見える、そのお得感がいいんだよ」
 何気ない感想に、心の奥がすっと冷える。
 月は、ぼんやりと欠けた部分を含め、あいまいな輪郭で円を描いている。普段はなかなか見えないものが、今日はたまたま見えている。
 ──真夜と、同じように。
 心の奥で溶ける氷の正体。それは、恐怖だった。
 真夜はいつか、ここからいなくなってしまうんじゃないか。
 さっきの、真夜のいない河原を思いだす。取り乱してパニックになった激情は、まだ心の底に残っている。
〈子供〉の安否が判ったら、真夜は自分をこの場所に縛っている〈引力〉から解き放たれると言った。世界のどこにでも行くことができるようになって、〈空想次元〉の中で自由に生活ができるようになる。多くの人がそうやっていると。
 でも、真夜が消えてしまったら?
〈子供〉を見つけることで、真夜が今度こそ死んでしまったら?
 動悸が激しくなる。その可能性には気づいていた。それなのに、ずっと無視し続けていた。真夜が消えてしまう可能性だって、普通にあるのだ。だってこんな現象、誰も説明できないんだから。
 それでもぼくは、調査を続けるべきなんだろうか。
 真夜を殺す可能性がある、調査を──。
 ──馬鹿。
 選択肢なんかない。〈子供〉を見つけなければ、真夜はずっとこの河原に縛られ続けるしかない。そんなの、真夜にとっては地獄よりもつらいだろう。
「吉見、どうしたんだよ。怖い顔してるぞ」
 ぼくは、圭一郎の手を見た。
 ギプスがぐるぐるに巻かれたその手は、もうすぐ治る。似顔絵が出来上がったのなら、停滞している調査も進展して、いずれ例の〈子供〉も見つかるかもしれない。
 彼の手が、恐ろしいもののように思えた。その右手から生みだされる絵を、ぼくは好きだったはずなのに。
「おーい!」
 そのとき、土手のほうから声が聞こえた。
 見ると、黒いジャージを着た隼人が、手を振りながら走ってきていた。
「隼人、今日、サッカー部の遠征じゃなかったの?」
「もう終わった。今日は大会のくじ引きだけだったからさ。それより、変なことが判ったから、飛んできた」
「変なことって?」
「証言が出たんだ。あの夜の」
 えっと声を上げそうになった。真夜と圭一郎も、驚いている。
「今日はトーナメントのくじ引きでさ、この辺の中学のやつらがたくさん集まってたから、顔見知りを捕まえてあの夜のことを聞いてみたんだよ。そしたらそのうちのひとりが、言いだしたんだ。あの夜サイクリングロードを走ってて、〈助けて〉って声を聞いたって」
 助けて。真夜のときと同じだ。
「その子は、〈子供〉は見なかったの?」
「ああ、気味が悪くて通り過ぎただけだって。問題なのは、そこじゃない。真夜は、何時に声を聞いたんだっけ?」
「夜の九時ぐらい、かな……。塾が終わるのが八時半だから、間違いないと思う」
 真夜の言葉をそのまま伝えると、隼人は深刻な表情になった。
「夜の八時だ、って言ってた。そいつが声を聞いたの」
「八時……?」真夜はいぶかしむように呟く。
「つまり、その〈子供〉は一時間近く川に入っていたことになる。どうしてこんな長い時間、川にいた?」
「そりゃ、出たり入ったりしてたんじゃないのか」圭一郎が口を挟む。
「隼人の推理だと、その〈子供〉はいじめに遭ってたんだろ? なら、時間を置いて、何度も同じいじめを繰り返し受けていた。別に変じゃない」
「変だよ。小学生がやるにしては陰湿すぎる。ガキだけでそんなことするか?」
「虐待──」
 真夜が、青ざめた表情で呟いた。隼人も同じ可能性を考えていたのか、真夜の言葉を伝えると同意するように頷く。
「道理で、聞き込んでも話が出てこないわけだよ。虐待なら、いじめより格段に情報が表に出てこないだろうし」
「大人が関わってるのなら、この辺を聞き込んでも見つからない理由も判るね。車で遠くからつれてきて、河原で虐待をしてたのかもしれない」
「ちょっといい?」
 圭一郎が間に入るように声を上げる。
「最初に話を聞いたときから思ってたんだけど、なんでその子は、叫んでたんだ?」
「どういうことだ?」
「だって、普通黙らせるだろ。大声で叫ばれたら誰かに見つかるかもしれないし、実際に真夜や隼人の友達は気づいた。見つかる危険性があるのに、なんで好き放題叫ばせてた?」
「それは……確かにそうだな」
「そもそも虐待なんか、こんな外でやるか? 見つかったら厄介なことになるだろ。それに……」
 圭一郎は不意に口を閉じた。彼の言いたいことは伝わった。虐待だからといって、そこまでするだろうか。十一月の川に子供を放り込んだりしたら、死んでしまいかねない。
 真夜のように。
「最初は、あの子は川で溺れてたんだって、思ってた」
 真夜が、整理するように呟いた。ぼくはそれをふたりに伝える。
「でも、調べてみるとおかしなことが多かった。夜にひとりで川に入ってた理由も判らないし、浅瀬で溺れていたこともよく判らない。本当に浅瀬で溺れるくらいにひどい状態だったなら助からなかったはずなのに、子供が亡くなったって話はないし、万が一助かったとしても、子供がそのあと名乗り出たという話もない」
「その通りだ」
「あの〈子供〉がいじめられていたか、虐待されていたんだとしたら、川に入っていた理由は判る。でも、小学生のいじめにしては陰湿すぎる。こんな場所で虐待をしていたことも変だし、子供を黙らせてないことも変……」
「何か、仮説はあるの?」
 真夜は首を横に振った。彼女でも判らないことがぼくに判るわけはないけれど、ただ、何かパズルのピースがまっていないことだけは判る。
「やっぱり、直接見つけたほうが早いんじゃね」
 隼人がまとめるように言う。
「親父のルートで圭一郎の似顔絵をばら撒けば、多少離れたところに住んでても見つけられると思う。本人がそれを見て名乗り出てくるかもしれないしな。圭一郎、酸素カプセルに入れよ。少しでも早く治せ」
「……隼人が料金持ってくれるならいいけど、小遣い千円だっただろ、確か」
「小六から俺の情報がアップデートされてないな。いまは三千円まで上がった」
 どっちにしても無理だろと圭一郎がため息をつく。なんてことのないやりとりに、張り詰めていた空気が少し和らいだ。
「あともうひとつ、全然別件なんだけど──涼子は、やっぱり郷原と一緒にいるみたいだぜ」
 その名前が出た瞬間、真夜の顔がこわばった。
 涼子は変な人間とつるんでいて、こっちに戻ってきてくれそうにない。真夜にはすでにそう伝えてあって、そのときの彼女は落胆の色を隠せなかった。
 ぼくの反応を通じて真夜がどんな顔をしているのか判ったのか、隼人は気まずそうな表情になる。でも、いまさら話を引っ込めるわけにはいかない。
「偶然、エノルメで見かけたんだ。涼子が郷原たちと一緒に歩いてるとこを」
 エノルメというのは、笹倉市の中心にある巨大なショッピングモールだ。イタリア語で「巨大な」という意味で、映画館やスーパーや飲食店がいくつも入り、ぼくたちの生活を支えている。
「その話、本当だったんだね」真夜が、ぽつりと呟いた。
「涼子が、その人たちと一緒にいるのは、なんとなく知ってた」
「郷原さんのことは、知ってるの?」
「名前だけは聞いたことがある。西にし中とも昔、揉めごとを起こしたことがあるって。涼子がどこでそんな人と知りあったのかは、よく判らないけど」
 この前駅で会ったときの感じだと、呼べばきてくれる程度に近い関係ではあるらしい。
「涼子と一緒に、てんのう星を見たんだよね……」
 真夜が、望遠鏡を撫でるように、手を動かす。
「望遠鏡で何かを見るって、実は結構センスがいるんだ。私ってどんくさくて全然駄目なんだけど、涼子は上手だった。天王星みたいな暗い星を、何分かでパパッと導入することができた。暗い空に、青いサファイアの玉が浮かんでるみたいで、綺麗だったな」
 隼人と圭一郎には聞こえていないのに、真夜が独白をしていることは伝わっているみたいだ。沈黙の中、真夜は続ける。
「涼子に前、望遠鏡を買ってあげようか? って聞かれたの」
「え、なんで?」
「私が持っていたやつが古かったからかな。ビクセンの、自動導入機能がついた性能のいいやつを買ってあげるって、涼子は言ってきた。でもそんな高いものを買わせるのは悪いから、私、断ったの。それがよくなかったのかもしれない」
「いや、断るでしょ普通」
「でも涼子は、なんで断るのって顔をしてた。それから、涼子は連絡してくれなくなった」
 真夜は軽くため息をつく。
「連絡が途絶える前、涼子はちょっと変になってた。何度か、ものを買ってあげようかってやりとりがあったんだ。涼子は私に、もっと素直に甘えてほしかったのかもしれないね……」
「涼子のお父さんたちのことは、知ってる?」
「うん。もしかしたら、涼子が不安定になってたのは、それが原因かもしれない。あの子が家を出た時期と、かぶってるから」
 私が涼子と上手くやれてたら、不良グループに入ったりはしなかったのかな──。真夜は独り言のように言って、黙ってしまう。
 小学生のころの涼子は、ものを買ってあげようかなんて言ってくる子じゃなかった。やはり、家庭内のトラブルがきっかけで、精神状態が不安定になっていたのだろうか。
 でも真夜は、友達に高価なものを買ってもらって喜ぶ人間じゃない。淳子がいくらあげたがっていても、無駄な願いだっただろう。
 となると、ふたりのきずなが壊れてしまったのは、避けられない定めだったのだろうか。姉妹のように仲がよかったふたりの姿を思いだして、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
「見るか? 隠し撮り」
 会話が終わったと判断したのか、隼人がスマホを差しだしてくる。
 そこには、涼子とレナの後ろ姿が写っていた。ふたりは並んで歩いていて、楽しそうに笑いあっている。
 涼子はやはり、昔とは別人だ。空想クラブにいたころのような健康的な快活さはなくて、レナが乗り移ったように下品な笑顔をしている。ふたりは恐れるものなど何もないように、ショッピングモールを我がもの顔でかつしている。
 ぼくは画面をスワイプした。隼人は何枚か写真を撮ってきてくれたようで、涼子とレナが一緒に写っているものが続く。
 その一枚にきたところで、ぼくの指先が止まった。
「こいつが、郷原だ」
 隼人が耳打ちしてくれる。
 面長で、背の高い男性が写っていた。肩幅が広く、ジャージを着ている背中が壁のように大きい。きやしやな涼子と同じ写真に収まっていると、野生の熊のように大きく感じる。
 真夜がスマホを覗き込んでいる。ぼくたちの目が、思わず合った。
「この人……」
 真夜の声に、ぼくは頷く。
 前に、河原で見た男だった。
 真夜が転落した河原のあたりを、何かを調べるみたいにうろうろと歩いていた男性だ。その姿を、真夜が奇妙なダンスを踊るみたいにして観察していた。彼が、郷原だったのか。
「たまたま、かな?」
 真夜は首をかしげている。真夜が死んで以来、花を手向けたり、野次馬のように現場にきたりする人は何人かいたらしい。郷原がここにきたのも、たまたまなのだろうか。だが真夜は、あそこまで執拗に現場を調べている人は珍しいと言っていた。
「どうしたんだよ、駿」
 隼人の声は、不安をかき立てるように響いた。

#20(後編)へつづく
◎前編の全文は「カドブンノベル」2020年8月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年8月号

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