【連載小説】「真夜は、涼子に会いたがってるよ」駿は涼子を河原に誘う。少女の死の真相は? 青春ミステリの最新型! 逸木裕「空想クラブ」#20
逸木 裕「空想クラブ」

※本記事は連載小説です。
前編のあらすじ
吉見駿は空想好きな中学生。祖父から受け継いだ「力」で、見たい風景を「見る」ことができる。親友・真夜の葬儀の帰り道、駿は河川敷で幽霊となった彼女に再会する。川で溺死した真夜は、死の瞬間の謎のためにそこに捕らわれてしまったという。自分だけが真夜の姿を見ることができると知った駿は、仲間と共に彼女の死の真相を探っていく。やがて町の不良・郷原の関わりが見えてくるが……。
第四章 昔の空
1
「なんで
翌日の放課後。ぼくは職員室の奥にある相談室で、二年B組の担任、
相談室は狭くて暗く、椅子とテーブルだけでもう一杯だ。先生がテーブルの上にレモンティーのカップを置いてくれると、お茶の膨らみのある匂いと、レモンの
郷原のことを知りたい。ぼくのクラスの
剣道部の顧問である岡本先生は、男性みたいなぶっきらぼうな話しかたをする。この口調を怖がる人もいるけれど、ぼくは好きだった。余計なものが
「小学校のころ、
ぼくは話しだした。
「その子が、最近郷原さんのグループにいるらしくて。郷原さんって、怖い人だって聞いたから、心配してるんです」
「早乙女って、駅の近くにある大きな家の?」
「はい、この辺の地主の、です」
岡本先生の顔つきが、みるみるうちに曇っていく。湯気の立っているレモンティーを口に入れると、砂糖がほとんど入っていないのか、苦くて酸っぱい。
「率直に言うぞ。郷原には、関わらないほうがいい」
岡本先生は、内緒話をするように身を乗りだした。
「いまから忠告するために色々話すけど、これ、外で言わないって約束できる?」
「はい。できます」
「郷原は
学校から見た駅の反対側、パブや風俗店が密集しているエリアのことだろう。夜にそのあたりに行くと、怖い感じの大人や外国人がたむろしていて、こちらを侮った態度で声をかけてくる。
「いまは寂れてるが、昔のあの辺は大きな歓楽街だったんだよ。十五年くらい前に浄化作戦があって、違法な店が
「郷原さんも、そういう人たちとつながってたんですか」
「もっとひどいかもしれない。そういうやつらと
傷害。普段、身の回りではまず耳にしない単語だ。
「郷原は、家庭環境が悪かった。父親がチンピラみたいな男でね、学校にもたまに怒鳴り込んでくることがあって、暴力的な影響をもろに受けてたんだろうな。在校中に二回人を殴って、そのときは捕まりはしなかったが、二年前くらいにさっき言った傷害事件を起こして、逮捕されて保護観察処分になったと聞いた」
「保護観察処分……」
聞くと、少年院に行かない代わりに、保護司と定期的に面会をして、指導を受けるというものらしい。いまの東中にはそんな凶暴な人はいないので、遠い国のことを聞かされている気がする。
「そのあとは話を聞いてなかったんだが、去年くらいかな。また逮捕されて、今度こそ少年院に行ったって話が流れてきた」
「また、傷害ですか」
「特殊詐欺の受け子だよ」
また、聞き慣れない単語が出てきた。
岡本先生が説明してくれたところによると、詐欺グループが被害者を
郷原は
「考えてみたらあいつ、金のトラブルが多かった気がするんだよな」
思いだしたように言う。
「さっきも言ったように、あいつは家庭環境が悪くて、金に困ってる節があった。卒業したあとは変な商売をしてるって噂もあったしな。最近はすっかり話も聞かなくなっていたんだが……
岡本先生は腕を組み、考え込むように一点を見つめる。
想像していたよりも、危ない人間みたいだ。涼子は、どこでそんな人と知りあったのだろう。そもそも、あの涼子と、話が合うのだろうか。
それは自分で調べないといけない。ぼくが岡本先生に聞きたいことは、別にあった。
「郷原さんって、どういう家族構成なんですか」
「家族?」
「はい。弟とか妹とかはいるのかなって思って」
「なんでそんなこと聞く?」
例えば郷原に妹がいて、あの夜、虐待を加えていたのが郷原本人なら、〈子供〉に行きあたることができる。もし写真が手に入れられれば、
もちろん、それをそのまま言うわけにはいかない。「ちょっと気になるだけです」と
「どうだったかな。年の離れたきょうだいが、いた気がするけど」
「それは弟ですか、妹ですか」
「判らない。うちにも入ってきてないしな。さすがに住所とかまでは教えられないぞ」
岡本先生から聞きだせれば話が早かったけれど、仕方がない。別の方法で探るしかないだろう。
「吉見。私の言うこと聞いてた?」
「はい」
「教師がこんなことを言ってはいけないんだろうが、お前みたいな真面目な人間が、ああいう連中に近づくな。約束しろ」
岡本先生は、すっと手を差しだす。ぼくは反射的にその手を握った。竹刀を振りこんでいる握力で、痛いくらいに僕の手を握り返してくる。
「世の中には近づかないほうがいいものだってある。お前の年くらいになれば判るだろ?」
──でも。
〈涼子と一緒に、天王星を見たんだよね……〉
思い出を慈しむ真夜の声が、ぼくの耳元で鳴った。
「たぶん、このレナってやつが、涼子を郷原のグループに誘ったんだよ」
ぼくたちは路上にいた。隼人が、スマホの画面を見せながら言う。
「レナの父親は庭師をやってて、早乙女家の庭の手入れをしてたらしい。どうも、そこで知りあったっぽいな」
隼人は父親のネットワークをたどって、涼子の情報を仕入れてくれていた。隼人の父親とレナの父親とは顔見知りらしく、特にレナ周りの情報が細かい。
涼子の両親は、ちょうど一年前に離婚をしたらしい。涼子は母方に引き取られ、いまは父親の家からは出ている。
レナのフルネームは
親が離婚をしたことで、涼子は同じ境遇だったレナと色々話すようになった。そして郷原のグループに引っ張られ、彼らと交流を持つようになった──確かにこれなら、お嬢様の涼子が、郷原たちとつきあっていることにも説明がつく。
「それで、どうするつもりだ」
隼人の口から、白い息が漏れる。
ぼくたちは、
「〈子供〉を虐待していたのが郷原だって、本気で思ってるのか?」
「郷原さんが河原で何かを調べてたのは、間違いない」
「あそこには野次馬が何人もきてる。あいつもそのひとりってだけだろ」
「真夜が言うには、郷原さんは特に
「
親身な警告だった。彼に従うのが正しいのも、判ってる。でも。
「それとも、郷原のことを調べるのは口実で、涼子に戻ってきてもらいたいだけか?」
隼人はぼくの気持ちを、正確に
〈涼子は私に、もっと素直に甘えてほしかったのかも……〉
ぼくの脳裏には、真夜の苦しげな声があった。
調査を進めたいのは本当だ。それと同時に、ぼくは涼子と真夜を、なんとか仲直りさせられないかと思っていた。真夜のために、ひとつでも多くの何かをしてあげたいからだ。
いや、たぶん、それだけじゃない。
空想クラブのメンバーでもう一度集まりたい。そういういうエゴも、たぶんある。
「涼子はそれ、望んでないかもしれないぜ」
「でも、ふたりがおかしくなったのは、ほんのボタンの掛け違いな気もするんだ」
「だとしても、人の仲が修復するには時間がかかる。周りがあれこれ動くのはよくないぞ」
「真夜にはその時間はないかもしれないんだ」
隼人は黙り、少し怖い目つきでぼくを見た。ぼくがやろうとしていることは、涼子にとっては、ただの迷惑なのだろうか。
「何か、嫌な予感がするんだよな」
隼人が、おもむろに
「エノルメで見たときも思ったんだけど、涼子と郷原だろ。組み合わせ的に、危ないよな」
「危ないってどういうこと?」
「……きたぜ」
話が途切れた。出口に目を向けると、黒いダッフルコートを着た涼子が階段を下りてきたところだった。隼人が一瞬ぼくを見て、覚悟を決めたみたいに軽く頷いた。
「涼子」
隼人が歩み寄って声をかける。ぼくたちを見つけた瞬間から、涼子は不愉快そうな表情になっていた。
「久しぶりだな。真夜の告別式のときには会えなかったけど、覚えてるか?
涼子は舌打ちだけをして歩き去ろうとする。その行く先に、隼人が回り込む。
「ちょっとでいい。話がある」
「お前、何考えてんの? そこどけよ」
「なんだよその話しかた。似合わねえからやめろよ。お前はそんなキャラじゃないだろ」
「うぜえよ」
吐き捨てて
涼子は大げさにため息をつき、
「郷原に連絡、か?」
涼子の手が、ぴくりと止まった。
「別に連絡すりゃいいし、なんならここにきてもらえばいい。先輩なんだから、
「調子乗んなよ。郷原さんがキレたら、どうなるか判らないよ」
実際に連絡されたら逃げることに決めていたけれど、隼人は虚勢を張っている。
「涼子」ぼくは口を挟んだ。
「郷原さんが、真夜の死んだ現場を調べにきてるんだよ」
「は?」
「それも、かなり執拗にね。何か郷原さんから聞いてない? 河原に行ったとか、そんな話を」
「いきなり、何? 現場に郷原さんがきたからって、なんなの?」
「真夜の死は、ただの事故じゃなかったんだ。あの夜、真夜は子供が
涼子がどんどん気味の悪いものを見る顔になっていく。駄目だ。いきなりこんな話をしても、伝わるはずがない。
「真夜は、お前に会いたがってるぜ」
隼人が、話を変えてくれた。涼子の
「お前、真夜と一緒に天王星を見たんだろ?」
「なんでその話を……?」
「真夜から聞いた。望遠鏡の使いかたが
頷いて、懇願するように両手を軽く合わせた。
「とりあえず、話だけでも聞いてくれないかな。色々話したいことがあるんだ。頼むよ、涼子」
手を解くと、険しかった涼子の表情が、少し和らいでいた。
「……前にも言ってたよね、真夜が生きてるとかなんとか」
「そうだよ」隼人が再び、会話を引き取っていく。
「お前だって、
「小瀬くんにも見えてるの? 真夜の姿は」
「残念ながら、見えてない。でも、そうとでも考えないと説明がつかないんだ。真夜しか知らないことを駿が知ってたり、俺たちだけじゃ到底解決できない謎を駿が解いたり。こいつには、間違いなく見えてる。俺が保証する」
隼人が強く言うと、涼子は長い髪の先を、くるくると巻くようにいじりはじめる。
涼子のこの仕草は、見たことがあった。気持ちにさざなみが立ち、落ち着けようとするときにやっていた行為だ。コンクリートの壁を植物が突き破るように、涼子の迷いが、ぶっきらぼうな仮面の割れ目から出てきている。
「ぼくが仲介するよ。色々あって会いづらくなっちゃったのかもしれないけど、涼子だって、真夜に会いたいだろ?」
涼子はくるくると巻いていた髪の先を、ピンと指で
「その河原って、真夜が落ちたところ?」
「うん。
涼子は、覚悟したみたいに頷いた。
「つれてって」
▶#21へつづく
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