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連載

逸木 裕「空想クラブ」 vol.35

【連載小説】真実を隠すことに決めた5人。しかしそこに現れたのは、郷原だった。 少女の死の真相は? 青春ミステリの最新型! 逸木裕「空想クラブ」#35

逸木 裕「空想クラブ」

※本記事は連載小説です。

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 冷たくて黒いものは、膨らみ続けてほとんどぼくと同じになっていた。ぼくは──もしくは、ぼくを満たしたそれは、公輝をじっと睨み続けた。
「あのさあ」
 無表情だった公輝が、へらへらと笑いだす。
「だからなんなわけ?」
 人を小馬鹿にしたような表情が、戻っていた。
「さっきから何を言ってんの? 全部お前の想像じゃん?」
「郷原さんに聞いてみようか? 彼が川崎さんを暴行したのはそれが理由だろ? 自分の弟を、そんなふざけたことに巻き込んだことが」
「聞けばいいだろ。川崎も家にいるから、住所教えてやろうか? もう帰れよ。そのスプレーも、売り場に戻しといて」
「真夜は、死んだんだよ!」
 涼子が叫ぶように言った。
「あんたたちがふざけ半分でやったことで、ひとりの子が死んだんだ。お前、なんとも思わないのかよ!」
「ああ、涼子の友達だったの? そりゃ悪かったね」
 公輝はカウンターにほおづえをつく。
「じゃあどうすりゃいいの? 俺が死ねば許してくれる?」
 涼子はあつに取られたみたいに、口を半開きにしている。
「警察にジシュしても、何の罪にもならないって川崎は言ってたよ。運の悪い事故でしょ? だって突っ込んできて川に落ちちゃうなんて、こっちも考えてないもん」
「クズ。自分が何言ってんのか判ってんのかよ」
「ああ、俺はクズだよ。でも、涼子も俺のことなんか判んないだろ? 大金持ちの家に生まれて、ちょっと親が喧嘩したくらいでグレちゃって、ワルの真似をしてたあんたにはさ」
 涼子がされる。公輝は、疲れたように、ため息をついた。
「生まれたときから家族がクズで、この先もどうせクズみたいな一生を送って死ぬだけの俺の気持ちなんか、あんたに判んないだろ? あんたはいいよな。ちょっとグレてたって、どうせ最後は親が助けてくれるんだ」
「お前にも……郷原さんがいるんじゃないのかよ」
「犯罪ばっかやってて、最後は年下のあんたに金をたかってた兄貴がいるからなんなの? 俺が何やって稼ごうが、兄貴に文句言われたくないよな」
 公輝は袖の上から右手の傷を撫でて、笑った。
「死んだあの子、将来有望だったんだってね。それ聞いて、笑ったなー。クズの遊びに巻き込まれて、優等生が死んじゃったんでしょ? しかも俺は無実だよ。すっげえ面白くない?」
 涼子は、泣いていた。スプレー缶を力なくぶら下げて、声を殺して、ただ涙を流し続けていた。透明な血に、見えた。
 ぼくは──。
「やるつもり?」
 公輝が嬉しそうな顔になった。
 ぼくは、サバイバルナイフを手にしていた。
 いや、ぼくじゃない。ナイフを手にしているのは、冷たくて黒いものだった。
「吉見くん」
 涼子が呟く。止めているのか、そのまま刺していいよと言いたいのか、どっちだろう。
 判る必要はない。だって、ナイフを持っているのは、ぼくじゃないんだから。
 一歩足を踏みだす。公輝は怖がる様子もなく、プレゼントを欲しがる子供みたいな表情になった。この子は、残酷なものに触れているときのほうが、子供っぽい表情になる。
 ナイフを、胸に当てて心臓まで押し込めばいい。冷たくて黒いものが、使いかたを判っている。
 すべてが静止した。止まった時間の中、ナイフの切っ先だけが空間を進んでいる。
 それが、公輝の胸に触れた。桃に刃先を当てるような、柔らかい感触が伝わってきた。
 目が合った。死を歓迎しているような、その目と──。
 甘い、匂いがした。
『マンドラゴラ』に満ちている、人工的な匂いじゃない。
 それは、フルーツのような、花のような匂いだった。
 宮古島の、ヤギだ。
 ぼくの脳裏に、彼らのことがフラッシュバックした。自らの死を受け入れるみたいに、諦めとユーモアを帯びた彼らの目を。彼らの底にあった諦めが、公輝の目の中にもあった。
〈空想次元〉は、匂いは運べない。この香りは、ぼくの純粋な、空想だ。
「行こう」
 ナイフを床に投げ捨てて、ぼくは振り向いた。「なんだよ、びびっちゃったの?」公輝のに背を向けて、『マンドラゴラ』を出た。
 外は曇りだった。この星が表現できる一番重い空という感じの灰色で鈍重な雲が、一面にかかっている。
「──吉見くん」
 背後から抱きつかれた。長身の涼子は、ぼくの頭を包み込むみたいに腕を絡めてくる。
 ぼくの頭の上で、涼子が泣いていた。
 ぼたぼたと、血のような涙が頭の上に落ちてくる。涼子の身体も、その涙も、温かかった。
 自分たちは、体温を持っている。真夜が永遠に持つことのない体温を。
 冷たいものになりたいと思った。真夜と同じ、冷たいものに。
 願っても無駄だった。涼子の涙は温かくて、冷たくて黒いものは、蒸発するみたいに、ぼくの中から消えていた。

「いいか、このことは真夜には秘密だ」
 翌日の昼すぎ。隼人の言葉に、ぼくたち三人は頷いた。もう一回まとめるぞ、と隼人は言った。
「圭一郎は似顔絵を描く。これは、真夜に言われた通りに、そっくりに描けばいい」
「了解」
 ギプスが取れた圭一郎の手は、長い間日光にさらされていなかったせいで青白い。
「似顔絵ができたあと、俺たちは絵に似てる子供を探してつれてくる。その子に話を吹き込んだ上で、真夜のところに連れていって、感謝の言葉を言わせる。どういう話を作るかは、真夜のことをよく知ってる涼子の担当」
「判ってる」
「真夜とのやりとりは、引き続き駿の担当。この計画の発案者は、俺だ。四人全員で、真夜をだます。いいな?」
 隼人を中心に、ぼくたちは頷きあった。
 話を聞いた隼人の決断は、早かった。真夜には、真相は絶対に言わない。公輝があの夜変装していたのなら、もし真夜が彼を見かけたとしても、記憶の少女とは一致しない。俺たちは似顔絵と似ている女の子を探しだして、真夜に助けてもらったというストーリーを吹き込んで河原につれていく。
 俺たちは、共犯者だ。
 だから全員に役割を作る、と隼人は言った。全員で協力して真夜を騙すことで、裏切り者が出ないようにすると。そんなことをすぐに思いつけるところに、ぼくは隼人の確かなリーダーシップを感じた。
「お前ら、表情が硬い」
 ぼくたちを覗き込みながら、隼人が言う。
「そんなんじゃ勘のいい真夜に気づかれちまうぞ。全員、深呼吸。十六秒吸って、三十二秒かけて吐く」
 隼人が指を鳴らすのに合わせて、ぼくたちは何度かゆっくりと深呼吸する。
「笑え。表情筋を動かして、口角上げろ」
 その通りにする。
「よし、行くぞ。上手く取り繕えないなって思ったら、その場で体調悪いふりして帰るなり、真夜から見えないように顔を背けるなりしろ。似顔絵を描き終えたら、すぐに捜しにいくふりをして解散だ。いいな」
 全員で、もう一度頷きあった。
 ぼくたちは河原の近くまできていた。斜面を登り、土手から川を見下ろす。
 真夜が見えた。最初に会ったときのように、真夜はぴょんぴょんとはねて手を振っていた。「いいか、いつも通りな」隼人の声は、お手本みたいにいつも通りになっていた。
「待ってたよ、みんな」
「お待たせ」呟いた声が震えていないことに、ぼくは安心する。
「圭一郎のギプス、無事に取れたよ。でもしばらく描いてなかったから、下手になってるかもね」
「おい吉見、なめるなよ」
 圭一郎は手帳を開く。真夜が「わっ」と声を上げた。
 ギプスが取れると同時に描いたという、真夜の似顔絵だった。簡単な線しか描かれていないのに、真夜の好奇心に満ちた〈ハンター〉の目が上手く表現されていた。ただ、いまの真夜よりも少し幼い。小学生のころの真夜の印象が色濃く残っている。
「伊丹くん、前よりめちゃくちゃ上手くなってるじゃん。天才かよ」
「前より上手くなってるって、真夜が褒めてるよ」
「まだ本調子じゃない。こんなもんじゃないけど、ありがたく受け取っとく」
 圭一郎はムスッとした表情で言う。何度も見た、圭一郎の照れ隠しだ。よし、いまのところ、いい感じだ。自然な流れで、いつものぼくたちを演じられている。
「吉見くん」
 真夜が、少し思いつめたような口調で言った。
「ひとつ、報告があるんだ」
「報告?」
 想定していない単語に、思わず語尾が上がる。
「あのね、似顔絵なんだけど……やっぱり、描かなくていいや」
 えっ? とぼくは聞き返した。異常を察知して、圭一郎たちの間にも緊張が走る。
「似顔絵を描かなくていいって、どうして?」
「いや、あのね。〈子供〉は捜さないで、このままでもいいのかなって思ったんだ」
「なんで? どういう心境の変化?」
「そりゃ、前夜祭が楽しかったからだよ!」
 真夜はバッと両手を広げて、空を仰いだ。
「みんなと一緒に鎌倉を回れたし、小さいころの河原も味わえたし、流星群も見られたし。ここにいながらもあんな幸せな時間が味わえるんなら、なんかずっとこのままでもいいじゃんって思ったんだ」
「でも……ここから動けないのって、つらくない? 大体、ぼくが死んだらどうするんだよ」
「その前に、君の〈力〉を研究するんだよ」
 真夜はぼくの胸元に指を突きつける。
「今日から君の〈力〉を研究して、きちんと理論化する。君の〈力〉を、科学的に再現できるようにするんだ」
「そんなこと、できるの?」
「判らないけど、現象自体は確認できてるんだから、きっと再現できるはず。〈力〉を自在に使えるようになったら、私もそっちの世界のみんなと交信できる。どうして考えつかなかったんだろう。それが一番、私らしい解決方法だったのに。だから吉見くん、君は、絶対に死なないように気をつける!」
「気をつけるったって……」
「私、やっぱり、怖いんだ」
 真夜はじちようするみたいに笑う。
「あの〈子供〉が見つかって、ここから解放されたとしたら、今度こそ死んじゃうかもしれない。嵐の中でかくはんされて、何も考えられなくなる……それはやっぱり、怖いんだ」
「それは、当然だよ。怖いに決まってる」
「でしょ? なら、いまの状態をキープして、人類の可能性にけたほうがいいかなって思って。吉見くんと同じ〈力〉を持つ人だってほかにいるかもしれないし、研究に協力してくれる機関だってあるかもしれない。何十年かかるか判らないけど、きっとなんとかなるよ。それに、ここにいれば、本を読んだり映画を観たり、みんなとVRで出かけたりもできる。嵐の中にいるのとは全然違う。もちろん、みんなさえよければ、なんだけど」
「本当に、それでいいんだね?」
「うん。いいよ。決めたんだ」
 ぼくは、真夜との会話を三人に説明した。
 三人とも、嬉しがっていいのかよく判らないみたいだった。本当に、真夜がずっとこの河原に閉じ込められているのがいいことなのか、しっかり考えようとしている。全員が無邪気に喜ばないところに、ぼくはかえって、真夜への思いの強さを感じた。
「判ったよ」
 最初に口を開いたのは、涼子だった。
「それが真夜の望みなら、私は受け止める。もちろん、ずっとここにくるよ。何年でも、何十年でも。その研究にも、協力する。私が理系に進んでもいい」
 ありがとう。でも、涼子の人生を縛っちゃうことにならないかな。真夜がそう呟いている最中も、涼子は話し続ける。
「真夜のことだから、私を縛りつけちゃわないかとか心配してると思うけど、そんなの気にしなくていいから。私がやりたくてやるんだから。余計な心配は、しなくていいんだからね」
 話をかぶせられて、真夜は口を開けたまま黙ってしまった。ぼくと目を合わせ、ぷっと笑う。
「これからもよろしくね、吉見くん」
 何かが吹っ切れたように言う。再会してから、一番晴れやかな笑みだった。
 それを伝えると、みんな真夜の決断を受け入れたようだった。演じることをしなくとも、ぼくたちはいつも通りに戻ることができた。
 真夜のために本を開き、スマホで YouTube やSNSを見る。真夜が一日中考えたことをぼくが聞き取って、それをもとにみんなで議論する。みんなで大の字になって、空を眺める。
 常に五人一緒にいるわけじゃない。ぼくたちは気が向くままに、別の行動もした。隼人は「ちょっと走ってくる」と河川敷をランニングしだしたし、圭一郎は話の輪から外れておもむろにスケッチをはじめたりもした。涼子も、レジャールシートを敷いてイヤホンで音楽を聴きだす。真夜がそこに無理やり頭を近づけて、一緒にリズムを刻みだす。
 安定した、とぼくは思った。
 ビッグバンが起きて、膨大な量のエネルギーや元素が宇宙空間に撒き散らされた。
 超高温だった宇宙は次第に冷えて、何十億年もかけて形や法則が安定して、いまの形になった。
 ぼくたちも同じだ。ほかの人から見たら変かもしれないけれど、これがぼくたちの安定なんだ。
 この安定を、もっと確かなものにするんだ。ぼくの〈力〉の原理を解明して、真夜がこっちの次元の誰とでも交流が持てるようにする。そのときがくるまで、ぼくたちは真夜に会いにこの河原にくる。高校生になっても、大人になっても。
 小学生のころ、この光景を見るのが好きだった。
 集まったメンバーが、思い思いに楽しそうにたたずんでいる。誰かと話す子もいれば、ひとりで作業をする子もいる。くっついたり離れたり、そのときどきで柔軟に形を変えて、ときに全員で一致して同じことをやる。ぼくは、少し離れたところからみんなを見つめている。
 空想クラブ。
 この集団にその名前がついていることが、誇らしい。この中心にあるのがぼくの〈力〉だということが、嬉しかった。また集まれてよかった。これからも集まることができそうでよかった。いびつかもしれないけれど、ぼくたちは星座のように、ぼくたちの安定を作りだすことができたんだ──。
 ざっ。
 足音がした。
 ぼくの背後から、影が差した。
 いつの間にか、みんながぼくのほうを見ていた。くつろいでいた空気は消え、四人とも、緊張した表情をしていた。
 嫌な予感がした。誰かが、ぼくの背後に立っている。ぼくはゆっくりと、背後を振り返った。
「よう」
 そこに立っていたのは、郷原だった。

(この続きは発売中の単行本でお楽しみください)


書影

逸木裕『空想クラブ』(KADOKAWA)


逸木裕『空想クラブ』(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322002000892/


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