本書は、第36回横溝正史ミステリ大賞を受賞した『虹を待つ彼女』でデビューした逸木裕さんの三作目にあたる。恋愛小説(かつ失恋小説)の傑作でもあるデビュー作、ひりひりとした痛みを伴う青春小説でもある第二作『少女は夜を綴らない』、いずれも作者の確かな筆力と力量は高く評価されているが、本書もまた、そのことを裏付けている。
物語のプロローグで、愛している、私はこの子を愛している、と呪文のように自分に言い聞かせる母親と幼子、二人が登場する。娘は非嫡出子であるため、育児はワンオペで、それだけでも母親にとってはかなりの過負荷なのに、それに加えて、どうやらこの母娘の間ではコミュニケーションがうまくとれていないようだ。雨降りの日、水たまりに入らないように注意しても入ってしまう娘・藍葉に、ついに母親はキレてしまう。心無い言葉を投げつけ、足を止めず歩き続けるが、我に返って振り向いた先に、藍葉の姿はなかった。
それから十一年後。藍葉は高校を中退しウェブデザイナーのアルバイトをしている。高校を辞めようかな、と言う藍葉を、母親は止めなかった。それどころか「じゃあ私、出て行っていいかな」と。仕事は探してあげるし、アパートの家賃も自分が払ってあげる。お互いにとって、それがいいんじゃないかな、と。かくして、十七歳の藍葉は鐘ヶ淵にあるアパートで一人で暮らしている。
そんな藍葉の許を、サカキエージェンシーという調査業を営む会社で、探偵として働く森田みどりと名乗る女性が訪れる。育児休業中だというみどりは、依頼人から頼まれて、藍葉にあるものを届けにきたのだ。藍葉が手渡されたのは、分厚い封筒に入った現金百万円だった。
ここから、物語が回っていく。誰からのものか教えて欲しいと言う藍葉に、そもそも守秘義務があるので教えられないのだが、この依頼自体が代理人を通じてのものであり、代理人の向こうに誰がいるのかは知らない、と答えるみどり。
一旦は、お金の受け取りを留保するが、みどりと交わした会話に感じるところがあった藍葉は、帰ろうとするみどりを引き止めていた。「私、誘拐されたことがあるんです……」と。
本書を貫く謎は二つ。藍葉に百万円を贈ったのは誰なのか。そして、誘拐された藍葉の記憶に焼き付いている、〝色の記憶〟とは何なのか。その謎が明らかになるまでの過程が、この作者ならではの企みに満ちていて、ページを繰る手が止まらない。読み手の思惑をするするとかわしながら、物語は思いもかけない結末へとたどり着く。
ストーリー自体はもちろんなのだが、本書の魅力は藍葉とみどり、二人のキャラ造形だ。これが抜群にいい。とりわけ、いわゆる〝空気が読めない〟藍葉のことを、藍葉の〝瑕〟としてではなく、〝個性〟として受け止めるみどりが素晴らしい。先天的に持っているセンスだけが個性なのではなく、後天的に積み重ねてきた技術とセンスを合わせたものが、情報の解釈となり、それこそが個性である、というみどりの言葉は、作者の逸木さんのメッセージでもあると思う。
みどりもみどりで、明晰な頭脳と相反するように、どこか危険に身をさらすことを、ぎりぎりの場に身を置くことを心の奥で希求していて、そのことが彼女のキャラに血を通わせている。よりチャーミングなものにしている。このあたり、本当に巧い。
飛び抜けた色彩感覚を持つ藍葉は、カメラマンとしての母親を凡庸だ、とどこか見下していたのだが、みどりとともに〝謎〟を追っていく過程で、母親に対する認識を変えていく。そしてそのことが、藍葉が抱えていた、自分と母親の間にある〝溝〟を埋めていくことになる、というのもいい。
読み終えて、思い至る。人間もまた、16進数のカラーコードのように、色とりどりであることと、そのグラデーションの無限さに。
紹介した書籍
関連書籍
-
試し読み
-
レビュー
-
連載
-
試し読み
-
連載