【連載小説】葬儀の帰り道、河川敷。そこに「真夜」がいた。少女の死の真相とは? 青春ミステリの最新型! 逸木裕「空想クラブ」#4
逸木 裕「空想クラブ」

※本記事は連載小説です。
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4
ぼくは、荒川沿いを歩いていた。
荒川は、
笹倉市は荒川と交差するように国道が走っていて、ぼくが通学に使っている
川沿いにはサイクリングロードが整備されていて、ママチャリを漕ぐ人たちの間を、たまにレーパンを
サイクリングロードから川岸までは、三十メートルくらいの距離がある。道と川に挟まれたエリアは野球場になっていたり、ただの芝生が広がっていたり、場所によってあるものが違う。川の反対側は高い土手になっていて、その奥にはここ何年かでできたマンションが建ち並んでいる。
〈真夜は、事故で死んだんじゃない。去年もう、なくなってたのに。噓なんだよ〉
涼子はどうしてあんなことを言ったんだろう?
真夜の遺体が見つかったのは、つい三日前だ。いまは十一月末、去年死んだとなると、最短でも一年くらい前の話になってしまう。
混乱して、全く関係ないことを呟いただけなんだろうか。でも〈事故で死んだんじゃない〉というのは、間違いなく真夜の話だ。どういうことなんだろう。
ぼくの横を、自転車に乗ったセーラー服の女子たちが通り過ぎる。真夜の通っていた、
どんな経緯があるかは判らないけれど、西中と東中は文化が全然違っていて、向こうは校則が厳しく、スカートの丈まで精査されるらしい。ぼくの通う東中は自由な校風で、恰好も私服だ。「俺も東中に行きたかったなあ」というのは、橋の反対側の子たちから聞く定番の台詞だった。
立て続けに、同じ制服の女子がぼくの脇を通り抜ける。真夜の告別式に出ていた子たちだろうか。土手の上にも道はあるのだが、大きな砂利が敷き詰められていてとても走りづらい。真夜が塾の通学に使っていたように、地元の自転車族はみんなこのサイクリングロードを使う。
遠ざかるセーラー服を見ながら、真夜の制服姿を見たことがあったかなと考えた。
街でたまたま出くわすことはあったけれど、中学に入ってからきちんと機会を作って会ったことはない。最近の真夜は、どんな人だったんだろう。
遺影を思いだした。望遠鏡を〈ハンター〉の目で覗き込んでいる、あの写真。
真夜が天体観測にハマっているとは、知らなかった。でも、いまから思えば、昔から、星座や惑星については詳しかった気がする。
ひとつの場面を思いだした。
あれは、小学校の修学旅行だった。旅行先はたまたま真夜の出身地である長野県で、
真夜はどれが何の星座か、どこに何の惑星が見えるかなどを、星座早見盤を見ながら解説してくれた。どんな話題であっても、真夜が好奇心のおもむくままに話すのを聞くのは、好きだった。真夜が天体に詳しいなんてそのとき初めて知ったのだけれど、いまから考えると、あの人並み外れた好奇心の持ち主が、宇宙という未知の世界に吸い寄せられていったのは必然なのかもしれない。
〈吉見くんって、何座?〉
ふと、真夜に聞かれた。おとめ座だよと答えると、ああと声を漏らした。
〈残念、隠れんぼの最中だ〉
〈隠れんぼ?〉
〈いまは九月、ちょうどおとめ座の誕生月でしょ? その月の誕生星座って、太陽の陰で隠れんぼしてるんだよ〉
真夜は解説してくれた。十二星座は、太陽が一年かけて通る「黄道」の軌道上にある。そして、当月の誕生星座は、ちょうど太陽と重なる位置にあり、昼に空に昇るため見えないのだと。
〈自分の星座って、大体自分の誕生月の三、四ヶ月前くらいが一番綺麗に見えるから、覚えておかないと忘れちゃうんだよね。昔の人も、不親切だよねえ。その星座が一番綺麗に見える月を、誕生星座の月にしてくれればよかったのに〉
そんなことは考えたこともなかったので、面白い見方だなと思った。隠れんぼという言いかたも、可愛らしくて好きだった。
──どうして、ぼくは真夜に、会おうとしなかったんだろう。
真夜に会おうと思えば、いつでも会えたはずなのに。たぶん、わざわざ連絡を取って「会おうよ」と言うのが、ちょっと恥ずかしかったのだ。だから、何か用事ができたら会えばいいやと、後回しにしていた。
でも、特別な用事なんかなくても、よかったじゃないか。真夜がいま何に興味を持っていて、何を考えているのか。それを聞くだけで、充分楽しかったはずなのに。
人が死ぬということが、こんなにも取り返しがつかないことだなんて。
もう真夜には永遠に会えない。マシンガンのように喋りまくる真夜の声を、もう一言も聞くことができない。
空を見上げると、夕方の空は、青の中に少し朱が差していてとても綺麗だった。それを見ていると、死にたいほどに気分が落ち込んでくる。真夜がこの空を見たら、喜んでいただろうからだ。
〈空想してごらん〉
宮おじぃーに、ささやかれた気がした。
サイクリングロードの途中に立つ、セーラー服を着た真夜の姿を思い浮かべた。最近の真夜は、どんな感じだったんだろう。中学二年生になった真夜は、どんな人になっていたのか。
でも、駄目だった。宮古島の空に描いていたような空想を、ぼくはずいぶん前からやっていない。何より、情報がない。最近の真夜はどんな背丈だったのか、まだボブだったのか、あの大きな眼鏡をかけていたのか、何も判らない。思い浮かべようとするほどに、真夜の姿が遠くなってしまう。
ため息をついた。さまようように、ぼくは歩きだす。
現実は、痛い。
現実はときに、考えもしない方向からぼくを攻撃してくる。大きな手で殴り、硬い石を投げつけ、刃物でえぐり、銃弾を撃ち込んでくる。
空想は、傷薬だった。幼稚園や小学校で嫌なことがあったり、父さんや母さんにこっぴどく怒られたりしたとき、ぼくは楽しいことを空想してやり過ごした。動物のことや昔の楽しかったことを考えていると、現実につけられた傷が癒えて、またそれに向かいあおうと思えたものだった。
──でも。
「いくらなんでも痛すぎるよなぁ、これはさ……」
おどけたように言っても、何も変わらない。皮肉な笑みを、ぼくはため息に変えた。
十七時のチャイムが響きはじめた。
市内に『蛍の光』が降り注ぐ。真夜が死んだと聞いてから、母さんはいつになくぼくに甘くなっているけれど、あまり遅くなるとさすがに怒られるだろう。
真夜に会いたい。真夜の姿を見たい。
放っておくと湧き上がる心の声を、ぼくは殺した。振り返り、遠くの笹倉大橋を見る。もう、国道の向こうに、帰る時間だ。
そのときだった。
よ──し──み──くん!
声が、聞こえた。
裏返る寸前の、叫びに近い声だった。広い屋外で遠くから大声を出されると、音が拡散して、倍音が死んだくぐもった音になる、そんな、遠い声。
よ──し──み──! よ・し・み・しゅん!
「真夜?」
思わず呟いていた。
幻聴に違いない。でも、それにしては、あまりにもはっきりと聞こえる。
周囲を見回した。サイクリングロード。河原。土手。どこからその声がしているのか判らない。
「真夜!」
叫びながら、周囲を見回す。よしみくん! 間違いない。ぼくを呼んでいる。
川を見たところで、ぼくはあっと叫んだ。
百メートルほど先、遠くの川の手前。一面の芝生の上で、飛びはねながら両手を挙げている小さな人影があった。
「よしみ────! こらっ! よしみくん!」
赤いパーカーとジーンズを着て、ぴょんぴょんと飛びはねている。
小学生のころよりも、背が少し伸びた。でも、髪型は変わっていない。ボブの髪が、ジャンプに合わせてバサバサと揺れている。
「真夜────っ!」
叫ぶと、人影は動きを止めた。気が抜けたのか、へなへなとその場に
信じられない。でも、間違いなかった。
そこに、真夜がいた。
▶#5へつづく
◎前編の全文は「カドブンノベル」2020年8月号でお楽しみいただけます!