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連載

逸木 裕「空想クラブ」 vol.3

【連載小説】〈真夜は、事故で死んだんじゃない〉少女の死の真相とは? 青春ミステリの最新型! 逸木裕「空想クラブ」#3

逸木 裕「空想クラブ」

※本記事は連載小説です。

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 告別式が行われている葬儀会場は、喪服と学生服を着た人たちで埋め尽くされていた。
 この空間だけ色という概念が失われてしまったみたいに、どこを見ても黒と白と肌色しか存在しない。死の世界にいるみたいだった。
 お焼香の長く延びた列に、処刑台に向かう囚人みたいな気持ちで並んでいる。周りに暗い顔をした人がいる中、同級生だからとりあえずきているといった子もたくさんいて、彼らが声を殺しながらはしゃいでいる様子を見ると思わず叫びそうになってしまう。
 果てしなく続く列を眺めながら、ぼくはぼんやりと、昔のことを思いだす──。

 真夜は、転校生だった。
 もともと長野県のまつもと市に住んでいて、大学で先生をやっているお父さんが東京の学校に移ることになった小学校三年生のとき、同じクラスになった。
 真夜との出会いは、衝撃的だった。あんなにも〈見る〉ことが好きな人を、ぼくは初めて知った。
 きっかけは、理科の実験だった。学校の池から水をんできてプレパラートに挟み、ミジンコが見つかるまで顕微鏡で見るというもので、あまり面白みのない授業だったのかみんな退屈そうにそれに取り組んでいた。
 真夜は、違った。
 池の中には、ほかにどんな微生物がいるんだろう。ミジンコを見つけた真夜は好奇心を刺激されたらしく、実験を終わらせずに次々と水を汲んできた。ゾウリムシからアメーバ、ツリガネムシにアオミドロなど、新しい微生物を見つけては熱心にメモを取る。授業が終わってからも理科室を離れずに、結局先生が特別に顕微鏡を使わせてあげる約束までしてようやくあきらめたのだから、どれだけしつこかったかがよく判る。
 真夜は〈ハンター〉だった。
 好奇心の塊──そういうと綺麗だけれど、そんなに生易しいものじゃない。気になることがあるとそれに食いつき、結論が出るまでどこまでもしつように追跡をし続ける。遠足で山に行けば石や草や虫を調べだして動かず、社会科見学で工場に行けば材料は何を使っているのか、どこから仕入れているのかなどを延々と質問して職員さんを困らせたりしていた。
 そんなときの真夜は、独特の目をしていた。
 学者のように知的で、狩りの対象を見つけた獣のように興奮した、〈ハンター〉の目だ。
 アンバランスなふたつが自然に同居したあの目を前にすると、迷惑をかけられていてもなぜか許せてしまう。むしろ真夜の好きにさせたいと思ってしまうような、不思議な魔力を持っていた。

 真夜と親しくなったのは、五年生のときだ。
 下校しているときに、真夜が突然話しかけてきた。
〈吉見くんって、超能力があるって聞いたんだけど、本当?〉
 そのときは真夜とは違うクラスで交流もなかったので、道端でいきなりそんなことを言われて驚いた。ボブの髪がふわりと揺れて、トレードマークだった大きな眼鏡の奥からぼくを覗き込んでいた。
〈世界中の色々なものが、好きなように見えるって聞いた。人間にそんなことができるなんてとても信じられないんだけど、吉見くんって噓をつきそうな感じがしないんだよねえ〉
 真夜は挑発的にぼくを覗き込む。〈ハンター〉の目が自分に向けられていることに、ぼくは少し恐怖を感じた。
 そのころ、ぼくは〈力〉について隠すことにしていた。低学年のころに、〈力〉のことを無邪気に話して馬鹿にされたのがトラウマになっていたからだ。吉見って薬やってるんだろ? いや、頭がおかしいんだよ。心ない言葉を浴びせられ、ムキになって反論をすると、余計に気味悪がられる。幼いころ〈空想ばかりするな〉と父さんに言われていた理由が、嫌というほど判っていた。
 でも真夜は、そういうことはしない感じがした。
 ぼくの能力が本物なのかどうかを、確かめたい。真夜には、それ以外の興味がないような感じだった。
 ぼくは、話すことにした。真夜が真剣にじっくりと聞いてくれるものだから、空想が好きだった幼いころの話から宮おじぃーの話まで、かなり長く話すことになった。
〈本当なの? その話〉
 話し終えたところで、真夜は言った。馬鹿にする様子はなく、戸惑ったような口調だった。全部本当だよと答えると、真夜は腕を組んで、うーんとうなりだした。
 一分くらい、そのままだったと思う。彫刻のように固まってしまった真夜は、突然ぽんと手を叩いた。
〈噓か本当か、いまは判らない〉
 そして、ぼくを覗き込んで言った。
〈だから、これから、吉見くんを研究させてもらう。いいよね?〉
 断れるような勢いじゃなかった。むしろ真夜の好きにさせたいと思ってしまう──不思議な魔力に、ぼくもまれていたのだろう。
 それが、空想クラブのはじまりだった。

 気がつくと、ホールの入り口まできていた。ゆっくりと列は動き、ぼくは流されるように中に入る。
 祭壇から、必死で目をらした。見たら、どうにかなってしまいそうだった。
 あの世への扉を開くじゆもんのような、不気味な読経の声が流れている。ぼくはうつむきながら、焼香台に向かって歩く。
 祭壇の右のほうに、真夜の両親が座っていた。怒ったように前を見つめているお父さんの横で、お母さんはずっと泣き崩れている。絶望を音にしたような、声だった。
 焼香台の前まできて、やがてぼくは列の一番前に出てしまった。もう逃げられない。ぼくは、ゆっくりと顔を上げた。
 花で飾られた祭壇の下に、真夜のこつつぼをくるむ骨袋があった。両手で抱えられる程度の、小さな袋だ。遺体の状態が悪かった真夜は葬儀の前に火葬されていて、彼女の肉体はもうどこにもない。あのエネルギーの塊のようだった真夜が、猫くらいの大きさの袋に収まってしまったことに、ぼくはショックを受けた。
 遺影──。
 黒い額縁の中、セーラー服を着た真夜が、望遠鏡を覗き込んでいた。
 髪の毛が顔にかからないように、ボブの髪をひっつめにしている。レンズを覗き込む真夜の目は、学者のようでも獣のようでもあって、レンズの向こうの空を必死で見通そうとしていた。よく知っている。それは、興味の対象を追い求める〈ハンター〉の目だった。
 ──あの目は、もう何を見ることもできない。
 心の奥が、黒く染まっていく。
 焼香の段取りを覚えてきたのに、すっかり飛んでしまった。自分でも何をやっているか判らない動作を済ませ、お父さんたちに頭を下げてホールを出る。
 まっすぐに延びた廊下を、ひたすらに歩く。もう充分に遠ざかったはずなのに、お母さんの泣き声がどこまでも追いかけてくる。ぼくは足を速めた。真夜が死んだという現実からも、逃げるみたいに。
 真夜は、死んだ。
 本当に死んだんだ。
〈川に落ちて、死んだんだって〉
 同級生の声が、よみがえった。
 学校にいると、聞きたくなくても色々な情報が入ってくる。いつまでも聞こえるお母さんの泣き声に耳をふさぐように、ぼくは考えごとをはじめた。
 真夜の遺体は、三日前の木曜日の朝、荒川の川岸で見つかった。上流から流れてきた身体が、桟橋に引っかかっていたのだ。
 死因は、水浴死。
 遺体が見つかった前日の水曜日の夜、真夜は川に落ちて亡くなった。落ちた場所は、河原だと言われている。川岸のあたりは水深は浅いけれど、冷たい水にいきなり入ると「冷水刺激」といって心臓に異常が起きて死んでしまうことがあるらしく、真夜は川に落ちた途端に亡くなったんじゃないかと言われている。
 だけど、普通の人は夜の川に近づいたりしない。しかもいまは十一月だ。真夜はなぜ、そんなところにいたのだろう?
 そんな当然の疑問にも、納得のいく説明があった。
 ひかりがい調査だ。
 望遠鏡を覗き込む写真が遺影になっていたように、中学に入ってからの真夜は天体観測にのめり込んでいたらしい。そんな彼女はこの二年ほど、空の明るさの調査活動に取り組んでいた。専用の装置を使って、街のあちこちで空の明るさを測り、地図に記入する──ずっとそんなことをやっていたそうだ。
 あの夜、真夜は隣町の学習塾に自転車で行っていた。その帰り道、いつも使っている荒川沿いのサイクリングロードを走っているうちに、空の明るさを測りたくなったのだろう。河原で調査をはじめて、より暗いところに行こうと川岸まで向かったところで、足を滑らせて転落した。真夜が落ちたと思われるあたりには、光害調査に使う機械が、かばんの中身と一緒に落ちていたらしい。
 それが真相なのかはよく判らない。ただ──考えたくもないけれど──殺人事件ならもっと大騒ぎになっているだろうから、警察も事故だと判断したのだろう。
 ──どんな感じだったんだろう。
 死。
 自分が、なくなってしまうこと。
 小学生のころ、自分が死ぬことについて考えだして、怖くて眠れなくなった夜があった。死の瞬間、ぼくの身体はどう壊れていくんだろう。死んだあと、ぼくは無になって、何も感じなくなる、それは、どんな感じなんだろう。
 いままで地球上では千億人以上の人が死んできたと聞いたことがあるけれど、それが何かを説明できる人はひとりもいない。男とか女とか、大人とか子供とか、ぼくたちは色々なもので分かれているけれど、生と死ほど深く、理解できないレベルで分かれているものがあるだろうか。
 ぼくと真夜は、そういうもので分かれてしまった。
 そのことが悔しい。もう二度と、ぼくたちは同じ側には立てないんだ。
 でも──。
 光害調査の噂が本当なら、真夜は好きでやっていた活動の最中に死んだことになる。川に落ちて、冷水刺激で亡くなったのなら、自分が死んだことに最後まで気づかなかったかもしれない。
 好きなことを夢中でやっているうちに、よく判らないまま人生が終わる。痛かったり苦しかったりする時間が短かったのなら──それだけは、かろうじて、いいことなのかもしれない。
 退路を進み、告別式の受付のあたりまで戻ると、ロビーに多くの人がたまっていた。
 たくさんの感情が、空間に溢れている感じがした。哀しみもあれば、これが終わったらどこに遊びに行こうかとわくわくしているようなものもある。泣いている人たちを見ていると、ぼくの心はますます沈んでいった。哀しみが伝染したわけじゃない。様々な感情が溢れているのを見ると、もう何の感情も持てない真夜の不在を突きつけられている感じがした。
 ──駄目だ。
 真夜には悪いけれど、この場所にいるのはつらすぎる。
 最後まで葬儀に立ち会わず、帰ってしまおう。そう思ったところで、ぼくはロビーの隅に、ひとりの女子を見つけた。
 すらりとした長身と、長い黒髪。モデルでもできるんじゃないかと思うほどのスタイルの持ち主は、見慣れないセーラー服を着ている。
 おとりようこだった。
 涼子は、空想クラブのメンバーだった。いまは違う中学に通っていて会う機会もないけれど、小学生のころはよく一緒に遊んでいた。
 帰ろうと思っていたのに、ぼくは引き寄せられるみたいに彼女のほうに向かっていた。人の合間を縫って近づくと、涼子もぼくに気がついたようだ。
「久しぶり」
 にこやかに話しかけたのだが、涼子はぼくのほうを見ようともしなかった。目を逸らし、ミネラルウォーターのペットボトルをぶら下げて、不機嫌そうにまゆをひそめている。
 どうしたんだろう? 哀しくて話せないというよりは、ぼくがきたことを歓迎していない感じだった。でも、涼子はこんな態度を取る人じゃなかった。空想クラブで一緒にいたころは、もっとフレンドリーな子だったのだ。
「やっぱり涼子もきてたんだね。仲、よかったもんね」
 そう、涼子は真夜の親友だった。マシンガンのようにしやべりまくる真夜の話をよく聞き、いつも楽しそうに話していた。
「いまは、東京の私立に通ってるんだよね? まだ、真夜とは会ってたの? たまに遊んでた?」
「いきなりなんだよ、お前。どっか行けよ」
 吐き捨てるような物言いに、ぼくは驚いた。涼子は不快そうに顔をゆがめる。
「なんで真夜のことを話さなきゃいけないんだよ。うるさいな」
「いや……ただ、真夜が最近どうしてたのか、知りたくて」
「会ってないよ。中学分かれたら、小学校のころの連れなんて会わないだろ? お前もそうだったんじゃないの」
「〈お前〉、って……」
 あつに取られる。こんな言葉をかけられるとは、思ってもいなかった。
 涼子は、いわゆるお嬢様だった。
 早乙女家はこのあたりでは地主の一族として有名で、あちこちに「早乙女」という表札の一軒家がある。中でも涼子は本家の娘で、駅の近くにある大きな庭つきの家に住んでいる。上品で明るかった彼女が、どうしてこんなことに?
「涼子、ごめん」
 何を言えばいいか判らないまま、とりあえず謝る。
「真夜が死んだのが、ショックなんだ。ぼくも涼子と同じだよ。最近会えてなかったけどいつでも会えるって思ってた。だから、最近の真夜を知っている人がいるなら、話を聞いておきたくて。でも、不快にさせちゃったんならごめん」
 空白を埋めるためだけの無意味な言葉が、どんどん出てくる。
「あの真夜が、こんな事故を起こすなんてね。でも、真夜らしいのかな。光害調査に夢中になって、川に落ちちゃうなんて。何かをはじめると、周りが見えなくなる人だったもんね、真夜は……」
 気がつくと、涼子はうつむいていた。無視しているのかと思ったけれど、どうも違う。
 涼子は、小刻みに震えていた。
「え?」
 ぼそぼそと、何かをつぶやいた。ぼくは思わず身を乗りだした。
「涼子?」
「……去年もう、なくなってたのに。噓なんだよ」
「なくなってた?」
 涼子は、はっと我に返ったみたいに顔を上げる。
「いつまでいんだよ。早く帰れよ」
「去年なくなってたって……死んでたってこと? それに、その前の言葉は……?」
「何も言ってないよ。もう、どっか行ってよ」
 ぼくをとうしながらも、どこか気まずそうな表情をしている。聞かせてはいけないものを聞かせてしまった、という感じだった。
 涼子は挑むように睨んでくる。
 その目に、ぼくは恐れを感じた。一朝一夕には出せないような、迫力のある目つきだった。
 この二年間、彼女に何があったんだろう。あれだけ一緒にいて、涼子のことはよく知っていたつもりだったのに、別人になってしまったみたいだ。
「ごめん」
 振り返って歩きだし、葬儀会場をあとにした。
 表に出ると、世界が一気にカラフルになる。でも、周りにあるたくさんの色は、ぼくの心をますます落ち込ませるだけだった。空の青も、街路樹の緑も、もう真夜は見ることができない。
 ずるずると落ち込んでいく感情の中、涼子の言葉が喉に刺さった小骨のように残っていた。
〈去年もう、なくなってたのに。噓なんだよ〉
 涼子はたぶん、あんなことを言うつもりじゃなかった。思わずぽつりと口にしてしまったのだ。
 意味が判らない。なくなってたというのは、死んでいたということだろうか。真夜が死んだのは、四日前だ。それに、「噓」というのはどういうことだろう。
 何かがどこかに消えてしまったという話を、唐突に呟いた可能性もある。でも、それなら、その前に言った台詞せりふと、つながらない。やはりあれは、死んだという意味なんじゃないか。
 涼子は最初に、こう呟いていた。
〈真夜は、事故で死んだんじゃない〉

#4へつづく
◎前編の全文は「カドブンノベル」2020年8月号でお楽しみいただけます!


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