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「100分de名著」で話題のM・アトウッドが「必読」と絶賛! 実話にもとづくサスペンス――『ウーマン・トーキング ある教団の事件と彼女たちの選択』ミリアム・テイヴズ【文庫巻末訳者あとがき:鴻巣友季子】

ミリアム・テイヴズ 著、鴻巣友季子 訳『ウーマン・トーキング ある教団の事件と彼女たちの選択』(角川文庫)の刊行を記念して、巻末に収録された「訳者あとがき」を特別公開!



ミリアム・テイヴズ『ウーマン・トーキング ある教団の事件と彼女たちの選択』文庫巻末訳者あとがき

訳者
鴻巣友季子

 本書はミリアム・テイヴズのWomen Talking(2018)の全訳である。二〇二二年にサラ・ポーリー監督によって映画化され、アカデミー脚色賞を受賞、二〇二三年に日本でも公開された。
 本作の内容は、二〇〇五年から二〇〇九年にかけてボリビアにあるメノナイトの宗教コロニーで起きた連続暴行をモデルにしている。メノナイトは非暴力と無抵抗を主張し、迫害を受けながら移住を繰り返してきたプロテスタントの宗派であり、多くは現代的な社会機構やテクノロジーから隔絶して、独自の言語をもつコミュニティを築き、素朴な暮らしを送っている。
 この一見平和なコロニーで、百数十人の女性や少女たちが男性たちによって麻酔薬でこんすいさせられ、レイプされたのだった。『ウーマン・トーキング』の作中には、三歳の女児までが暴行され、十五、六歳の少女が血と体液にまみれて発見される記述があるが、これらも実際の出来事に照らしているようだ。
 テイヴズはこの事実に基づきながら、女性たちの二日間の討論をさいに創造し、彼女たちの信仰と決断がどのように交わるのかをフィクションとして描き出す。
 物語の舞台は、モロチナという名のコロニーだ。男性牧師を頂点として、男性の長老、古老たちが指導者となって生活が営まれる。女性の役割は家事、料理、育児、介護などのケア労働と、乳しぼりや家畜の世話であり、男性の言動に口を出すことは基本的にない。
 女性たちの被害の訴えは、初めのうち「悪魔の仕業」だとか、神からの罰だとか、女の妄想などと言われて、聞き入れられなかった。この部分も事実に基づいているようだが、被害女性のほうがむしろ批判されるのはこのコロニーに限ったことではないだろう。

 モロチナの女性たちがもつ選択肢は三つ。「とくになにもしない」「とどまってたたかう」「(コロニーを)出ていく」のいずれかだ。
 映画版と大きく異なるのは、会議に出席する唯一の男性オーガストの視点から語られていることだ。彼は幼いころ一家で教会を破門になり、イギリスに移住した経験をもつ。いまは農作業もできない弱者男性としてさげすまれながら男子の学校教師として、コロニーの片隅でひっそり暮らしているが、その心にはつねに絶望があり、希死念慮を抱えている。彼は女性たちの苦しみに共感しつつも、彼女たちの声をただ聴き、それを文字に刻みつける。
 女性たちの話すメノナイトの言葉から、彼が逐次英語に翻訳して記録しているという設定だ。つまり、この作品テクストはあらかじめ翻訳されたものなのである。これはいま世界文学のなかで「生まれつき翻訳」と呼ばれている技法だが、男性を語り手・書き手としながら、女性の声を収奪することなく、それを忠実に文字化するのに、翻訳および翻訳者という装置は適切だったろう。
 男性に書記を頼むことになったのは、コロニーの女性たちは読み書きの学習を一切禁じられているからだ。リテラシーとは人間の尊厳と人権の礎の一つである。読み書きの学習とそれを土台にした知的活動を女性にさせないことで支配するという方法は、過去に現在に見られるもので、女性に中等以上の教育を禁止している現アフガニスタンなどがその例にあたるだろう。また、同じく神権政治を題材にしているマーガレット・アトウッドのディストピア小説『侍女の物語』『誓願』にも通じる支配構造と言える。ちなみに、テイヴズはアトウッド・ギブスン・ライターズ・トラスト小説賞を二度授与されており、アトウッド自身も早くからその才能を高く評価してきた。自身のSNSでも「必読の書です! この驚異的で、悲しく、衝撃的にして心を打つ小説は現実の事件を元にしており、まるで『侍女の物語』から抜けだしてきたようだ」と本作を絶賛している。
 作中からサロメとオーナの言葉を引こう。
「問題は(中略)男たちによる聖書解釈と、それがそのままわたしらに「伝えられて」きたことなんだ」「そうだよね、わたしたち読み書きができないから、聖書の解釈にかんする交渉ではいつもすごく不利な立場におかれてきた」
 コロニーでは、聖書は教義書であり、歴史書であり、法律書でもあり、天国に至るための唯一の指導書である。そのテクストを読ませないという抑圧行為、これも歴史上繰り返されてきたことだ。中世のキリスト教会の堕落と社会的荒廃が起きたのはなぜか。難しい言語(主にヘブライ語、ギリシア語、ラテン語)で書かれた聖典をじかに読めないようにすることで教会が人びとをコントロールし、権力をほしいままにしたからである。
『ウーマン・トーキング』の終盤に、女性たちが初めて聖書を自身で解釈する場面がある。モロチナの女性が一人の主体的人間として、スタート地点に立った瞬間だ。

 実際の事件を取材したドキュメンタリーフィルムGhost Rapes of Bolivia(幽霊に犯されたボリビアの女性たち)では、男性検察官がこのように述べている。大意を引こう。「事件が起きた原因は生活を厳しく規制したことだ。住民に学ぶ自由を与えなかった。芸術活動もできない。スポーツさえ罪とみなされている。天国に行く唯一の道は労働に励むこと」。これと似たことは、『ウーマン・トーキング』のなかでも牧師みずからが口にするだろう。「男たちをへきに放りだし、閉じこめ、酷使し、生殺しにしてみろ、こうなって当たり前だ」と。
 この言葉は読了後に深い意味をたたえてくるだろう。牧師とオーガストの関係なども映画にはない重要なパートである。
 一つ、フロベール十五歳のときの作「憤怒と無力」(一八三六年)について注釈をつけておく。この若書きの作はInternet Archiveの運営するOpen Libraryで英訳を読むことができた。E・A・ポーの「早まった埋葬」(一八四四年)を予見するような短編だ。主人公の医師は死んだと誤解され、生きながら埋葬されてしまう。ラストで彼が狂気のなかでおぞましい自死を迎えるのだが、神への祈りと到来しない救済、篤信と棄信を描くという主題はポーと異なる。オーガストの母がこの一編を朗読したこと、そして母の沈黙に対して「間というのもなにかに満ちているのかもしれない」とオーガストが書いたことの意味に、読者はあとで思い至るだろう。本作は読了した際に再読を促す作品だ。
 コロニーの女性たちは、女性としての、親としての、怒りと痛み、メノナイト者としての信仰のありかた、思考する一個の人間としての自律、この三つの狭間はざまおうのうし、ときに戦ってゆるしあう。
 これは宗教コロニーでの連続暴行事件を告発する小説ではない。テイヴズの力点は、窮地にある人と人が向きあって対話すること、共感できず意見をたがえる相手とも話しあい、手をとりあって、未来を切り拓く解決策を探ることにあると思う。
 そこかしこで人びとの対立や断絶が深まるいま読まれるべき小説だと思い、翻訳をお引き受けした。仕事をご依頼くださったKADOKAWAのじまさん、出版に尽力してくだった編集部の皆様にあつくお礼を申しあげます。

作品紹介



書 名:ウーマン・トーキング ある教団の事件と彼女たちの選択
著 者:ミリアム・テイヴズ
訳 者:鴻巣 友季子
発売日:2025年05月23日

私たちは子どもを守りたい。アトウッドが絶賛!実話にもとづくサスペンス!

WOMEN TALKING
by Miriam Toews,2018

「これは必読!『侍女の物語』から抜けだしてきたよう」マーガレット・アトウッド(←NHK Eテレ「100分de名著」で話題)

「私たちは子どもを守りたい」
教団で起きた大量レイプ事件。「悪魔の仕業(しわざ)」「作り話」とされてきたが、実は身内による犯行だった。実話にもとづくサスペンス!

あるキリスト教系団体の村(コロニー)で起きた大量レイプ事件。最年少の被害者は3歳の少女。それは「悪魔の仕業(しわざ)」「作り話」とされたが、実は身内の8人の男による犯行だった。彼らを保釈させようと村の男たちが外出する2日間。女たちは子どもを守るために未来を選ばねばならない。何もしないか、闘うか、村を出ていくか。文字の読めない女たちの会議(ウーマン・トーキング)が始まる。実話にもとづくサスペンス。マーガレット・アトウッドが「必読」と絶賛。第95回アカデミー賞脚本賞映画、原作!

「これは必読! この驚異的で、悲しく、衝撃的にして心を打つ小説は現実の事件を元にしており、まるで『侍女の物語』から抜けだしてきたようだ」M・アトウッド
「痛烈……悪の本質、自由意志の問題、集団的責任、文化決定論、そして何よりも赦しについてふれる」ニューヨーク・タイムズ

カバーイラスト/千海博美
カバーデザイン/鈴木成一デザイン室

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322311000870/
amazonページはこちら
電子書籍ストアBOOK☆WALKERページはこちら


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