文庫解説 ペネロピアド 女たちのオデュッセイアより

「100分de名著」で話題のM・アトウッドがホメロスに挑む!――『ペネロピアド 女たちのオデュッセイア』マーガレット・アトウッド【文庫巻末訳者あとがき:鴻巣友季子】
マーガレット・アトウッド 著、鴻巣友季子 訳『ペネロピアド 女たちのオデュッセイア』(角川文庫)の刊行を記念して、巻末に収録された「訳者あとがき」を一部抜粋・編集して特別公開!
マーガレット・アトウッド『ペネロピアド 女たちのオデュッセイア』文庫巻末訳者あとがきより
訳者
鴻巣友季子
本書は、マーガレット・アトウッドによる“The Penelopiad”(キャノンゲイト社、二〇〇五年)の全訳である。
オデュッセウスの二十年もの不在のあいだ、妻のペネロペイアはいったいどうしていたのだろう? 英雄オデュッセウスについては、トロイア戦争の顚末を描いた『イリアス』にも、そこから故郷のイタケーへの帰還について物語った『オデュッセイア』にも、多くのことが書かれている。それに引き替え、ペネロペイアは賢く貞節な妻として象徴化されるだけで、人として描かれることはあまりなかった。その彼女に焦点をあて、彼女と女中たちの口から多声的に語らせたのが、本作『ペネロピアド』である。
語りの魔術師マーガレット・アトウッドのこと、今回も一筋縄ではいかない。『オデュッセイア』という神話では、オデュッセウスと息子テレマコスが求婚者たちを惨殺するのにともない、なぜか女中たち十二人が殺されている。アトウッドはそこに目をつけ、男性的な叙事詩のなかでは語られることのなかった、語られ得なかった、女性たちのトロイア戦争を悲喜劇風に描きだす。その舞台の上では、ペネロペイアも貞淑な妻という枠には当然ながらおさまらない。
章のあいだには、古代ギリシャ劇にならったコロス(合唱隊)が出てきて、風刺的な幕間を演ずる。哀歌あり、バラッドあり、舟歌あり、ラヴソングあり、ときには芝居仕立てで、あるいは「コーラスライン」風に、そして終盤の法廷場面はビデオの実録ということになる。こうした演劇スタイルは、シェイクスピア劇をラップとミュージカルに仕立てたのちの『獄中シェイクスピア劇団』(二〇一六年)として発展し、よりリアルに現代社会と切り結ぶことになる。
ギリシア悲劇でコロスというのは、登場人物と直接かかわったり、自分もドラマに参加したりすることはなく、物語の外側から、本編の劇を茶化したり、登場人物にかわって密かな心情を吐露したり、真相を観客に告げたりするものだ。『ペネロピアド』でも、女中たちのコロスはそのような役割を担っているだろう。ところが困ったのは、なにが「茶化し」で、なにが「心情の吐露」や「真実の暴露」なのか、一概に判断がつかないということ。なにしろ、コロスである女中たちがドラマ本編においても登場人物となっているのだし、さらにその本編を物語るペネロペイアは、女中たちの死の原因となった人物であり、真実を語っている保証はない。ペネロペイアと女中たちはたがいに語りあい、騙りあうことになるわけだ。これはもう、語りの迷宮を得意とするアトウッドの真骨頂といっていい。
(中略)
西洋の文学は古代ギリシアの英雄叙事詩に始まり、長らく男性優位の世界だった。男性作家が男性を主人公にして書いた作品が、主に
しかし古典作品においてことばを持たなかった女性たちに現代作家が声をあたえるという『ペネロピアド』のような例も、本作の単行本を刊行した二〇〇五年以降には徐々に登場しだしていた。ひとつは、オデュッセウスとおなじく二十余年も家を留守にした夫が突然舞い戻るというホーソーンの名作「ウェイクフィールド」に対して、妻の側からその年月を語った『ウェイクフィールドの妻*1』。それから、ハムレットの恋人オフィーリアも、文学史上もっとも寡黙なヒロインであろうが(ハムレットの十分の一も台詞がないという)、彼女の視点で『ハムレット』前史を語り直す『オフィーリア*2』という佳作もある。
とはいえ、女性や弱者の視点で古典を語り直す「リトールドもの」のブームに火がついたのは、二〇一〇年代、とくに#Me Too運動以降だろう。アトウッドさん、またもや十五年か二十年ほど早すぎた感がある。最近では、トロイア戦争を女性の視点で語り直したパット・バーカー『女たちの沈黙*3』、オウィディウス『変身物語』で虐げられた女性たちの声を物語にしたニナ・マグロクリン『覚醒せよ、セイレーン*4』、シェイクスピアの初期作『じゃじゃ馬ならし』の逆転的翻案であるアン・タイラー『ヴィネガー・ガール*5』、オーウェル『一九八四年』を恋人の目で語り直した『ジュリア*6(未邦訳)』などの秀作が続出している。
女性たちは長らく声を封じられてきた。声=弁論とは知性と理性の証左である。その機会を奪うことは、その対象を人としてみなしていない証拠でもあり、支配の最も効果的な手段でもある。独裁者たちが民のリテラシーの発揮を禁じたり低く抑制したりするのも、そうした戦略の一つだ。
『オデュッセイア』にも象徴的な場面がある。夫の留守中にペネロペイアが客人たちを前に話をしようとすると、息子のテレマコスが「それは女の仕事じゃない」と止めに入るのである。人前で話すことを「ミュートス」と言うが、それは雄弁につながり、男性のすることなのだった。
そして、『オデュッセイア』のなかでもとくに声なき存在の女中たち。主人の留守中にレイプされた彼女たちはなぜ処刑されたのか。それは、レイプされたからなのだ。しかも「女中が凌辱されること自体はかまわないが、主人からの許諾なく行われたから悪い」と言う理屈である。二重、三重に罪深いのだが、女性が辱められたことで家が汚されるというこの発想は神話の時代から延々とつづいている。たとえば、メデューサ神話。彼女が怪物に変えられた理由は、彼女が男神ポセイドンに犯されたことで「聖所を
被害女性が罰を受け、沈黙させられる。これは現代でもしばしば起きることだろう。性暴行の被害者のほうが非難され、巷でリンチ紛いの誹謗中傷にあうことは珍しくない。ネットとSNSの時代にむしろ悪化しているとも言える。
アトウッドは近未来のディストピア小説で名高いが、自分は歴史上あるいは現在もどこかで起きていることしか書いたことがないと述べている。そこにあるのに人びとの目に見えていないことを、時空をずらしてその本質を浮彫りにしているのだ。本作『ペネロピアド』もまさにそうした意図をもっているだろう。
じつは、『ペネロピアド』は、その存在を知る前からわたしが願ってやまない本だった。今世紀の初め、J・M・クッツェーという南アの作家の作品のなかに、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』を妻モリーの視点から描いた架空の小説が出てくるのを見て、だったら『ユリシーズ』の神話的土台となった『オデュッセイア』にも、ペネロペイアが語り手となるような現代文学が書かれれば面白いのに……と思っていたのだ。そんな矢先、角川書店(当時)から本書の翻訳依頼を受け、アトウッドのタイプ原稿の扉に、The Penelopiadというタイトルを見たときの驚きと喜びは忘れられない。これは、きっとIliad(『イリアス』の英語名)を妻ペネロペイアの立場から描き直したものに違いないと確信し、はたして読んでみればそのとおり! ある意味、わたしにとって「運命の出会い」とも言える本になった。
(後略)
*1 N・ホーソーン/E・ベルティ『ウェイクフィールド/ウェイクフィールドの妻』柴田元
幸/青木健史訳、新潮社、二〇〇四年
*2 J・トラフォード『オフィーリア』安達まみ訳、白水社、二〇〇四年
*3 パット・バーカー『女たちの沈黙』北村みちよ訳、早川書房、二〇二三年
*4 ニナ・マグロクリン『覚醒せよ、セイレーン』小澤身和子訳、左右社、二〇二三年
*5 アン・タイラー『ヴィネガー・ガール』鈴木潤訳、集英社、二〇二一年
*6 “Julia” by Sandra Newman, Granata Books, 2023
一部抜粋してお届けしました。なお、本書には小川公代氏による解説もついています。ぜひお楽しみください!
作品紹介
書 名:ペネロピアド 女たちのオデュッセイア
著 者:マーガレット・アトウッド
訳 者:鴻巣 友季子
発売日:2025年05月23日
『侍女の物語』『誓願』のM・アトウッドがホメロスに挑む。
ホメロスによるギリシア英雄譚『オデュッセイア』。男性的な叙事詩の中で、女たちの声は語られてこなかった。
オデュッセウスの帰還を待つ20年、妻ペネロペイアは国を守るため、噂話に耳をふさぎ、無鉄砲な息子を育て、財産狙いの求婚者らを追い払う。
その内心はいかなるものだったのか。12人の女中たちはなぜ殺されたのか――。
『侍女の物語』『誓願』の巨匠アトウッドが想像と語りの才を発揮した、新たなる傑作!
解説・小川公代
★2025年6月 NHK Eテレ『100分de名著』(M・アトウッド『侍女の物語』『誓願』) 指南役:鴻巣友季子
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322502000716/
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