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レビュー

【解説】息をもつかせぬミスディレクションの連打――『水鏡推理VII_ソヴリン・メディスン』松岡圭祐【文庫巻末解説:大矢博子】

松岡圭祐『水鏡推理VII ソヴリン・メディスン』(角川文庫)の刊行を記念して、巻末に収録された「解説」を特別公開!



松岡圭祐『水鏡推理VII ソヴリン・メディスン』文庫巻末解説

解説
おお ひろ(書評家)

 二〇一五年に第一作『水鏡推理』(講談社・講談社文庫)が刊行されて以来、順調に、かつハイペースで巻を重ねてきた本シリーズ。二〇一七年二月に六作目となる『水鏡推理Ⅵ クロノスタシス』(講談社文庫)が出て以来しばらくごだったが、七作目となる本書『水鏡推理Ⅶ ソヴリン・メディスン』からレーベルを角川文庫に移して再び読者の前にかがみみずが登場する運びとなった。
 ──というのをまずはお知らせしておかねばと思ったのだが、本編を読んで思わず笑ってしまった。序盤、作中の会話で主人公の水鏡瑞希自らレーベルと刊行ペースの変更を読者に伝えているではないか。しかもそれが前作を受けての展開になっている。なんという小粋な真似を!
 とまれ、そういうことである。待ちかねた読者も多いだろう(私もその一人だ)。既刊も順次角川文庫に入る予定なので、これまで読んでいなかった人もぜひこの機会に手に取ってみていただきたい。シリーズものと言えば人間関係の変化などもあって刊行順に読むのを推奨されることが多いが、本シリーズに関してはどこから読んでいただいてもかまわない。なぜならすべての巻に共通して登場するのは主人公の瑞希とその家族のみ。それ以外の登場人物は毎回総とっかえになるのだから。
 なぜか。それはシリーズの舞台が人事異動の多い官公庁──文部科学省だからだ。

 まずはシリーズの概略を紹介しておこう。水鏡瑞希は文部科学省に勤務する二十代半ばの女性事務官だ。所属は研究不正防止を専門とする研究公正推進室。二〇一五年四月に科学技術・学術政策局研究環境課内に設置された実在の部署である。
 彼女は官僚と呼ばれる総合職の補佐的役割を担当する一般職だが、持ち前の推理力と猪突猛進の行動力、加えて気になることを放っておけない性格もあり、役職の垣根を越えて突っ走ってしまうことが多い。だがその結果、多くの不正やねつぞうを見抜いてきた。文科省にとっては功績は認めざるを得ないが組織としては極めて厄介という、いたかゆしの存在である。
 これまで本シリーズでは、医学論文の捏造や地磁気逆転の謎、気象予報がからむ事件や核融合研究などなど、科学技術関連の不正や捏造が扱われてきた。モチーフだけ見ると難解に思えるかもしれないが、そもそも瑞希自身があまり勉強が得意ではなく、素人しろうとの読者と同じ目線からの出発となるため、物語の中でとてもわかりやすく説明される。さらに不正を見抜いたり謎を解いたりするくだりは、理系知識よりも論理的思考や人間心理が大きく関わる構成になっており、そのスリルと興奮は一級品。まさに「面白くてためになる」ミステリなのだ。
 さて、七作目となる本書で扱われるのは新型コロナウイルスの特効薬である。
 コロナに感染していると告げられた著名人が、せいせい医科大病院で開発中の未承認薬リキュアA7を治験として点滴注射した後、全快して退院したという事例が相次いだ。世間は騒いだが、病院側はあくまで開発途中であり万人にとっての特効薬ではないという姿勢を崩さず、今後は文科省や厚労省とも協力して研究を進めていきたいという意向らしい。そのため薬剤サンプルや試験データ、化学構造情報などを文科省に譲渡してもらうことになり、瑞希が先輩官僚のとともに病院へ向かった。しかし、どんな隙を突いたのか、データや薬剤サンプルが衆人環視の研究室でこつぜんと消えてしまい……。
 というのが本書の導入部である。データを欲しがっている医療ファンドが疑われたり、治験担当の医師に不穏な動きがあったりする中、瑞希が真相を追って走り回る。
 まず、ミステリとして非常に魅力的な謎が何段階にもわたって用意されていることに驚く。ここに詳しく書くわけにはいかないが、ミスディレクションが絶品なのだ。どうやってデータを奪ったのかという手段にも、なぜデータが狙われたのかという動機にも、それを追う過程で見つけた手がかりにも、そして何より犯人にも、それぞれに何重にもくらましが仕掛けられている。真実が明かされるたびに読者は「そっちだったのか」と驚くことになるだろう。息をもつかせぬミスディレクションの連打!
 もともとまつおかけいすけはミスディレクションのき方にとても秀でた作家だ。たとえば『水鏡推理Ⅵ クロノスタシス』の巻頭の一言をご覧いただきたい。そんなところにも著者の企みがあったことが最後まで読んで初めてわかる。やられた、と思ったものである。
 犯人は誰なのか。動機は何なのか。驚きの真相をたっぷりと味わっていただきたい。

 本シリーズは前述したように理系のモチーフが毎回登場するが、予想以上に読みやすいはずだ。なぜならそこに描かれるのは被災地のリアルであったり、女性科学者の置かれた立場であったり、収入源を持たない地方の苦悩であったり、少子化と働く女性の問題であったり、過労死の問題であったりと、私たちがまさに今、抱えている問題ばかりだから。それはとりもなおさず、一見小難しそうに見えても、科学はすべて我々の生活に深く関わっているのだという証左に他ならない。
 本書で、瑞希の母がコロナを疑われる容体で搬送される場面がある。それまで瑞希にとってリキュアA7は仕事でしかなかった。よくわからない化学式の何かでしかなかった。しかし母が危険な状態になって初めて〈されているのは薬剤やデータそれ自体ではない。愛する人が救われてほしい、その切なる願いがかなうか否かの瀬戸際〉であることに気づくのだ。薬は単なるデータでも仕事の対象でも、ましてや金や名声を得るための道具でもなく、人の命を救い健康を守るものだというシンプルにして厳然たる事実がここにある。
 それはすべての科学に言えることだ。これまで描かれてきた地震予測も気象予報も核融合も、本書のコロナ特効薬の開発も、科学というものはすべて「人の幸せ」に寄与するために発展してきたもののはずだ。もっと便利に、もっと安全に、私たちが暮らせるよう手助けしてくれるのが科学のはずだ。しかしその最大の目的がないがしろにされ、金や名声や保身や同調圧力といったものに科学がじゆうりんされていく。それは「人の幸せ」をも蹂躙するものなのだと本シリーズは告げている。そして瑞希は常に、大前提を忘れるな、あなたは何のためにそこにいるんだと叫び続けているのである。
 その象徴が本書の真犯人であり、動機だ。真犯人のおかれた状況は、ともすれば納得できてしまうほどに現代社会の闇をえぐっている。大前提を忘れ、自分が何のためにそこにいるのかを忘れ、目先の取り繕いを優先させてしまう恐ろしさ。これは科学に限らずあらゆる場所で、いや、私たちひとりひとりの心の中でも日々起きている現実だということを、最後まで読めば納得いただけるだろう。
 背筋が伸びた。作品の持ち味であるコミカルなやり取りの中に、強いメッセージが見える。著者の強い意志が潜んでいる。誰のための科学なのかを、水鏡瑞希が問い直す。パワーアップして戻ってきた「水鏡推理」新章開幕に相応ふさわしい一作である。

作品紹介



書 名:水鏡推理VII ソヴリン・メディスン
著 者:松岡圭祐
発売日:2025年05月23日

書き下ろし新作!初の本格医療ミステリ。
名門の成清医科大病院が開発に成功したという、コロナの特効薬「リキュアA7」の調査のため水鏡瑞希は病院を訪れる。院長と開発責任者が同席し薬剤サンプルと試験データを入れた箱を開けると、中にはメモ用紙が1枚残されているのみ。なんと、1人の医師が特効薬を持ち出して逃げてしまったのだ。セキュリティが万全の院内から、どうやって特効薬を盗み出したのか、その目的とは――。瑞希の推理が冴えわたる、待望の新作!

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322412000820/
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