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レビュー

【解説】まさに歴史的名探偵の名を受け継ぐにふさわしい存在――『三毛猫ホームズの夢紀行』赤川次郎【文庫巻末解説:松井ゆかり】

赤川次郎『三毛猫ホームズの夢紀行』(角川文庫)の刊行を記念して、巻末に収録された「解説」を特別公開!



赤川次郎『三毛猫ホームズの夢紀行』文庫巻末解説

解説
まつゆかり(書評ライター)

 いま私が「タイムマシーンに乗せてあげる」と言われたら、高校時代の自分にこう伝えに行きたい。「四十年後、『三毛猫ホームズシリーズの四十八冊目の文庫解説を書くことになるよ』」と。「んなわけない!」と完全否定する一方で、「三毛猫ホームズ、そんなに続いてるんだ」と納得するだろうとも思う。
 世の中にはあまりにもいつも通りにそこにあるため、どれほどありがたいか気づかれづらい存在というものがある。もちろん、教室内で常時十数冊くらいが回し読みされていた私の高校時代にも、あかがわろうという作家のありがたみは世間の多くの人々が感じていた。しかし、その作風の多彩さ、毎月のように新刊を読むことが可能な多作ぶり、何よりもどれを読んでもおもしろいというハズレのなさ、こんな作家が同時代に活躍していてくれる幸せを読者はほんとうに理解していただろうか?
 そんな赤川作品の中でも抜群の人気と知名度を誇るのが、三毛猫ホームズシリーズ(本書から読み始めたという方でも、できれば第一作の『三毛猫ホームズの推理』はさかのぼってお手にとられることをおすすめしたい)。まず注目ポイントとなるのは、それぞれのキャラクターの魅力であろう。シリーズを通しての主人公・かたやまよしろう刑事は、平和を愛する心優しい青年だが、警視庁でも有名な腕利きだった亡き父の「立派な警官になれ」という遺言(実現することをあまり期待しない状態で発せられたと思われる言葉)により警察官になる道に進んだ。血を見れば倒れそうになるような性格なのだが、なんとか任務をまっとうしようと日々奮闘している。義太郎にははるという妹がおり、こちらは兄よりもはるかにしっかりしているイメージだ。
 そしてなんといってもタイトルにもなっている三毛猫のホームズ。もともとは殺害されてしまった被害者の飼い猫だったのだが、行き場をなくしてしまった彼女を片山家で引き取ることになったのだった。そう、このシリーズの真の探偵役はホームズといっていい。もちろん、謎解きは義太郎が担っているのだが、要所要所でホームズがヒントを与えることによって推理が成り立っているところが大きいのだから。
『推理』が刊行されたのは一九七八年。そこから現在に至るまで、昔からのファンにはなじみの店でくつろぐような居心地のよさを提供し、新規の読者には「どこから読んでもオッケー」という間口の広さを示す。なんとも素晴らしいシリーズではないか!
『三毛猫ホームズの夢紀行』は、誰かがウィーンを旅していると思われるプロローグから始まる。自分の彼女を自慢しているのは、こういちという男性のようだ。しかしそこへ聞こえてきたのは、夕飯ができたという母親・ゆきの声。弘一が旅していたのは、パソコン上のウィーンだったのだ。実際の彼は、日本で雪子と二人で暮らしていること、また二十歳から四年間にわたっていわゆる「引きこもり」状態であることが明かされる。パソコンの中にいる恋人の「あゆ」に後ほどまた会おうと告げ、二階の自室から一階へ下りた弘一。しかし、雪子は流しの前の床に倒れていた。シャツの胸の辺りを赤く染めて。……ここまでで十ページ足らず、スピーディーな展開で読者の興味をぐいぐい引きつけていく。
 母親の死を受け入れられなかった弘一が頼ったのは、大学時代の同級生で以前交際していた「」。かかってきた電話を一度はスルーしようとしたものの、結局彼女が一一〇番通報をして、パニック状態に陥った彼にかわって警察への対応を引き受けることに。
 現場にやってきた義太郎たちは、ごく普通の四十六歳女性だった雪子がけんじゆうで撃たれたことを怪しみ、母ひとり子ひとりの家庭にしては三千万円以上もの多すぎる蓄えがあることを突き止める。いったい雪子の身に何が起こっていたのか? 捜査が進むにつれ、弘一と亜由の心情にも変化が生じて……。
 シリーズもののよさのひとつに、読者が作品の雰囲気やキャラクターの性格を熟知していて、本を開けばその世界に入り込めることがある。義太郎はいつまでも初々しく(あるいは少々頼りなく)、晴美は前述のようにしっかり者で行動的、いし刑事は裏表がなく大食漢……といった感じ。シリーズの名物キャラで、個人的に注目しているひとり、みつ叔母の変わらぬお節介ぶりも懐かしかった。令和の世にこのような人がいたら、たとえ身内であっても何らかのハラスメントに当たりそうではあるが、義太郎も晴美もなんだかんだで叔母に厳しいことを言ったりせず思いやり深いなと毎度感心する。今回は特殊なシチュエーションでお見合いがセッティングされたのも笑えた。
 そしてもちろん、我らがホームズを忘れてはいけない。常に寡黙で(当たり前だ)、事件解決のヒントを提示してくれる、まさに歴史的名探偵の名を受け継ぐにふさわしい存在。そのホームズがさらなる成長をみせてくれるのが本書。物語終盤の手に汗握る場面では、「え……私より使いこなしてるのでは?」という敗北感と、「さすがホームズ!」と納得する気持ちの両方を味わった。
 ホームズが成長をみせているように、作品内に登場する環境や小道具的なものもブラッシュアップされている。それは著者が、シリーズもののよさは守りながら、これまでの雰囲気を壊すことなく時代風俗を取り入れる力に長けているということの表れだろう。
 近年は、オンライン上でさまざまなことを処理することが可能になり、非常に便利な世の中になった。一方で、他者との現実での関わりが希薄になりつつあるという問題もある。本書は弘一という人物を通して、そういった傾向に注目させる内容になっているといえるだろう。弘一の場合、二次元の相手に対しては問題なくコミュニケーションをとれるのに、実際に面と向かって話そうとすると腰が引けてしまう様子がみられる。雪子とは会話もあったにしても、母と子がもっと腹を割って話せていたら、もしかしたら何か変わったかもと思ってしまった。弘一は自分を客観視するチャンスを得たり、雪子は引きこもりの息子を抱えた生活を支えるために危険な橋を渡るのを回避できたりしたのではないかと。
 本シリーズはホームズや登場人物たちのおちゃめな魅力のおかげで“ほのぼの”“コミカル”といったテイストだと受けとめられることが多いだろうけれども、作品内で発生する事件はけっこう凶悪だったりする。私が初めて読んだ赤川作品である『マリオネットのわな』(文春文庫)はせいさんな事件や容赦のない展開に目をみはらされたし、『プロメテウスの乙女』(角川文庫)などもSF的な設定や体制への批判などが盛り込まれているといった時代を先取りした内容だった。物語を自在に操る筆力は、長年にわたって活躍し続ける作家ならではのものに違いない。
 あ、でももうひとつ変わらないものがあった! それは、登場人物たちがあまりためらいなく恋愛(より詳しく言うなら男女の関係)に突き進んでいきがちなこと。義太郎にもそれができれば……。でもそうしたらシリーズはこんなに続かなかったかも? そう考えると、申し訳ないけれど義太郎にはまだまだ年貢を納めることなく刑事稼業にまいしんしてほしい。相手の心に寄り添うことのできる義太郎にとって、なんだかんだで刑事は天職だろう。そして、ホームズにはそんな人間たちを素知らぬふりでずっと観察し続けてもらえたら、こんなにありがたいことはない。

作品紹介



書 名:三毛猫ホームズの夢紀行
著 者:赤川次郎
発売日:2025年05月23日

引きこもりの青年と殺された母親。片山とホームズが謎を追う人気シリーズ!
母親と二人暮らしの青年・小出弘一は、家にひきこもり、パソコン上で仮想少女との会話に没頭する日々を送っていた。しかしある日、母・雪子が自宅内で何者かに殺害されてしまう。事件を捜査することになった片山刑事は、彼女が生前に思わぬ大金を所有していたことや、普通の主婦とは思えない不穏な行動をしていたことを突き止め、彼女の身辺を探り始める。弘一の元恋人・天宮亜由を巻き込みながら、片山とホームズがたどり着いた真相とは。大人気シリーズ第48弾。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322502000844/
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