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連載

逸木 裕「空想クラブ」 vol.2

【連載小説】「亡くなったそうだ。昨日、川で」少女の死の真相とは? 青春ミステリの最新型! 逸木裕「空想クラブ」#2

逸木 裕「空想クラブ」

※本記事は連載小説です。

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 ぼくが見たものは、白い天井だった。
 ピピピピ……と目覚まし時計の電子音が鳴っている。いつ聞いても、金属のスプーンをめているみたいにキンキンした不快な音だ。ぼくはもぞもぞと手を伸ばして止める。
駿しゆん! いつまで寝てんの! ご飯食べちゃいなさい!」
 母さんの声がキッチンのほうから響いた。ぼくは黙ったまま起き上がり、まだぼんやりしている頭をかいた。
「また夜更かししてたの? ひどい顔してる」
 エプロンをつけた母さんが、リビングのテーブルに朝ごはんを並べていた。父さんがタブレットを見ながら、のろのろと納豆をかき混ぜている。
「アジだらけだね」
 父さんの隣に腰掛けて、ぼくは牛乳を飲んだ。食卓にはアジフライとアジの刺身、アジの南蛮漬けと、アジのフルコースだ。
「今年のよこはアジがよく釣れる」
 父さんのタブレットをのぞき込むと、釣りの雑誌が表示されていた。父さんは趣味多き人で、ここ一年は釣りにハマっていて週末になると海や川に出かけて魚を捕ってくる。
「何これ、ルアー?」
「ああ、来月の給料で買おうと思ってな」
 画面には、魚をかたどったカラフルなルアーがたくさん写っていた。
「こんなので食いつくの? 海の中に、金色とかピンクみたいな魚はいないと思うけど」
「それが、食いつくんだよ。不思議だよなあ。魚が色をどう見てるかは判らんが、暗い海の中だと目立つのが大事なのかもしれないな。人間の世界と同じだなと思うよ。釣りをしているとな、色々なことに気づかされる。いつか一緒に行こうな」
 趣味の話をしている父さんは生き生きとしていて、話していて楽しい。釣りには特に興味はないけれど、楽しみを分けてもらっている感じがする。
「同じアジでも、魚群によって使えるルアーが違ったりする。昨日はピンクのルアーで行けたのが、今日は銀じゃないと駄目だったり。そういう読みあいも奥が深くて面白いぞー。まあ、本当は生きが一番なんだけどな。おっと」
 母さんがにらんでいるのを見て、父さんは肩をすぼめる。
 母さんは次々と変わる父さんの趣味に色々な反応を示すけれど、釣りは大嫌いみたいだ。前にあった忌まわしき「ゴカイ事件」のせいだろう。
 以前、父さんが冷蔵庫に、ゴカイという生き餌を入れて保存していたことがあった。
〈食べものの隣にこんなもの入れて、何考えてんの!〉
 それを見た母さんは、卒倒しそうな勢いで言った。ゴカイは、ミミズみたいな見た目の虫なのだ。それを父さんは、冷蔵庫の野菜室に入れて保存していた。ものすごい雷が落ちて、母さんはそれから父さんが釣ってきた魚をひと口も食べようとしない。ミミズを食べた魚を食べるなんて、ミミズを食べているのと同じだという、微妙に説得力があることを言いながら。
「駿、食べる前に手、洗いなさいよ」
「判ってるよ」
「そう言いながらはしを持とうとしない! あんたね、ベッドなんかすぐに雑菌が湧くんだから、一晩寝たら朝イチで手を洗わないと駄目なの。寝てる最中もどこを触ってるか判らないし……大体昨日お入ったの? 入ってないならシャワーを……」
 母さんはひとつ反論すると十倍くらいになって返ってくるので、最初から戦ってはいけない。ぼくは逃げるように洗面所に向かった。
 いつもの朝の光景だ。趣味の調べものをしながら、おつくうな感じで会社に出ていく父さん。ぼくたちふたりをガミガミ言いながら、家から送りだす母さん。役者が同じ演目を繰り返すみたいに、ぼくたちは何年も同じ朝を繰り返している。
 手をすすぎ、水をすくって顔を洗った。十一月の冷たい水が、しぶとくこびりついていた眠気を洗い流してくれる。タオルで顔をいて、寝癖でも直そうと鏡を覗き込んだところで、ぼくはあっと声を上げた。
 鏡の奥に、別の世界が見えた。
 ちょうど夜明けのようで、もやがかかった水色ともピンクとも言えない綺麗な空に、石造りの大きな建物が影になって浮かび上がっている。木が立ち並び、その奥にぼうすい形の塔が五個くらい立っている。
 特殊な作り──これはカンボジアの名所、アンコールワットだ。
 ぼくはじっと鏡を覗き込む。寺院の向こうからゆっくりと朝日が昇りだしていて、空を複雑なグラデーションに染め上げている。鮮やかな空の色合いは、さっき見た人工的なルアーよりもはるかに綺麗だ。繰り返されている日常の中で、そこだけが非日常だった。
 鏡の向こうに何かが見えることが、一ヶ月に一度くらいある。
 大抵はどこかもよく判らない景色で、こんな有名な場所が見えることはあまりない。少し得した気分だ。ぼくはうっとりと鏡を覗き込んだ。
「駿! いつまで手洗ってるの! 早く食べないと遅刻するよ!」
 気持ちのいい時間を、母さんの声が切り裂く。ああ、もう、学校に行くよりも、ここで日の出を見ていたほうがいいに決まってるのに。
「駿!」
 追撃が飛んできたところで、観念した。「いまいくって!」声を飛ばして、洗面所を出る。
 振り返ると、鏡の中のアンコールワットは消えていた。

 外は、快晴だった。秋の終わりの冷たい空気の中に、ほのかな日光の温度が感じられる。
 昨日の夜中から降っていた大雨が止んで、あたりに雨上がりのみずみずしい匂いが充満していた。自転車に乗り、ぼくはペダルを思い切り踏み込む。
 ぼく──よし駿の住んでいる埼玉県のささくら市は、真ん中を横断するようにあらかわが通っている。ぼくの通うささくらひがし中までは自宅から自転車で十五分、通学路を三分ほど自転車で走ると、荒川を横切る橋に差し掛かる。
 橋へと向かう坂道を立ちぎをしながら駆け上がると、コンクリートの道路に覆われていた視界が一気に開け、川の景色がバッと広がる。灰色に閉じた景色が、カラフルに開けるこの瞬間は、毎朝の楽しみだ。
「あっ」
 そこで、真っ青な空に、飛行船が飛んでいるのが見えた。
 白い飛行船は低く飛んでいて、その横腹には「藍藍的天空中的公園」と書かれている。意味は判らないけれど、たぶん中国の飛行船だ。ぼくはゆったりと漂うその威容を眺めながら、ペダルを漕ぐ速さを少しだけゆるめる。
 突然、正面から白鳥の群れが飛んできて、ぼくは慌てて自転車を停めた。数羽の白鳥はぼくの頰を切り裂くようにすれ違い、飛行船に向かって上昇していく。そのはるか上を六台の戦闘機が編隊を組んで飛んでいて、まっすぐな飛行機雲を空に引いていく。飛行船、白鳥、飛行機雲、様々な白が、青いカンバスに白の波を作っていく。
 間違いない。今日は、空想がたくさん見える日だ。
 そういえば、今朝、宮おじぃーの夢を見ていたことを思いだした。
 あれは予兆だったのかもしれない。たまに、こんな風に空想が溢れて止まらない、そんな日があるからだ。
 川を見下ろすと、朝日を浴びたみながキラキラと輝いている。さっきの白鳥たちが、空の滑り台を楽しむみたいに、川に向かって滑空をはじめる。どこからどこまでが現実か、自分でもよく判らない。子供のころ、黒い空に思い描いていた動物たちとは全然違う。
 あの日以来、ぼくの「空想」は、「こういうもの」になった。ぼんやりと浮かび上がるものを楽しむのではなく、現実と境目のない、特別なものに。
〈お前はやっぱり、おじいちゃんの孫なんだな〉
 ぼくを撫でた宮おじぃーの手の、枯れ葉みたいな感触を覚えている。孫というよりも、同胞を慈しむみたいな、そんな愛情が込められた手だった。
 宮おじぃーはこの〈力〉を使って、世界中の光景を見て楽しんでいた。ぼくもこの〈力〉のことが好きだ。知らない景色を見るのは楽しいし、今朝見たカンボジアの景色なんかは、見ていて心が浮き立った。
 でも。
 胸が、チクリと痛む。ぼくは、宮おじぃーみたいに〈力〉をく使えてない。そんな罪悪感もまた、ぼくの中にあるからだ。
「うわっ」
 ばさばさっと、白鳥がぼくの目の前を横切る。早く行かないと遅刻するぞと、怒られているみたいだ。
 ぼくはサドルにまたがり、自転車を走らせた。

「駿、おはよう」
 駐輪場に自転車を置いて、校舎に向かって歩いていると、背中を軽く叩かれた。振り返ると、同級生のはやが立っていた。
 隼人は、一言で言うと──なんだか馬鹿みたいだけれど──かっこいい子だ。背が高く、見た目もジャニーズに入れそうなイケメンだし、運動神経も抜群で、一年のころからサッカー部で不動のトップ下を張っているらしい。
 ぼくの通っている笹倉東中は公立にしては珍しく制服がない学校で、隼人はいつもアディダスのジャージを着ている。ぼくが同じ恰好かつこうだとものすごくダサくなりそうだけど、隼人が着るとシャープな細身に鍛え上げられた身体の存在が感じられて、戦闘服みたいに恰好いい。
「小瀬先輩! おはようございます!」
 雑談しながら歩いていると、右から声をかけられた。一年生らしき、背の低い男子が三人いた。
「先輩、昨日は助けてくれて、ありがとうございました!」
 そのうちのひとりが前に出て、頭を深々と下げる。サッカー部の後輩みたいだ。
「ああ、いいって。いわのやつ、サッカー部目の敵にしてるからさ。俺の学年のやつも何回か詰められたことあるし、あんま気にすんなよ」
 岩田というのは、陸上部の顧問だ。何かめごとがあったらしい。
「でも、お前も気をつけろよ。ほかの一年にも言っといてくれ。ルールはルールだからさ」
「判りました! あ、あと、今度インサイドキック教えてくれませんか? 俺、上手く内側使えなくて」
「うん、いいよ。でも俺のシゴキ、厳しいよ?」
「大丈夫です! 嬉しいです!」
 隼人が手を振ると、男子たちが頭を下げて去っていく。後ろにいたふたりが「ずりーぞお前だけ!」などとはやしていることからも、隼人が後輩に人気があることが判った。
「ちょっと、陸上部と揉めちゃってさ」隼人が説明をしてくれる。
「うちのコートと陸部のトラックって、隣にあるじゃん? 事故になるから、トラックのほうにボールをり込むのは禁止って昔から決まってるんだけど、一年が間違って蹴り込んじゃって、岩田が怒鳴り込んできたの。で、蹴った一年をネチネチ詰めだして、周りも見てただけだったから、俺が代わりに謝った。それだけだよ」
「へええ、偉いね隼人は」
「まあ、一年にルール叩き込んでなかったのは、俺らにも責任あるし。でも、岩田もあれくらいでキレすぎ。あいつ、うちに人材取られてるからムカついてんだよ。俺も一年のとき、短距離で『全中』目指そうとかしつこく言われたしさ。目指さねえっつうの」
 でも、と隼人は言った。
「ちょっと変なんだよな、話聞いてると」
「変って?」
「なんか、校舎の上のほうから、悲鳴が聞こえたんだって」
「悲鳴?」
 それは穏やかじゃない。
「そのせいで足元が狂っちまって蹴り込んだんだって。まあ別にそのあと騒ぎにもなってないし、屋上とかで誰かが叫んでただけだろ。ボールを蹴るときは、もっと集中しないと駄目なんだよ」
 隼人は、生えている雑草を蹴る。鋭いキックに、雑草の切れ端がパッとはじけて宙に舞った。
「ところで──駿はさ、高校どこ行くつもりなん?」
 校舎に入ったところで隼人が話題を変えた。
「どうしたの? そんなこと聞いてくるなんて珍しいね」
「まあ、参考にしようと思ってさ。どこ行くんだよ」
ささくらだいいち高校に行けたらいいなと思ってる。滑り止めでしもぞのかな」
ささいちと下園かー、どっちも近所だな。大学は?」
「まだそこまでは考えてない。特にやりたいこともないし……。そういう隼人は? スポーツ推薦の話とか、きてるんじゃない?」
「きてねえよ。俺なんかクラブチームにも入ってないし、高校でサッカー続けるか判んねえし」
「そうなの? 隼人はJリーガーになるんだと思ってた。ながともも長谷部も部活出身だって、前に教えてくれたじゃん」
「そんな甘くねえよ。俺くらいの選手なんて、全国行けばいくらでもいるって」
 珍しく、後ろ向きなことを言っている。気軽な調子で話しているけれど、思いのほか真剣に進路に悩んでいるのかもしれない。
 ──高校か。
 時間が経つのは早い。ついこの前まで小学生だったのに、もう進路を考えないといけない。
 隼人とは、小学校からの親友だった。
 あのころはいつも一緒にいた五人組のグループがあって、そこに彼もいた。
 いまから思っても、いいグループだったと思う。毎日のように一緒に行動していたけれど、めいめいが好きなことをやれる空気があった。隼人は飽きたらジョギングをはじめたりしていたし、絵を描いたり、漫画を読んだり、スマホを見たり、空を見上げたり、誰が何をしても誰もとがめない自由な感じがあって、それでいて何かあったときはさっとまとまる、団結力もあった。
 でも、もうその集まりは残っていない。中学では五人のうちふたりは違う学校に行ってしまい、一番近くにいる隼人にしても、サッカーで推薦を受けるなら別の高校に行くことになるだろう。静岡とか大阪とか、遠くの土地に行ってしまうかもしれない。
 人間関係って、天気みたいに不安定だ。今日まで晴れていても、明日は違う空になっている。それでもぼくたちは、天気を選ぶことはできない。新しい空の下で生きるしかないのだ。
「どうしたよ、駿。俺がいなくなるのが寂しいのか?」
「別に……そんなことないよ」
「違う学校に行ったからって、たいしたこたないよ。生きてりゃいつでも会えるって」
 隼人はバンと背中を叩く。力がこもっていて痛い。それが照れ隠しだったらいいなと思った。
 雑談をしながら階段を上がり、自分のクラスの二年A組に向かう。
 今日の一時間目は、物理だ。もともと計算系の科目は苦手だったけれど、中二になってからさらについていけなくなっている気がする。少し気が重いなと思いつつ教室に入った瞬間、けんそうがぼくの耳を襲った。
 ──なんだ?
 中は、異様な雰囲気だった。
 いつもはてんでバラバラに会話をしている同級生たちが、教室の隅に向かってゆるく何重かの弧を描くように集まっている。その中心に何人かの女子がいて、みんな泣いていた。
 普通の泣きかたじゃない。声を上げて、みんな号泣していた。
「小瀬、吉見」
 ぼうぜんとしていたぼくたちの前に、担任のあお先生がやってきた。
「お前たち、ささくらいち小の出身だったよな」
「うん、そうだけど」隼人が答える。
さかさんって、知ってるか」
 その名前に、ぼくは驚いた。知ってるなんてもんじゃない。
「真夜がどうしたんですか」
 隼人の声に、不安がにじみ出ている。嫌な予感が、ぼくの心臓をバクバクと叩いていた。
「とても、残念だ」
 青木先生は、痛みをこらえるような表情になった。
「亡くなったそうだ。昨日、川で」

#3へつづく
◎前編の全文は「カドブンノベル」2020年8月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年8月号

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