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連載

河野 裕「昨日星を探した言い訳」 vol.6

境界線を消したい少女と、境界線に抗う少年の、ボーイ・ミーツ・ガール! 河野 裕「昨日星を探した言い訳」#1-6

河野 裕「昨日星を探した言い訳」

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 清寺さんは一貫して私に優しかった。甘かった、と言い換えてもいい。
 あの人が私をしかったのは、ただの一度きりだった。でもその一度さえ、彼の方には、叱ったつもりはなかったのかもしれない。
 それは私が無断で、清寺さんの書斎に入ったときだった。もちろん非は完全に私にあった。好奇心で書斎に踏み込んだときから、罪悪感を覚えていた。だから清寺さんから注意を受けたとき、ひどく叱られたような気持ちになったのだけれど、今思い返してみれば彼は「この部屋には入らないで欲しい」と繰り返しただけだったようにも思える。なんだか少し困った風に。
 同じように、清寺さんが私の考えに反対したのも、一度きりだ。
 それが、進路のことだった。
 小学六年生になるころには、私は制道院に入りたいと考えていた。清寺さんの母校ということで興味があったし、すでに政治家を目指すことを決めていた私の将来にとっても魅力的な学校だった。
 そう打ち明けると、清寺さんは言った。
「君に似合う学校じゃない。きっと、つらいことがたくさんある」
 私には彼の言葉の意味がよくわかった。
 でも私は、その「似合わなさ」を求めていたのだ。ぼんやり立っていたら勝手に現れた救いに満足していたくはなかった。明確に自分の意志で歩き始めた道というものを探していた。それが暗く冷たい道だったとしても、強く。
 一方で私は、清寺さんにわがままを言える立場ではなかった。純粋に彼への強い感謝があった。人としての尊敬もあった。なにより制道院はお金のかかる学校だった。清寺さんがそんなことを問題にしているわけではないとわかっていても、お金のことは私にとって負い目であり続けた。
 私は結局、制道院ではない中学校に進んだ。それでも胸の中の葛藤は消えなかった。身勝手で力強い、すぐに私の思考を支配してしまう葛藤だ。どうしても制道院に入りたかったわけじゃない。ただ私は、もう守られていたくなかったのだ。冷ややかなものに身をさらしていたかった。
 清寺さんが倒れたのは、その春のことだ。
 私は過労だと聞いていた。でも実際には胃にできたがんが理由で、転移もあったのだと後から知った。
 清寺さんは自身の身体のことを、知っていたのだろうと思う。
 病院のベッドの上で、諦めた風に言った。
「制道院に移るなら、いちばんになりなさい。それが君を守ってくれる」
 躊躇ためらわずに私は答えた。
「わかりました」
 その日の夜には、制道院の学習内容が私の手元に届いた。
 一般には公開されていない資料が手に入ったのは、清寺さんと制道院に強い繫がりがあったことが理由だろう。加えて、制道院はテストの上位一〇名を学内で公開しており、その結果であれば手に入れるのも難しくないようだった。
 制道院の学力は、やはり高い。でも驚くほどでもない。
 私が首席を取るのに、邪魔になりそうなのは二、三人で、中でもトップが坂口たかふみだった。私は顔も知らないその少年を、仮想敵に定めた。
 それからは毎日のように、坂口孝文のことを考えて過ごした。少しでも怠けそうになると、すかさずその名前を唱えた。「君はその程度なのか?」「やっぱりうちでやっていくのは無理なんじゃないか?」なんて風に、勝手に彼の言葉をねつぞうして、ひとり怒りに燃えていた。
 一学期の成績では、私は坂口に少し負けていた。彼の存在は良い刺激になった。私は二学期の中間テストでその差をずいぶん詰めた。このペースであれば、期末テストで逆転するだろう。そう確信していた。
 でも、彼の名を追いかけるのは、半年間ほどでめた。
 この年の一〇月に、清寺さんが亡くなったから。
 彼は息を引き取る前に、私が制道院に転入する準備を済ませていた。葬儀を終えた日の夜に、清寺家の使用人が、大きな封筒に入った資料を渡してくれた。
 その資料にはメモ用紙が添えられていた。
 ──君が約束を守ることを知っているけれど、僕にはそれを見届けられそうにない。
 思えばこれが、清寺さんが私に宛てた、最初で最後の手紙だった。
 でも私はそれが彼の肉筆だと一目でわかった。筆跡に確信を持てる程度には、私は清寺時生のファンだった。

 制道院への入学で価値を持つのは、成績と寄付金、そして推薦状だ。
 清寺時生の推薦は、最高のカードのひとつだった。私の入学は、実質的には彼が亡くなる前に決まっていた。
 私は三月の終わりに、形だけの転入試験を受けるために制道院を訪れた。
 清寺さんが亡くなったあとも、勉強は続けていた。強い意志で、というわけではない。ただ、意地はあった。私は「制道院でいちばんになる」という約束を果たしてこの学校に入学するつもりだった。
 がらんとした教室でひとりきり受けた転入試験では、充分な結果を出せたはずだ。
 その手応えに満足して、廊下を歩いていると、各学年の成績上位一〇名が張り出されているのをみつけた。学期末テストの結果だった。
 私の目は自然と、坂口孝文の名前を探した。そしてずいぶん混乱した。
 そのトップ10には、入学以来最高点を取り続けていたはずの彼が、どこにも載っていなかった。

 私は制道院において、いくつもの意味で目立つ生徒だろう。
 なら、思い切り目立ってやろう、というのが私の方針だった。
 全員が私に注目すればいい。様々な種類の悪意を向ければいい。私はそのすべてに微笑みを返してあげる。戦いにもならないくらいに、圧倒的に優しく。
 私に入学の説明をしたのは、はしもとという名前の、まだ若い男性教師だった。
 彼の声色は、懐かしいものだった。
「困ったことがあれば、なんでも言ってね」
 まだ若草の家にいたころ、小学校の教師たちは同じ声で、同じ言葉を私に告げた。こちらを弱く、すべきものだと信じ込んでいる声だった。
「ありがとうございます」
 私はもう、その声に、素直に感謝で応えることができる。だって私は、実際に弱いのだから。これから私が踏み込む場所には、たくさんの障害があるはずなのだから。手を貸してくれるというのなら、それは有難いことだ。
 私はできるだけ綺麗に微笑んで尋ねる。
「では、さっそくお願いしてもいいですか?」
「うん。なんだろう?」
「同じ寮にいる人やクラスメイトの、顔と名前を知りたいんです。はやく友達を作りたいから」
 私がそう頼むと、橋本先生は拍子抜けしたように笑った。
「良い心がけだね」
 彼は私に、二冊の名簿を差し出してくれた。一方が紅玉寮の寮生のリストで、名前と学年だけが並んでいる。もう一方は教員用のクラス名簿で、こちらは生徒の写真もついている。私はこのクラス名簿で初めて、坂口孝文の顔を知った。予想に反して、彼はわいらしい少年だった。バストアップの写真でもおそらく小柄なのだろうということがわかった。
 でも、私にとってより重要なのは、寮の方だった。
 紅玉寮に入る生徒は二〇名だ。高等部の三年生が七名、二年生が六名、一年生が三名。さらに中等部の三年生と二年生が二名ずつで、計二〇名。その中に私の名前もある。
 中等部二年から紅玉寮に入れるのは、たったのふたりだ。転入生である私が二分の一を奪い取った。
「この子は、寮も同じですね」
 と私は、クラス名簿のひとりを指さした。さくらことという名前の、髪の長い生徒だった。写真の中の彼女は、こちらに深いブラウンの瞳を向けて無邪気に笑っている。
 橋本先生が答える。
「ああ。良い子だよ。君もすぐに仲良くなれると思う。勉強もよくできて──」
 知っている。桜井真琴というのも、成績上位者でみた名前だった。でも女子生徒の中でいちばん、というわけではなかったはずだ。私が知る限りでは、彼女を成績で上回っていた女子生徒がひとりいた。だがそのことには触れなかった。
「桜井さんとお話しするのが、楽しみです」
 とこの場では、橋本先生の言葉に頷くだけに留めた。

#1-7へつづく
◎第 1 回全文は「カドブンノベル」2020年1月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年1月号

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