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レビュー

『サクラダリセット』の著者が贈る、喪われるものたちへの美しい祈り『ベイビー、グッドモーニング』

〝河野裕〟という作家の名前をどんな風に知るか、そのきっかけはここ何年かでずいぶんさまざまになったのではないかと思う。
 そもそも河野裕はライトノベルレーベルからデビューしたのだが、その登場の仕方は唐突といえば唐突だった。昨今では、Webに発表していた小説がきっかけになるなど、小説賞を受賞せずにデビューする作家はまったくめずらしくないが、河野裕がデビューした当時は、まだまだ数少ないケースだった。安田均率いるゲーム・デザイナー集団《グループSNE》に、作家になることを目的に参加していた河野裕は、ゲーム関係の原稿を書き続けたのちに、SNEに預けていた小説原稿が角川スニーカー文庫の編集者の手に渡り、文庫デビューに至る。つまり、読者にしてみれば、何をきっかけに現れたのかわからない新人作家だったのだ。裏を返せば、賞というきっかけを必要としないほど、編集者が手にした原稿が魅力的だったことにほかならないのだが。それが、二〇〇九年に刊行された『サクラダリセット CAT,GHOST and REVOLUTION SUNDAY』だ。
 そのときから河野裕を知っているというのは、古参の部類に入る読者だろう。作品と読者の出会い方にはいろいろあるもので、一七年春に『サクラダリセット』が実写映画化、テレビアニメ化されたことで、作品の原作者として知った人もいるだろうし、ミステリファンなら、同年二月に創元推理文庫から発売された『最良の嘘の最後のひと言』で名前に目を留めたかもしれない。一五年に第八回大学読書人大賞を受賞した『いなくなれ、群青』から始まる、新潮文庫nexの《階段島》シリーズでその名を知った人も少なくないと思われるし、一三年に角川文庫から刊行がスタートした《つれづれ、北野坂探偵舎》シリーズを初めて手に取ったという人もいるだろう。出会い方はいろいろとはいえ、作家デビューから十年……にはまだもうちょっと時間があることを考えると、こんなに〝入口〟が多様なのはあまり例を見ない気がする。
 私自身は、何が最初の〝入口〟だったのか、実は記憶がおぼろげで定かではない。小説情報誌の編集をしていることもあり、多く寄せられる新刊情報で初めて名前を見かけたような気もするし、デビュー作が刊行されたあとに、オススメの一冊として知り合いに紹介されたようにも思う。ただ、私の中で一貫して変わらないのは、河野作品を読むたびに受ける静謐(せいひつ)な印象だ。いつも思うのだ。美しい文章を書く人だなあ、と。

『ベイビー、グッドモーニング』を読み返したときも、そう思った。
 この作品は、自ら死神だと名乗る少女を軸とした連作短編集で、いずれの話にも死を前にした人が登場する。彼らのもとに現れるのが、ユニクロで買った白いTシャツにデニムのミニスカートという、いたってラフな格好をした死神の少女だ。
 なんでも、死神には月ごとに集める魂の数にノルマがあるらしい。作品集に収められたひとつめの話で、長い入院生活を送っている少年のところへ、もうすぐ七月が終わる頃にやってきた少女が、八月のノルマ達成を見越して少年の寿命を三日延ばしたというくだりには、思わず小さく笑ってしまったものだ。

つい先ほど、貴方は死ぬ予定でした。でも誠に勝手ながら、寿命を三日ほど延長させて頂きました

 死神の少女のセリフとその裏にある妙に世知辛い事情に、ホントに勝手なことを言うな、とも思ったし、慇懃無礼な物言いがなんとも可笑しかった。死を覚悟している少年の前に現れたのが、こんな死神でよかったとも思った。
 河野裕へのロングインタビューが掲載された『かつくらvol.16 2015秋』(桜雲社)によると、当初は連作集の予定はなく、単発作品のつもりで書いたこの一話め「A life-size lie」を担当編集者が気に入ったことで、本としてまとめることになったらしい。当時、河野裕は《サクラダリセット》シリーズを執筆中で、浅井ケイという主人公の少年の視点で書く文体が癖になってしまわないように、《サクラダリセット》シリーズを一冊書いたら、短編を一作書くようにしていたという。それが『ベイビー、グッドモーニング』に収録されている四つの短編だ。
 もう何度も死を覚悟している、入院中の少年。
 本の中で死ぬことを願った、児童書の人気作家。
 寿命を十日延ばすかわりに、自殺志願者を救うことになる男。
 死を間近にした、年老いた元クラウン。
 彼らはいずれも、もうすぐ寿命を終えようとしていて、そんな彼らの魂を回収するのが死神の少女の役割なのだが、だからといって、この四つの話は、人が死んでゆくその様を描いているわけではないし、軸となっている死神の少女の物語なわけでもない。そこで描かれているのは、死ではなく、生きることだ。死にゆく人が生きる物語であり、死にゆく人が袖触れ合う、生きている人の物語だ。
 しかし四つの物語には、やがて来る喪失も描かれているから、ほんの少し寂しくもある。
 考えてみると、河野作品には〝失われるもの〟が物語に重要な意味を持ちつつ描かれているような気がする。
 最大三日分、世界を巻き戻すことができる「リセット」能力を持った少女・春埼美空と、記憶保持の能力を持った少年・浅井ケイの物語《サクラダリセット》シリーズでは、世界を巻き戻すリセット能力が何度も行使される。そうすることで、やり直して取り戻したいものがケイにはあるからだ。捨てられた人々が暮らす島を舞台にした《階段島》シリーズでは、島から出ていくためには、自分が失くしたものを見つけなければならない。《つれづれ、北野坂探偵舎》シリーズに登場する幽霊は、すでに何かを失っている人たちだ。そして、これらのシリーズに登場する、失ったものがある人たちには〝願い〟がある。叶えたいと願うそれは、宇宙平和を望むような壮大なものではないけれど、その人にとってはとても重大なことにほかならない。
『ベイビー、グッドモーニング』に登場する、これから死という喪失を迎える人々にも、やっぱりその〝願い〟はある。
 どれもささやかに見えるかもしれないけれど、彼らにとっては大切な願いだ。「そうであってほしい」と死を前にした彼らが願うそれは、まるで祈りのようだなと思う。大袈裟な言い回しや飾り立てた言葉で感情を煽ろうとしない河野裕の文章が、余計にそう思わせるのかもしれない。複雑に入り乱れた感情を()して、濾して、残ったそれは、純度の高い〝美しいもの〟に違いなく、彼らが遺していく世界はそんな美しいものが映えるものであってほしいと、読みながら願ってしまう。これもまた祈りのようなものなのだろう。そんな余韻を噛みしめながら思うのだ。
 この人の書く文章は美しいな、と。

『かつくら』のインタビューで、『ベイビー、グッドモーニング』に関して、河野裕はこうも語っている。

『サクラダ』と『ベイビー、グッドモーニング』は出発点もまったく同じでした。自分のなかで漠然と正しいと思っていることを再定義していったのが『サクラダ』。『ベイビー、グッドモーニング』は正しさだけではありませんが、やはり自分のなかで定義されていることを崩して、もう一度綺麗に定義してみましょうというシリーズでした

 河野裕がこの作品を通して何を再定義してみようとしたのか。それを推測して言葉にするのは、美しくない気がするのでしない。それは、読んだ人が自分の言葉なり感覚なりで捉えて、心に残してもらえたらいいと思う。

『ベイビー、グッドモーニング』が初・河野作品だったという人、未読の河野作品があるという人は、ぜひほかの作品も手に取ってもらいたい。全作読んでいるという人は、一緒に新作を待ちましょう。
 いつまでも河野裕という作家が小説を書き続けてくれること。それが一番の願いです。


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