実力のわりには評価されない作家がいる。乾ルカもその一人だろう。キャリアからいっても、各文学賞にノミネートされ、大薮春彦賞や吉川英治文学新人賞を受賞してもおかしくないと思うが、なかなかそうはいかない。
賞は逃したものの、乾ルカが注目されたのは、二〇一〇年だろう。短篇集『あの日にかえりたい』(一〇年五月、実業之日本社→実業之日本社文庫)が直木賞にノミネートされたからである。正直にいうと、実は僕もずっとノーマークで、乾作品に触れていなかったのだが、一読して驚いた。文章力があり、物語の細部が実に鮮やかなのだ。とりわけ高校の女子ソフトボール部のメンバーが十五年後に思いがけない再会を果たす「へび玉」と、地震にあって怪我をした少年が見知らぬおばさんと一日をすごす「翔る少年」が素晴らしい。ともに死者との交流を扱っていて、話が展開していくうちにおおよその予想はつくものの、それでも読者ははらはらしながら読むことになる。なぜなら人物の心理を扱う手付きが繊細で、些細な心の揺れも掬いあげるからで、読者は自然と人物と物語に感情移入しながら読むようになる。
描かれるのは、「へび玉」では三十三歳になった女性の平凡な日常なのに、仲間と再会することですこしずつ緊張感が生まれ、不安がましていく。いっぽう「翔る少年」では、怪我をした少年の不安と戸惑いが短い文章で的確に捉えられ、おばさんの表情や隠された思いも同時に縁取られていく。同じ空間にいながらも真に交わりえない哀しみがひたひたと迫ってきて、読むものの目頭を熱くするのだ。だからといって乾ルカは感動を押しつけない。泣かせの演出にも入らないし、むしろ充分に抑制をきかして、すっとエンドマークをうつ。それが何とも巧いし、そこに小説を読む喜びがある。
この小説を読む喜びは、さかのぼれば、デビュー作のホラー短篇集『夏光』(〇七年九月、文藝春秋→文春文庫)、時空を超えて少女と死刑囚がつながる長篇ホラー『プロメテウスの涙』(〇九年四月、文藝春秋→文春文庫)、学生たちの不思議なアルバイト体験を綴る連作『メグル』(一〇年二月、東京創元社→創元推理文庫)にもある。グロテスクな描写が光る鮮烈な『夏光』や『プロメテウスの涙』にも驚くけれど、ほとんど静かな日常を描いた連作『メグル』がいい。波瀾にとむ筋立てがあるわけでもなく、むしろ地味で淡々とストーリーが進行していくだけなのに読ませる。ささやかだけれどかけがえのない幸福を感得させて、自らの生活を振り返らせるのである。『あの日にかえりたい』同様、『メグル』でもまた、「ヒカレル」や「メグル」など、死者が特権的な立場で生者の世界を支配する話だけれど、奇をてらわず実に自然に展開させて、忘れがたい印象を残すのである。それもこれも、しっかりとした文章力のたまものだろう。
『あの日にかえりたい』が第百四十三回直木賞にノミネートされ(受賞作は中島京子『小さいおうち』)、『メグル』は第十三回大薮春彦賞の最終候補にも選ばれたが(受賞作は平山夢明『ダイナー』)、惜しくも受賞には至っていない。そのあとも作者は、村に秘められた謎をめぐる伝奇ホラー『蜜姫村』(一〇年十月、角川春樹事務所→ハルキ文庫)、おんぼろアパートの住民たちが霊たちと交流する『てふてふ荘へようこそ』(一一年五月、角川書店→角川文庫)、沖の謎の城に迷い込む『四龍海城』(一一年七月、新潮社→新潮文庫改題『君の波が聞こえる』)などのファンタジー、スキージャンプを題材にしたスポーツ小説『向かい風で飛べ!』(一三年十二月、中央公論新社→中公文庫)、中学校の分校を舞台にした感動的な青春小説『願いながら、祈りながら』(一四年三月、徳間書店→徳間文庫)、大正時代の北海道を舞台にした水辺を守る一族のファンタジックホラー『ミツハの一族』(一五年四月、東京創元社→創元推理文庫)など、次々力作を発表している。作家は自分の可能性を広げたいし、何でも書けることは重要であるけれど、やや統一感には欠けるかもしれない。
だが、そうはいっても、乾ルカの小説を読んでいれば、乾ルカが何にもっとも関心をもっているかはわかる。『あの日にかえりたい』『メグル』『君の波が聞こえる』ほかがそうだが、ファンタジーである。そしてこのファンタジーにもっとも果敢に挑んだのが、本書『青い花は未来で眠る』(単行本『11月のジュリエット』を改題)である。あらためて乾ルカは、ファンタジー作家なのだと思うだろう。
物語はまず、ある薬物化学研究所職員が殺される場面から始まる。
手をくだしたのはロングコートの殺し屋ゼタで、リーダーのサミュエルは、プラチナブロンドの二人の少年たちを部屋によび込む。そして、少年たちが作った培地に、懐におさめていた萎れた花を触れさせる。触れるやいなや花は勢いをとりもどし、みな喜ぶ。
そのあと、高校の修学旅行でアメリカに向かう梅木優香の視点になり、洗練された物腰の清冽な香りすらただよう四人の外国人たちが乗り込む姿が捉えられる。優香に見つめられたのは、サミュエルとゼタと双子の少年たち。彼らは二階のビジネスクラスの座席に坐り、ひそかな計画を実行へと移し始める。
やがて旅客機はサミュエルたちに乗っ取られ、あるところに不時着する。機内では、キャビンアテンダントを装った双子が撒いた何かで乗客たちが錯乱して自らを傷つけ、人がばたばたと死んでいく。気づくと生き残ったのは優香を含めて四人だけだった。会社員の白山と無職の青年の陣内と、ポケット六法を手放さない高校二年の小田、そして空手の選手でもある優香だ。
こうして不時着した飛行機内で、異国の男たちと、日本人四人の対決が始まる――。
紹介できるのはここまでだろう。ここまで紹介すれば、読者は、航空機サスペンスと思うかもしれない。航空機内での人物ドラマが進行していくからだが、しかし途中から主要人物が語る、ある事柄に、え? と目をみはることになるし、作品の三分の二あたりで大きく物語の舞台背景が明らかになると、おいおいそういう話なの? と驚くことになる。だれもネタを想像できないからだ。単行本の帯には〝近未来サスペンス〟とあったが、僕なら〝近未来SFファンタジー〟とつけるだろう。
そう、でも、装いはあくまでもサスペンスである。前半は緩やかな展開で、旅客機のなかでの対決とアクションは一気に進まない。なぜなら悪人たちも、迎え撃つ乗客たちも、体調が不安定で、休戦状態に入るからである。でもそのインターバルはいわば、悪人たちの行動と動機を少しずつ明らかにするための、そして戦いを強いられる優香をはじめとする日本人四人の人生をのぞかせる過程でもある。カットバックを使ってもっとスピーディに語ってほしいという読者もいるかもしれないが、このゆったりとしたテンポが乾ルカの特徴でもあるし、何よりも物語の核心の秘密(驚きます)へと読者を確実な感触で到達させたかったのだろう。
たしかにそれは功を奏していて、人物たちが味わう無力感がじんわりとしみてくる。ヒーローもヒロインもいない世界での絶望的な葛藤を見すえて、人は何もなしえないかもしれないと思ってしまうからだ。でも、もちろんそれだけでは終わらず、何もなしえないかもしれないが、何かをなしえると思えたときに将来が見え、未来に生きる足掛かりをえることを静かに強く訴えてくる。
インターネットの感想を読むと、あまりに人が亡くなっていくので殺伐とした印象を覚えた人も多いようだが、三年ぶりに読み返すと、ある種の冷徹さが、逆に親しく感じられるから不思議だ。読者をとりかこむ環境や状況が、三年間で変わったのではないか。いちだんと絶望と孤独が深まり、安易な感動や共感を排除した物語を冷静に受け止められる状況にある。つまり、無様で、暴力的で、どこまでも痛めつけられ傷ついても、それでも人は生きていくという現実がよりリアルになったということである。いや、生きていくことを選択する者にこそ、可能性が開かれるといったほうがいいかもしれない。より厳しい現実をとことん教えてくれるのである。もちろんそこには無傷な者はいない。犠牲者も出る。死者も出る。生きることの模索において誰かの犠牲の上に、自分たちの人生が形作られていくことを(物語が秘めている真相を知れば知るほど)、それを実感できるのではないか。
本書『青い花は未来で眠る』は、少年、異世界、絆、死、再生など、テーマ的にも乾ルカの要素が揃っているといえる。ミステリファンならプロットにひねりが、活劇ファンなら各個性の見せ場がほしいと思う人もいるだろうが、乾ルカは自分のもつテーマを航空機サスペンスとして膨らませ、サバイバル劇で昇華させている。何よりも、乾ルカらしい、切なくも悲しいファンタジーとして完結させているのがいい。乾ルカの意欲作としてファンは満足するのではないか。
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