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連載

河野 裕「昨日星を探した言い訳」 vol.7

境界線を消したい少女と、境界線に抗う少年の、ボーイ・ミーツ・ガール! 河野 裕「昨日星を探した言い訳」#1-7

河野 裕「昨日星を探した言い訳」

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 桜井真琴に初めて会ったのは、始業式の前日だった。
 それは私が、紅玉寮に入った日でもある。
 紅玉寮での私の扱いは、だいたいがイメージ通りだった。私は寮母さんと、寮長をしている高等部の三年生に続けて挨拶をした。ふたりは共ににこやかだったけれど、寮長の方は笑みが硬い。クオリティの低い作り笑いだ。正面からネガティブなことを言われるわけではないけれど、歓迎されていない雰囲気は伝わった。
 他の生徒への挨拶は夕食のときで良いということで、私は自分の部屋に向かった。その途中、ふたりの寮生とすれ違い、できるだけ明るくみえるよう心掛けて挨拶をした。一方はぶっきらぼうに「よろしく」と応えただけで、もう一方は返事もなかった。
 紅玉寮の外観は、古風な木造の洋館といった感じだ。壁は横長に張られた板が白に近いクリーム色で塗られていて、屋根は深い赤だ。柱の塗装はこげ茶色で、よいアクセントになっている。だから自室にもそれなりのおもむきを期待したのだけれど、そちらはあまり美的な感覚が重要視されたものではなかった。一〇年ほど前に改装されたそうで、味気ないフローリングに現代的な家具が置かれた、ごくありきたりな賃貸マンションのワンルームといった感じだ。窓だけはこの洋館が建った当時のままなのだろう、しやた出窓で、明らかに浮いている。
 私はそれほど大きくもないトランクを部屋の隅に置いて、荷ほどきよりも先に、ベッドに身を投げ出した。ベッドのマットはぶ厚くて、それなりに良いものを使っている。
 紅玉寮を選んだ理由は、いくつかある。
 制道院のトップに立つために──それを周囲に認めさせるために、紅玉寮に入るのが最適だったこと。この寮には成績も家柄も良い生徒が多く、上手く人間関係を築けたなら、将来の役に立ちそうだったということ。それに個室が欲しかったこと。
 できるだけ上手く強がっているつもりでも、不安は湧き上がってくる。親のいない子として若草の家にいたころから、まだ四年もっていないのだ。制道院という学校に、私は不釣り合いなのではないか。清寺さんがいたなら状況は違ったかもしれないけれど、彼は去年の秋に亡くなった。今もまだ彼のことを思い出して、泣きたくなることもある。でも人前で泣くのは嫌いだ。独りきり、弱い自分でいられる場所が欲しい。だから個室が欲しかった。
 ベッドでうつ伏せになり、枕に顔を押しつけて考える。
 ──私は欲張りでなければいけない。
 ひとつも諦めるつもりはない。みんな手に入れる。とりあえずは、この学校で得られるものをみんな。好意も敵意も善意も悪意も、なにもかもを受け取って私の武器にする。圧倒的に強い私になってここを卒業する。
 頭の中では、これから私に投げかけられる言葉を想像していた。そのひとつひとつに、いちばん効果的な反撃を考え抜いた。そうしているとノックの音が聞こえた。
 私は慌ててベッドから起き上がる。服のしわを手のひらで直しながら、「はい」と返事をする。ドアはなにも言わない。
 私は一度、深呼吸をして、ドアノブを回した。
 そこに立っていたのは、髪の長い女子生徒だった。私よりは小柄だ。とはいえ私は背が高い方だから、まあ平均的な身長だろう。
「初めまして、桜井さん」
 私が名前を呼ぶと、彼女は明らかに驚いた。口元に、素直に感情が出る子だ。
「私を知っているの?」
「まだ名前くらいだよ。クラスも寮も同じ子は、桜井さんしかいないから」
 よろしくお願いします、と私は会釈する。きっと綺麗に笑えている。
 彼女は顎を引いて私を睨んだ。
「今すぐ、この寮を出て」
 その言葉は、想定していたもののひとつだった。私は困り顔を浮かべてもよかったのだけど、そうはしなかった。笑みを崩さずに尋ねる。
「どうして?」
貴女あなたはここに、ふさわしくないから。どんな家の子だか知らないけど、紅玉寮は寄付金だけで入っていい寮じゃないの」
 これも。まあ、わざわざ口に出すほど単純な人はいないと思っていたけれど、私に向けられるありふれた疑問だろう。
 だから、混乱しない。受け流す言葉を用意している。
「どうして怒っているの?」
 怒っているわけじゃない、といった反応を予想していた。でも、それは外れた。
 大きな声で桜井は言う。
「貴女がルールを無茶苦茶にしたからよ」
 私は、若草の家の職員が子供たちにそうしていたように、できるだけ優しい声で尋ね返す。
「ルールってなに?」
「紅玉寮に入るのは、とものはずだった」
 知っている。がし朋美。坂口孝文に次いで成績のよかった生徒だ。彼女は常に、桜井を上回っていた。
 私は、ゆっくりと頷いてみせる。
「なるほど。つまり、私よりも八重樫さんの方がこの寮にふさわしいのに、そうなっていないから怒ってるのね」
「そうよ。どうして、貴女なんかが──」
「この寮には、どんな人がふさわしいの?」
 とつには答えられなかったのだろう、桜井が口をつぐむ。
 彼女の言い分は、端的に言って無茶苦茶だ。入寮の選考に疑問があるのなら、文句は学校に言うべきで、私の知ったことではない。でも私はそんな風な反論はしない。それは私が立っていたい場所ではないから。
「桜井さんの話はわかった。でも私たちはまだ、お互いのことをよく知らないよね? 私がこの寮にふさわしくないと言うのなら、具体的に指摘して欲しい。その通りだと思ったら、ここを出ていくよ」
 話はこれで、おしまいだ。
 でも私の方から会話を打ち切ってあげるつもりはなかった。
「部屋に入る? この学校の話を聞かせてくれると嬉しいな」
 彼女はようやく、言葉を思い出したようだった。可愛い顔をゆがめて言った。
「嫌よ。貴女と話すことなんてない」
「そう。残念」
 そっちから会いにきたくせに。
 私はドアを閉めかける。でも閉まり切る前に、言った。
「紅玉寮に、ふさわしい振る舞いを心がけましょう。お互いに」
 ドアの隙間からみえた桜井は、顔を引きつらせていた。私は音をたてないように注意してドアを閉める。
 成績だけが基準であれば、私が奪った席は、八重樫ではなく桜井のものだったはずだ。なのに桜井はこの寮に入り、八重樫がはじき出された。つまり個人の能力ではどうしようもないことを理由に、入寮者の選定はなされたのだ。彼女はそのことを、どう考えているのだろう。
 ──ま、なんでもいい。
 私は、彼女と同じ場所まで下りはしない。
 若草の家にいたころ、周囲の人々は、自然と私の上に立っていた。大人も子供も変わらず。善意、悪意の区別もなく。学業の成績でも、運動能力でもなく、家庭の環境と身体的な特徴を理由に、私の立ち位置は常に最下層だった。
 私は上に立つために、ここにきた。自分の足で。自分の意志で。
 だから、誰も嫌わない。個人的な怒りを表に出さない。周りのみんなを私よりも弱いものとして扱って、どんな不条理だって正面から受け止めてやる。
 そう決めていたけれど、多少疲れて、私はまたベッドに倒れ込んだ。

#1-7へつづく
◎第 1 回全文は「カドブンノベル」2020年1月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年1月号

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