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連載

河野 裕「昨日星を探した言い訳」 vol.8

境界線を消したい少女と、境界線に抗う少年の、ボーイ・ミーツ・ガール! 河野 裕「昨日星を探した言い訳」#1-8

河野 裕「昨日星を探した言い訳」

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 想像の通り、私は嫌われていた。
 理由は、桜井がわざわざ言いに来たものとだいたい同じだろう。彼女はルールと表現したけれど、つまり私が制道院の秩序を乱したのだ。とりあえずは転入してすぐに紅玉寮に入ったことで。
 とはいえ誰もが、桜井のように振る舞うわけではなかった。始業式の日には、私に話しかけてくれるクラスメイトもゼロではなかった。私もできる限り愛想よく対応していたはずだけど、でも間もなく、私はクラスで孤立した。
 単純に考えるなら、その理由はやはり桜井だろう。紅玉寮の生徒は、この学校では特別な地位を持つ。だが桜井が昨年の成績であの寮に入ったのに対して、私の方ははたには理由がわからない。桜井が私を嫌っているなら、自然とクラス全体に「茅森に近づくべきではない」という雰囲気が生まれる。
 誰もが私を避けたがっているなか、ホームルームでそれぞれの委員を決めた。まず投票でクラス委員長を男女ひとりずつ選び、彼らの取り仕切りで残りを進める。女子のクラス委員長は桜井だった。
 私は図書委員に立候補した。
 はい、と言って手を挙げると、教壇に立つ桜井が私に冷たい目を向ける。
「ほかに、立候補する人はいますか?」
 と彼女は言った。手は挙がらない。
「では、女子の図書委員は、茅森さんにお願いします。男子で、図書委員に立候補する人はいますか?」
 教室は静まり返っている。戦地で気弱な兵士たちが潜むざんごうみたいに。
 みんな、決して撃たれたくないのだ。不用意に危険な場所に歩みを進めたくない。好きなだけ怖れればいい、と私は胸の中でささやく。このあとのじゃんけんで負けた不運な誰かひとりが、私の銃弾のじきになる。できるだけ優しくしてあげる。
 だがやがて、教室が別の音を立てる。何人かが驚きで息を飲む、ささやかな音の集合が奇妙に大きく聞こえた。
 声も出さずに手を挙げたのは、坂口孝文だった。彼はクラス中の視線を集めながら、へんに真面目な顔で黒板をみつめていた。
「どうして?」
 と誰かが言った。
 実際にそれを口にしたのは、桜井だったように思う。でも確信を持てなかった。私自身がつぶやいた言葉だったような気がしていた。
 坂口と私に、繫がりはないはずだ。私が一方的に、ライバル視していた相手。でも勝手にその座から脱落した相手。今となってはもうクラスメイトのひとりでしかない。なのに私は不思議と、彼をよく目で追っていた。だから坂口が私に、悪意も善意も、好奇心さえも向けていないことを知っていた。寡黙で小柄な、空気のような少年。
 ──どうして、貴方が手を挙げるの?
 誰かの質問に坂口が答える。
「本は好きだよ。慣れてもいる」
 彼はいつだって短く喋る。慣れている、というのは、図書委員に、ということなのだろうけれど、もっと別の意味も含めているように聞こえた。たとえばこういった、静まり返った教室で手を挙げるのに慣れている、という風に。
 ずいぶん長い沈黙のあとで、桜井がぼそぼそと告げる。
「では、男子の図書委員は、坂口くんにお願いします」
 坂口は私の戦場を、表情もなく横切っていったのだ。発砲の音は聞こえなかった。
 いったい坂口は、なにを考えているのだろう。
 気がつけば私は、その小柄な少年の横顔にまた目を向けていた。

「どうしようもない頑固者だよ」
 と坂口のことを評したのは、綿貫条吾という名前の男子生徒だった。
 彼は同じ学年だが、クラスが違うため面識はなかった。でも坂口のもっとも親しい友人だと聞き、私の方から声をかけた。
 現在の制道院では、車椅子で生活を送っているのは綿貫ひとりだけだったから、彼をみつけるのは難しくなかった。放課後の校庭の片隅で、私は綿貫を呼び止めた。そのとき彼は寮に戻る途中で、小柄な女子生徒に車椅子を押されていた。
 綿貫は腕を組んでこちらをみつめる。冷たい目だった。
「オレは坂口が、自分の意見を曲げるところをみたことがない。でも争うのが好きなわけでもない。だからあいつは、いつも馬鹿みたいにぼんやりしているんだよ。氷の上で寒さに耐えるペンギンみたいに、じっとやり過ごしている。本当に許せないものが、うっかり目の前に現れるまでは」
 その話で、すっきりとに落ちたのはひとつだけだった。たしかに坂口の雰囲気はペンギンに似ている。
「坂口くんは、なにが許せないの?」
「さあ。それは本人に訊いてくれ」
「訊いたら教えてくれると思う?」
「適当にはぐらかされておしまいだろうな」
 私は笑う。
「ならやっぱり、貴方から聞くしかないじゃない」
 綿貫も、ほのかにほほ笑んだ。笑うと彼は心優しい少年にみえる。
「オレからも話せることはないよ。実際、よく知らないんだ。坂口のことは」
「でも、友達なんでしょう?」
「だから友達なんだよ。踏み込むべきじゃないところには、踏み込まないのが友情だ」
 なかなか詩的な言葉だ。
 でも納得はできない。
「そんなの、誰にもわからないでしょう」
「そんなの?」
「つまり、貴方が言う踏み込むべきじゃないところ」
 相手が嫌がるところまで踏み込んで、問題が悪化することも、改善することもあるだろう。どちらが正しいのかなんて結果でしか計れない。ただ傍観している方が、責任を感じなくて気楽だ、というだけのことに思える。
「そうかな」綿貫は、彫刻刀で彫ったような深い皺を眉間に寄せる。「そうかもな。でもわからないものに、オレは近づきたくないよ」
 行こう、と彼は、小柄な女子生徒に声をかけた。彼女は小さく頷き、再び車椅子を押し始める。
 私の方は、まだこの会話を終わらせるつもりがなかった。
「どうして坂口くんが成績を落としたのか、知ってる?」
 そう声をかけると、綿貫が──正確には、彼の車椅子を押す女子生徒が足を止めた。綿貫は彼女を見上げて言う。
「すまない。今日は、ここまででいい」
 女子生徒はまた頷き、ひとり寮の方へと歩いていく。
 私は車椅子に近づいて、小声で尋ねる。
「恋人なの?」
 綿貫は、ちようにみえる笑みを浮かべた。
「制道院では、恋愛は禁止されている」
「正確には、不純な異性交遊が」
「なにが不純なのか、オレにはわからないけどね。少なくともオレとあいつは、残念なことに性別が違う」
「それで?」
「足が動かないのは面倒だが、悪いことばかりじゃない。たとえば彼女と一緒にいる言い訳にはなる」
「それはよかった」
 と口にしてから、皮肉に聞こえなかっただろうかと心配になった。自爆のようなものだけど、それで動揺して、私は尋ねる必要のないことを口にする。
「あの子が八重樫さん?」
 八重樫朋美。私が、紅玉寮の席を奪った生徒。
 綿貫は少し驚いたようだった。
「知っていたのか」
「あの子の目も、緑色だから」
 噓じゃない。私が彼女を気にしている理由のひとつではある。でも、より重要な方──寮のことには触れなかった。
 綿貫は、こちらに理解を示すように頷く。彼の方から話を戻した。
「君は知っているのか? 坂口の成績のことを」
「さあ。授業についていけなくなったの?」
「違う」彼は、少し怒ったようだった。「テストを一科目、ボイコットしたんだ」
 私は馬鹿みたいに、ボイコット、と反復する。
 綿貫は口早に言った。
「おそらく、白紙で答案用紙を提出した。でなきゃあいつが0点なんて取るかよ。途方もなく頑固なんだ。あの馬鹿は」
「どうして、そんなことを?」
「知るか。それこそ本人に訊けよ」
 私にはわからないなにかが、綿貫を感情的にしていた。どうして? 坂口の成績のことで、綿貫が苛立たなければならない理由があるのだろうか。彼は勢いよく車椅子の車輪を回す。しゃららと校庭の土が鳴る音が離れていく。
 一方で私の方も、気持ちが荒れるのを感じる。
 ──白紙?
 ふざけるな。
 私があいつに勝つために、どれだけ時間を使ったと思っているんだ。

#1-9へつづく
◎第 1 回全文は「カドブンノベル」2020年1月号でお楽しみいただけます!


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