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連載

河野 裕「昨日星を探した言い訳」 vol.4

境界線を消したい少女と、境界線に抗う少年の、ボーイ・ミーツ・ガール! 河野 裕「昨日星を探した言い訳」#1-4

河野 裕「昨日星を探した言い訳」

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 茅森良子が清寺の関係者だったとしても、彼女への印象は変わらなかった。
 自己紹介で堂々と、総理大臣になると宣言した少女のままだった。
 いったいどんな考えで、彼女が総理大臣なんてものを目指すのか僕には理解できなかった。いや、どちらかといえば、勝手にその目標の成り立ちを想像して、内心では顔をしかめていた。
 一方で茅森は、愚かなわけではなかった。
 転入直後に紅玉寮に入る、なんて過剰に注目される行動を取りながら、その波に飲み込まれはしなかった。乗りこなすというよりは、硬く巨大な岩のように力強く荒波を打ち砕いていた。
 単純に言って、彼女は優等生だった。その姿勢を徹底していた。学業が優秀で運動も問題なくこなし、注意深く、抜け目なく優しい。
 誰もが茅森に注目していた。唐突に現れた少女が紫紅組に、そして清寺時生の娘にふさわしいのか判断を下そうとしていた。そして茅森は、ほんのひと月ほどでその審査員たちを──全体ではなくとも一部を納得させた。だが彼女が優秀であればあるほど、反感を抱く生徒もいるようだった。茅森良子は急速に敵と味方を作った。
 僕はその姿を間近でみていた。
 彼女が転入してきた直後──四月の上旬から、たまたま接点が生まれたのだ。僕も彼女も同じ、図書委員になったから。
 彼女の性質は、図書館でもいかんなく発揮された。
 委員の仕事を瞬く間に覚えた彼女は、獲物を狙う肉食獣みたいに周囲を観察して、鋭利な爪で引っくように手を差し伸べた。先回りして資料を準備し、遅れている仕事を手伝い、時間があればどこかから雑用をみつけてきている。彼女の姿に尊敬の目を向ける生徒と、苛立たしげににらむ生徒がいる。
 茅森は徹底して、そのどちらにも同じほほみを返した。

 五月の半ばのある日、僕は彼女とふたりきりで貸し出しの当番になった。
 茅森がよく働くものだから僕にはほとんど仕事が回ってこず、加えて他の、彼女に敵意を向ける生徒もいなかったその時間は、ずいぶん平穏に流れた。
 とても天気の良い日で、制道院の図書館は住居として作られた洋館を移築したものだったから、居心地も悪くない。本が保管されている部屋は窓に厚手のカーテンが引かれているけれど、玄関から直結する、貸し出しカウンターがあるスペース──もともとはリビングだった部屋──はより開放的だ。そこには読書や勉強のための机が並んでおり、蔵書の類はなかったから、大きな窓から暖かな光がしこんでいた。
 まるでピクニックに行って、レジャーシートを敷いて、ぽかぽかとなたぼっこをしながら昼寝をしているみたいだった。実際僕は、カウンターの席で船をいでいた。気がつくと窓から射す光は夕日のあかね色に染まり、足元はもう薄い影に沈んでいた。
 居眠りから目覚めたとき、僕は軽く混乱した。今自分がどこにいるのか、ほんのわずかな時間、見失っていた。そのせいで「さかぐちくん」と名前を呼ばれて、とくに注意もなく返事をしてしまった。
「なに?」
 その声が、冗談みたいに裏返る。な行は注意しなければいけないのに。頰が熱くなり、夕焼けが赤面を隠してくれるよう願う。
 顔を上げると、隣に座った茅森がこちらをのぞき込んでいる。
「綺麗な声」
 なんて皮肉だ。茅森はにたにたと楽しげに笑う。思わず反論しそうになり、僕は息を吐いて誤魔化す。さっさと受け入れてしまえと思うのだけど、いまだに綿貫のほかに、素の声を聞かせるのは苦手だ。
 どうにか心を落ち着けて、できるだけ低い声で僕は言い直す。
「なに」
「もう閉館だよ」
「そう」
「坂口くんは寮に戻っていいよ」
「君は?」
「いちおう、中川先生の確認がいるから」
 司書教諭の中川先生は見当たらなかった。蔵書の整理かなにかをしているのだろう。彼女は凝り性で、手を動かし始めると時間を忘れる傾向がある。
 僕は席から腰を浮かせる。
「探してくるよ」
「いいよ。先生の邪魔をすることもないでしょう。寮に帰っても、夕食まですることもないし」
「ここにいても、することはない」
「本を読んでいればいいよ。それに、棚の整理をしたいから」
「整理?」
「五十音順に並べ直すの、けっこう好きなんだよ」
 そう、と僕は、胸の中だけで答える。
 省いてもいい言葉は口にしないことが、いつのまにか癖になっていた。
「じゃあ、僕はあ行から」
 彼女に背を向けて、蔵書のある部屋に向かう。茅森が後ろをついてくる。
「帰っていいよ?」
「僕も、することがない」
 旧リビングから、二階にある旧ベッドルームに移動する。著者名の頭文字が「あ」から「そ」までの小説はこの部屋にある。
 あ行の本棚を眺めると、がわらんの少年探偵団シリーズのあいだに、あさのあつこが混じっていた。僕はあさのあつこを抜き出す。その本があるべきところは、本棚のいちばん上の段だった。残念ながら、僕の手が届かない段だ。正確にはなんとか指先が触れるくらいで、上手く本を差し込めない。
 僕がきょろきょろと踏み台を探していると、茅森が言った。
「貸して。私がやる」
 茅森は僕よりも少し背が高い。比べたことはないけれど、おそらく手も長いだろう。
 無理をして低い声で「ありがとう」と応えて、あさのあつこを差し出す。
 それを受け取った茅森は、だが本を棚に戻す前に僕をみつめた。
貴方あなたは、不思議ね。プライドが高そうなのに」
 意味がわからなくて、僕の方も茅森をみつめる。彼女は言った。
「プライドが高い人は、まだ私を無視するでしょう? とくに、こんな風に、できないことをやってあげようとしたときには、たいてい怒った顔になるもの」
 なんだか少し、いらいらする。僕は短く答える。
「高いよ。だからだろ」
 さすがに省略しすぎだろうか。
 小学生のころ、僕はプライドが高い子供だった。当時よく言えば大人びていた僕は、生意気だったとも表現できる。正直、同年代どころか、大人たちだって見下していた。僕は賢いのだと無根拠に信じていた。
 今はもう違う。制道院に入って、僕は自分への信頼を失った。でも正しいプライドの持ち方くらい知っている。
 できないことは認めるべきだ。手助けしてもらったなら礼が必要だ。そしてできなかったことは、できるようになるまで努力する。これまで身長を伸ばす努力というのはしてこなかったけれど、手遅れではない。僕の成長期はまだ三年くらい続くはずだ。
 なんてことを言いたくて、言葉を補おうとしたけれど、その前に茅森はささやいた。
「やっぱり私のライバルになるのは、坂口くんじゃないかって気がするな」
 ライバル、と僕は胸の中で反復する。あまり格好良い言葉ではない。さらにいうなら、普段の茅森が使いそうな言葉でもない。でも、教壇で自己紹介をしたときの彼女には似合うような気がした。
 茅森は刺すように笑う。
「私には目標がある。ずっと先まで」
 僕は思わず、「総理大臣」と口に出した。な行が含まれていなくてよかった。
 茅森は笑みを変えない。
「それも目標のひとつではある。でもゴールじゃない」
「じゃあ、ゴールは?」
「人類の平等」
「本気で言ってる?」
「私、噓をついたことがないの」
 僕は内心では、すでに彼女を認めつつあった。
 少なくともなんの努力もせずに漠然と「将来の夢は総理大臣です」と言っているわけではないのだろう。彼女は本当に総理大臣を目指しているのだ。現実的に、力強く。
 茅森は続けた。
「なんにせよ、もっと間近な目標もある。私はとりあえず、この学校の生徒会長になる」
「そう」
 好きにすればいい。
 この子なら、それくらいは成し遂げるかもしれない。
「だから高等部に進級するときの、代表の挨拶は私がする。知ってる? 過去二〇年間の生徒会長は、半分が進級時の代表に選ばれてるの」
 まったく知らない。興味もない。
「頑張って」
 と僕は答えた。
 それは、わざわざ口にする必要のない言葉だった。僕がなにも言わなくても、彼女は勝手に頑張るだろう。トップの成績で中等部を卒業し、進級時に美しい声で的確な挨拶をしてまた味方と敵を増やし、翌年には生徒会長になっているだろう。
 たしかに制道院の生徒会長は、政治家になるルートとしてひとつの正解なのかもしれない。この学校は卒業生との繫がりが強く、その卒業生の中には有力者と呼ばれる人物が何人もいる。でも彼女の人生がどれほど輝かしいものでも、僕には関係ない。
 そのはずだった。なのに、茅森は言った。
「貴方も頑張って」
 どうして? とは尋ねなかった。なんだか意外で、上手く言葉の成り立ちを想像できなかった。
 黙り込んでいる僕に、彼女は続ける。
「ここに来る前に、色々調べてみたんだよ。制道院の同級生じゃ、坂口くんに勝てれば、私がいちばんだと思っていた」
「そう」
「どうして、テストを白紙で出したの?」
 僕は答えなかった。答えることが恥ずかしかった。
 昨年から、僕はずっと意地を張っている。その姿勢は格好悪く、子供じみている。高い声と同じように。でもその意地を捨てる方法を僕はまだ知らない。
 くすりと笑って、彼女は右側の頰を指さした。
「ほっぺた、汚れてるよ」
 僕は頰を押さえた。

#1-5へつづく
◎第 1 回全文は「カドブンノベル」2020年1月号でお楽しみいただけます!


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