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連載

河野 裕「昨日星を探した言い訳」 vol.3

境界線を消したい少女と、境界線に抗う少年の、ボーイ・ミーツ・ガール! 河野 裕「昨日星を探した言い訳」#1-3

河野 裕「昨日星を探した言い訳」

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 すでに四年以上も無口な人間として育った僕には、ひとつの特技があった。「たいていの話を聞き流してすぐに忘れられる」というものだ。
 おそらく人は、喋ろうとするから感情的になるのだ。自分の声に説得されるように、なにかを信じたり疑ったりする。初めから喋るつもりがなければ、他人の言葉というのは意外なくらいに心に残らず、ふわりと浮かび上がってどこかへ消える。幽霊が成仏するときみたいに。
 誰もが茅森良子を気にしていた。僕の耳にも、噓だか真実だかわからないあれこれが聞こえてきたけれど、意図してそれらの言葉から距離を置いた。だから茅森に関しては、なにも知らないに等しかった。
 意外だったのは、綿わたぬきじようまで彼女を話題にしたことだ。綿貫は入学したときから寮の同室で、僕の数少ない友人といえる。
 つまらなそうに彼は言った。
「茅森は、こうぎよく寮に入ったみたいだな」
 制道院には、男女三棟ずつの寮がある。
 男子寮が、うんせいげつはく。女子寮がこうぎよくおうえんこつ。これらの寮には明確な順列がある。単純にいって設備が違う。
 僕たちが入っている白雨と、女子寮の黒花がもっとも下位にあたる。生徒間ではモノクロ組と呼ばれるこのふたつの寮はふたり部屋だ。それぞれの部屋に学習机がふたつと二段ベッドという構成になる。中等部一年は全員がモノクロ組に割り振られ、そのうちの半数は六年間を同じ寮で暮らす。
 中位に当たるのが、男子であれば青月、女子であれば黄苑。こちらもふたり部屋だが、ひと部屋あたりのサイズが大きく、ベッドもそれぞれ個別のものになる。さらに学習部屋と呼ばれる大部屋が別にあり、そちらに寮生ひとりずつの机が用意される。制道院で彩色組といえば、基本的にはこのふたつの寮を指す。
 そして最上位が、紫雲と紅玉だ。男女共に二〇名ずつ、計四〇名。在学生の一割に満たない人たちしか入居できない紫雲と紅玉では、シンプルに個室が与えられる。これらの寮はこう組と呼ばれる。
 中等部の二年生以降は、進級時に希望を出すことでより上位の寮に移ることができる。とはいえ部屋の数には限りがあるから、どの生徒がどの寮に入るのか、学校が選定することになる。
 この選定基準は、明らかにはされていない。でも不文律のようなもので、生徒のあいだに共通認識がある。つまり成績と寄付金だ。
 僕はこのシステムが、アンフェアだとは思わない。成績というのは個人の能力で、優れた人が優遇される世の中に文句はない。寄付金に関しても当たり前で、世のひとり暮らしをする大学生だって社会人だって、多くの金を出せばよい部屋で暮らせるだろう。
 それでも僕は、制道院の寮というものに馴染めなかった。
 共同生活より慣れない洗濯より、寮の格差が苦手だった。
 設備のことは別にいい。でも制道院では、寮がそのまま階級を表す。位の高い寮に入っている生徒は、より下位の寮の生徒よりも偉いのだ。もちろんそうしろと校則に書かれているわけではないけれど、雨雲に似た重たいものが僕たちに覆いかぶさり、そのルールを受け入れさせる。簡単に言ってしまえば、伝統と呼ばれるものが。
 綿貫が言った。
「中等部の二年で転入して、いきなり紅玉寮というのは前代未聞じゃないか?」
 僕は明確な返事をせず、首をかしげるだけにとどめた。制道院の歴史なんか知らない。
 綿貫の方も、僕の返事を求めていたわけではないのだろう。一方的に喋る。
「なんにせよ、馬鹿な話だよ。わざわざ紫紅組を選ぶのはな。人間関係なんて自然災害と同じだろう。人が集まれば当たり前に荒れるものだろう。そんなものに飛び込んで、なんになるっていうんだ。ドン・キホーテよりなお悪い。風車に戦いを挑むのは笑い話で済むが、災害に自分から巻き込まれにいくのは二次被害を生むだけだ」
 彼はよく喋る男だった。一方で、言いたいことをそのままは口にしない男だった。
 つまり綿貫は、茅森を心配しているのだろう。制道院において寮は階級を表すが、逆差別のようなものも発生する。周囲から不当にみえる形で紫紅組になった生徒には風当たりが強い。
 入学直後からルームメイトだった綿貫にだけは、僕は声質を気にすることなく喋ることができた。思ったことを、そのまま口にする。
「ここのことを、まだよく知らないんだろう。個室が欲しかっただけじゃないのか?」
 でも彼は首を振る。
「茅森は知っているよ。知っていて、あの寮を選んだんだ」
「どうしてわかるの?」
「当たり前だろ」
 綿貫は僕の顔をみつめて、それから、ハンカチ落としみたいにそっと言った。
「あいつの養父は、清寺時生だぞ」
 それは、初耳だ。
 制道院において、清寺はある種の神格化された存在だった。
「本当に?」
「知らなかったのか」
「たしかなの?」
「少なくとも、本人はそう言っている」
「清寺時生が?」
 と、僕は馬鹿げた質問をした。彼は昨年の秋、病で亡くなっている。そのことは大きなニュースになったし、制道院でもついとう式が行われた。
 綿貫は僕の言葉を、冗談だと思ったらしい。軽い口調で答えた。
「まさか。茅森だよ」
 本当に茅森良子が清寺時生の娘なら──綿貫は養父という言い方をしたけれど、なんにせよ清寺と深いつながりがあるのなら、彼女がこの学校の不文律を知らないなんてことはないだろう。清寺が在学していたころの方が、今よりもさらに、制道院が制道院らしかったはずだ。
 綿貫は瞳だけを動かして、ちらりと僕の顔をうかがった。
「お前はどうして、寮を変えなかったんだ?」
 きっと本題は、こちらだったのだろう。彼には、僕が成績を落としたことは伝えていない。
「紫雲に行けっていうのか? あそこに入れるほど、優秀じゃないよ」
「そう違和感もないけどね。青月なら、入っていない方が不思議なくらいだろう」
「あそこだってふたり部屋だ。一緒に暮らすなら君がいいよ」
 綿貫は顔をしかめる。
「気持ちの悪いことを言うなよ」
 僕が青月寮に入れるなら、綿貫だって同じだ。成績も、家の資産も。彼は勉強ができるし、家は半導体を作っている会社だ。でも綿貫がこの白雨寮を出ることはない。
 モノクロ組には、他の寮にはない設備がふたつだけある。入口のスロープと、大きな個室トイレだ。
「喉が渇いた」
 そう言って綿貫は、車椅子の車輪を回した。
 彼は生まれつき、足が不自由だ。

#1-4へつづく
◎第 1 回全文は「カドブンノベル」2020年1月号でお楽しみいただけます!


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