カーレド・ホッセイニ 著、佐藤耕士 訳『君のためなら千回でも』上・下(角川文庫)の刊行を記念して、下巻の巻末に収録された「解説」を特別公開!
カーレド・ホッセイニ『君のためなら千回でも』上・下 文庫巻末解説
解説
カーレド・ホッセイニにインタビューしたのは二〇〇七年、彼の小説『君のためなら千回でも』が映画化された時だ。
『君のためなら~』はホッセイニの自伝的小説で、一九六五年にアフガニスタンの首都カブールに生まれた彼がアメリカに亡命してからの体験が反映されている。
『君のためなら~』の主人公アミールはホッセイニと同じく、イーストベイ(サンフランシスコの東対岸)に住む。三十万人のアフガン系アメリカ人の大半がそこに住んでいる。筆者も二〇〇〇年からイーストベイに住んでおり、アフガン系の隣人と親しんできたが、彼らの体験についてそれほど深く考えたことはなかった。『君のためなら~』を読むまでは。
ホッセイニが生まれてから今までにアフガニスタンがたどった歴史はまるで地獄だ。
彼が生まれ育った一九六〇年代、アフガニスタンは貧しいけれど自由な国だった。ザヒール・シャー国王の下、民主選挙による立憲君主制が実施されていたからだ。劇場では普通にアメリカ映画が公開されていた。『君のためなら~』のアミールの父がフォード・マスタングに乗るのはスティーヴ・マックィーンの『ブリット』に
英米のポップ・ミュージックや若者文化も街にあふれていた。カブールは世界のヒッピーやバックパッカーから人気の場所だったからだ。女性解放も進み、カブールの裕福な女性たちもジーンズやミニスカートをはき、大学に進学するようになった。
しかし一九七三年に混乱が始まる。国王がイタリアで目と腰の治療を受けている間に、元首相ムハンマド・ダウド・ハーンが軍に支援されてクーデターを起こし、政権を掌握。ハーンは王制を廃止してアフガニスタン共和国の初代大統領を名乗り、社会主義者を弾圧し、左派政党PDPA(アフガニスタン人民民主党)の幹部を暗殺した。
一九七八年、PDPAは軍部を味方につけて反乱を起こし、ハーン大統領を殺害。政権を奪ってアフガニスタン民主共和国を設立。この「サウル革命」で、父が外交官だったホッセイニ一家は祖国に帰れなくなった。
PDPA政権はソ連の支援を受ける社会主義国としてイスラムの伝統を否定した。男性には
一九七九年、ソ連はPDPA政権を守るためアフガンに軍事侵攻。アメリカはムジャヒディーン(イスラム教ゲリラ)に軍事支援してソ連と戦わせ、泥沼化する。この間、六百万人が国外に逃れ、ホッセイニ一家もアメリカに亡命した。
十年後、ソ連は大量の犠牲者を出して戦果も得られずにアフガンから撤退。ソ連崩壊のきっかけになる。
ソ連撤退後、イスラム勢力同士が覇権を争う内戦に突入する。一九九二年、やっとムジャヒディーンによる暫定政権にまとまりかけたが、イスラム厳格派のタリバンが戦いを挑み再び内戦に……。この頃、ホッセイニはアメリカの大学で医師の免許を取った。
第二次内戦の末、一九九六年にタリバンが政権を取り、イスラム独裁の恐怖政治を始めた。一九九九年、医師として働いていたホッセイニはタリバンが
ホッセイニはカブールで凧揚げをする少年たちの短編小説を書いた。アメリカで同じくアフガニスタン難民の妻との間に一男一女をもうけたことも、アフガンの子どもたちに思いをはせる理由になったという。その短編が『君のためなら~』に成長した。
成人してから祖国に戻っていないホッセイニはタリバン政権下のアフガニスタンを、そこから脱出した人たちの証言を基に想像して書くしかなかった。だが、『君のためなら~』で最も大きなフィクションは使用人の息子ハッサンである。アミールと「兄弟のように」育つ彼は実在しない。彼はホッセイニが祖国アフガニスタンに残してきた人々、特に少数民族ハザラ人を象徴させて創造したキャラクターだ。
アフガニスタンは多民族国家だ。人口の約四割を占める最大のグループはパシュトゥーン。タリバンはもともとパシュトゥーン民族主義団体で、現在のアフガンはパシュトゥーンに支配されている。その次がペルシャ語を話すタジク人で人口の約四分の一を占める。パシュトゥーンとタジクはイラン高原に起源があるといわれ、ホッセイニもこの二つの民族のミックスである。そしてハザラ人は人口の十八%でモンゴル系。タリバンはハザラを徹底的に差別し、弾圧している。「ハザル」にはペルシャ語で「千」の意味がある。
ホッセイニが『君のためなら~』執筆中の二〇〇一年、九・一一テロが起こった。タリバンに匿われていたサウジアラビアのテロリスト、オサマ・ビン・ラディン率いるアルカイダが旅客機をハイジャックしてニューヨークの世界貿易センタービルに突っ込んでおよそ三千人が亡くなった。十月七日、アメリカ軍は「不滅の自由作戦」の名の下にアフガンに侵攻した。その一年半後、『君のためなら~』が出版され、世界中で八百万部以上を売る大ベストセラーになった。
同じ二〇〇三年、ホッセイニはアメリカ軍などによって解放されたカブールに戻った。初めての帰国で彼が見たのは、タリバン政権によって踏みにじられた女性の権利だった。女性たちは教育の権利も働く権利も財産も、外出の自由すら奪われ、望まない一夫多妻婚を強いられ、夫に暴力を振るわれ、時に殺されても男たちは罪に問われなかった。
そこでホッセイニはアフガニスタンで過酷な運命と闘う少女の物語『千の輝く太陽』を書いた。
自分がインタビューしたのはその頃だ。ホッセイニは私財を
さらにホッセイニはUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の親善大使として、戦火から焼け出された避難民のための住宅建設の資金も集めていた。「彼らは穴の中で暮らし、雨が降ると子どもたちが死んでいく。だから家を建てたいんだ」
『君のためなら~』も『千の輝く太陽』も幼い子どもにアフガンの未来を象徴させている。ホッセイニの目は空を駆け上がる凧を見上げる子どものように希望に輝いていた。
しかし……二〇二一年八月、アメリカ軍はアフガニスタンから撤退した。二十年間に及んだ「不滅の自由作戦」は失敗に終わった。それからわずか十一日で首都カブールは陥落した。
「僕が育った街に再びタリバンの旗がはためくのを見て胸が張り裂けそうです」
当時、ホッセイニはCNNに出演して、そう語っている。
「二〇〇三年にカブールに帰った時、タリバンが去ってアフガニスタンはより良い未来に向けて前進し始めたように見えたのに……」
そして「いちばん気にかけているのは女性たちのことです」と言った。「過去二十年間の努力が全部失われてしまいます」
アフガニスタンはアメリカに保護された民主政権の下で女性たちの権利を取り戻していった。学校にも行けたし、政府の役職にもつけた。それが全部、タリバンの下で消えた。タリバンは女性たちを再び家に閉じ込めた。
ホッセイニの苦悩はアフガニスタンだけに終わらなかった。同じ頃、『君のためなら~』がアメリカで禁書になったのだ。
具体的には、二〇二一年から全米の保守的な地域(主に南部)で、教育委員会による公立学校の図書館から「不適切な」本を排除する運動が始まり、『君のためなら~』も含まれていた。ハッサンがレイプされる描写が理由のひとつだった。それはタリバンによる国民の
また、二〇二二年、ホッセイニはインスタグラムに「昨日、私の二十一歳の娘ハリスがトランスジェンダーとして世間にカミングアウトしました」と投稿した。
「父親として、これほど彼女を誇りに思ったことはありません。彼女は自分らしく生きるとは何かを教えてくれました。彼女はトランスジェンダーの人々が日々受けている残酷さを冷静に受け止めています。しかし、彼女は強く、ひるむことはありません」
タリバン政権下なら彼女に居場所は無かっただろう。アメリカでもトランスジェンダーをめぐる議論は政治的対立に拡大しており、だからこそ、ホッセイニはこの投稿をする必要があった。
ホッセイニは何度
作品紹介
書 名:君のためなら千回でも 上・下
著 者:カーレド・ホッセイニ
訳 者:佐藤 耕士
発売日:2025年02月25日
1975年、アフガニスタン。僕は、僕を最も愛してくれた君を裏切った。
最高に感動するエンタメ名著、堂々復刊!
THE KITE RUNNER
by Khaled Hosseini, 2003
世界800万部突破
52ヵ国語に翻訳
120週連続でNYタイムズ紙ベストセラーIN!
●上巻のあらすじ
平和な時代のアフガニスタン。裕福な家に生まれた僕は、召使いのハッサンと兄弟のように育つ。父の愛に飢えていた僕にひたむきに尽くすハッサン。1975年の凧合戦の日、「君のためなら千回でも!」と凧を追いかける彼を、僕は裏切り、人生を破壊してしまう。最も愛してくれた人なのに…。そして2001年911テロ直前の米国で、僕は一本の電話を受ける。それは償いの旅の始まりだった。
●下巻のあらすじ
2001年、911テロ直前の米国。「もう一度やり直す道がある」私とハッサンを知る友人ラヒム・ハーンからの電話で、私はパキスタン行きの飛行機に飛び乗る。しかしそこで、衝撃の真実を知り、打ちのめされる。ソーラブ……ハッサンの息子。今度こそ救う。タリバンに破壊しつくされた、アフガニスタンで。世界800万部突破、52ヵ国語に翻訳! 少年時代の罪に立ち向かう男の姿を描いた、最高に感動するエンタメ名著、ついに完結。解説・町山智浩(映画評論家)
●推薦・鴻巣友季子
「いちど地に墜ちた凧(カイト)はもう二度と空を飛べないのだろうか? そんなはずはない。つぐないは待ってくれる。あなたに駆けだす勇気さえあれば」
●絶賛の声!
「獰猛な残酷さと、救いのある愛の物語」NYタイムズ紙
「『風と共に去りぬ』のような、驚くべきデビュー作」ピープル誌
「ロシア侵攻前の栄光の時代からタリバンの恐るべき支配に至るまで、アフガニスタンが感動的に描かれている」エンターテインメント・ウィークリー誌
※本書は、二〇〇七年十二月にハヤカワepi文庫より刊行された同名作品を加筆修正し、復刊したものです。
上巻詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322409001308/
amazonページはこちら
電子書籍ストアBOOK☆WALKERページはこちら
下巻詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322409001309/
amazonページはこちら
電子書籍ストアBOOK☆WALKERページはこちら