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【解説】本当の意味で「青い芝生」など、実はこの世界のどこにもないのではないか――『夜がうたた寝してる間に』君嶋彼方【文庫巻末解説:浅倉秋成】

君嶋彼方『夜がうたた寝してる間に』(角川文庫)の刊行を記念して、巻末に収録された「解説」を特別公開!



君嶋彼方『夜がうたた寝してる間に』文庫巻末解説

解説
あさくら あきなり(作家)

 いつだって隣の芝生はやたらと青い。
 どうしてあいつは、あんなにも運動ができやがる。さして勉強している様子もないのに、あいつの成績がいいのはいったいどういう理屈だ。あいつは顔がいいし、あいつは病気ひとつしないし、あいつは死ぬほど金を持っているし、あいつばかりがみるみる出世をしていく。個人的には、またこの作家はこんなにも面白い小説を書きやがってというしつ心に駆られることがままあるのだが(本作を読み終わった際にも同様の感慨に支配されたのは敢えて説明する必要もあるまい)、とにもかくにもぼうばくと眺める他者の人生というやつはどうにも魅力的で、どこか能天気に光り輝いて見える。
 二〇二一年九月、ひょんなことから体が入れ替わってしまった男女の半生を描いた快作『君の顔では泣けない』で鮮烈なデビューを飾ったきみじま彼方かなたが、刊行から一年経たぬ二〇二二年八月、キャリア二作目の長編として世に放ったのが本作『夜がうたた寝してる間に』である。
 およそ一万人に一人の割合で特殊能力を有する人間が存在する世界で、高校二年生のさえあさひは「時間を止めることができる力」をその身に宿していた。そんな彼の学校では、何とも奇妙な事件が発生してしまう。その数、百を超える大量の机と椅子が、校庭の花壇の上に無造作に積み重ねられていたのだ。どうやら何者かが窓から投げ落としたらしい。犯人はいったい誰だ。どうしてこんなことをする必要があったのだ。旭は犯人を捜すため、一人調査を開始する。
 あらすじを聞けばなるほど、これは極めて明快な特殊設定ミステリ作品に違いないだとか、能力者たちが自らの力を駆使して争う知能バトル系の作品なのだろうなどと早合点してしまいそうになるのだが、どっこい物語の行方はそう単純ではない。どこかで聞いたことがあるようなおなじみのモチーフを扱いながらも、読者の誰もが予想し得ない地点まで登場人物たちを丁寧に、慎重に、いっそ脳内にダイブするようにして深く掘り下げ、誰も見たことがない新しい物語を構築するのが、他でもない君嶋彼方の真骨頂である。本作も見事なまでに、誰も見たことがない異能力小説に仕上がっている。
 そもそも特殊能力というものは、どうしたって多くのフィクション作品においてあこがれの対象として描かれる傾向にある。空を飛びたい、人の心を読みたい、エネルギー波を手のひらから放ってみたい。そんなことができたらいいなあと遠い目をしたくなるそれらは、まさしく「隣の芝生」だ。特殊能力があればあんなこともこんなこともできちゃうぞと読者がワクワクするのも無理からぬことで、ひょっとしたら能力者が多数出現する世界になったなら無能力者たちは肩身が狭くなってしまうのかもしれないぞというところまで思考が及ぶのも、フィクションを愛する多くの人間にとっては立派な「あるある」である。しかし君嶋は、先行作品が積み上げてきた定説や「あるある」を、無警戒に採用するような真似は決してしない。
 果たして、本当にそうなるのだろうか。
 あるいは、以下のように言い換えることができるかもしれない。
 本当にその芝生は、そこまで青いのか。
 職人技と呼んでもいい君嶋の分析と再構築によって作り上げられた本作の世界では、結果的に大変面白い逆転現象が発生している。能力者は差別される側に回っており、一部の能力者に至っては「特地区」と呼ばれる特殊な区域に追いやられてしまっている(ようにも見える)。なるほど、確かに数が少なければどうしたって能力者の立場は悪くなってしまうだろうし、一般人から見れば恐怖や差別の対象になり得る。何かしらトラブルが発生すれば彼らを疑いたくなるのも道理と言えば道理で、西洋における魔女狩りのような状態になることにも合点がいく。どうやら能力者の芝生は、思っていたよりも青くなさそうだ。いやはや、彼らには彼らで悩みがあるのだなあ──で、終わってしまえば、そこで物語がじられてしまうのだが、ここで終わらせないから君嶋文学は面白い。
 本作において本当につらい思いをしているのは、能力者たちだけなのか。あるいは能力そのものの存在のせいで、能力者たちは苦しめられているのか。この苦しさの元凶は、実際のところどこにあるのだろうか。
 ここに躊躇ためらわず足を踏み入れるからこそ、いつだって君嶋作品は「特殊な状況に置かれた人々の、特殊な物語」にわいしよう化しない。現実を生きている我々の、つまり「読者」の物語に、美しく昇華される。デビュー作はもちろん、現状における最新長編である『一番の恋人』においても、根底には同種のマインドが貫かれているように思う。本当の意味で「青い芝生」など、実はこの世界のどこにもないのではないか。主人公が能力のない他者をうらやましく思う一方で、主人公に対してせんぼうまなしを向ける人物もいる。互いに互いが「あっちの芝生のほうが青そうだな」と見つめ合っている構図は、とりもなおさず我々が生きる現実世界のメタファーでもある。作中のしのみや台詞せりふを借りれば、身もふたもない世界の真相が見えてくる。
「みんな結構、必死でみっともなく生きてるよ」
「必死で生きてるから、噓とか隠し事とかするんだろうしね、きっと」
 こういった内面的なかつとうを作品の中心に据えるため、ミステリ要素を殊更複雑化しなかったのも英断である。個人的には、「犯人」とたいするシーンのさりげなさ、あるいはドラマチックさを極限まで排した人間くさい等身大のやりとりが、大好きでたまらない。ミステリ作品においては探偵役が(著者のカタルシスそのままに)ついつい気持ちよくなりすぎてしまい、犯人のことをけちょんけちょんに論破するシーンが散見される。ああいった過剰な「演説」にささやかな忌避感を抱いたことがある方は、きっと本作における対峙シーンには胸を打たれるに違いない。本当に血の通った人と人との対話は、もどかしいほどに不器用で、だからこそ生々しくて、かくも愛おしい(これもまたフィクションの定説を再解釈していく君嶋の力が存分に発揮されたシーンかもしれない)。
 そうして紡がれていく物語の結末には、チープな奇跡、あるいは力業めいたご都合主義は登場しない。ゆえに君嶋の作品には得も言われぬ強度と質量が宿る。
 まだまだ語りたい美点は山ほどあるのだが、残念なことに割ける紙幅がもうほとんどない。地の文と会話文のトーンの違いによって主人公の息苦しさや虚勢を表現する手法にはすさまじい技量をかい見たし、登場人物全員が一人残らずみずみずしく描かれているキャラクター描写にも隙はない。少しひねくれている人物であってもどこかに共感できるポイントを用意してくれているのも憎く、こうなってくると終始あまり好意的な側面が描かれなかったくにしろ先生にだって、何かしら事情があったんじゃないかなと思いをせてみたくなる。言わずもがな最も素晴らしいのは終盤の疾走シーンで──と、書いていると、段々と私は腹が立ってきた。
 なんてことだ、君嶋彼方。私はチッと短く舌打ちを放ってから、思わず独りごちる。
 やっぱり君嶋彼方の芝生は、だいぶ青いような気がする。

作品紹介



書 名: 夜がうたた寝してる間に
著 者:君嶋彼方
発売日:2025年10月24日

『君の顔では泣けない』の著者が放つ、小説野性時代新人賞受賞第一作!
冴木旭はクラスの面々とは分け隔てなく話すし他クラスにも友達が多い“普通の”高校2年生。ただ1点、「時間を止められる力を持っている」以外は。全校生徒数百人中「特殊能力所持者」は旭を含め3人。「普通の人」と同じように生きたいと願う旭だったが、ある日、教室の窓から大量の机が投げ捨てられる事件が発生し、能力者達に疑いの目が向けられる……。誰もが心揺さぶられる、新感覚異種能力青春譚! 解説・浅倉秋成

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322501000750/
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