穂村 弘『短歌ください 双子でも片方は泣く夜もある篇』(角川文庫)の刊行を記念して、巻末に収録された「解説」を特別公開!
穂村 弘『短歌ください 双子でも片方は泣く夜もある篇』文庫巻末解説
解説
『ダ・ヴィンチ』発売日の6日、自転車に乗って本屋へゆく。朝。春はまだ予感のうちに
見開き二ページ分を同時に目に入れる。載っているか載っていないかは、一瞬でわかる。載っていれば脈は速くなり、載っていなければますます速くなる。喜びも悔しさも、身体的な変異なのだと知ったのは、投稿を始めてからだった。2012年3月。29歳の最後の月だった。
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「短歌ください」は、私の短歌の教科書だ。人生で出会った教科書の中で、もっとも教科書らしくない教科書。「ねらい」とか「基本」とか「目標」とか「練習問題」がない。なにが正しくてなにが正しくないか(正しくない、という表現は短歌においては微妙に正しくないけれど)、というような指導的な要素は、書かれていない。掲載か否かという「テスト」みたいなものだけが毎月開催されている。そして、テストに合格したらしい短歌たちは、すべて異様なほどにきらきらと輝いている。私には作れそうもない。でも、もしかしたら私にもできるかも。
夢中になった。私だけではない。この本に名前の載っているみんな、きっと。
「短歌ください」が投稿者を夢中にさせる理由はなんだろう。自分の言葉が活字になって雑誌に載るという現実的な興奮や、
「ねらい」とか「基本」とか「目標」とか「練習問題」がそうとは名付けられないまま、
おそろいのスキー用靴下履いて中川姉妹バスに揺られる/相田奈緒
実際に見た景色そのままに思えるけど、妙な味わいがありますね。どこを書いてどこを書かないか、それによって詩が生まれたり、生まれなかったりする。ここでは「おそろいのスキー用靴下」と「中川姉妹」がポイントかなあ。
「どこを書いてどこを書かないか」。穂村の解説そのものが「どこを書いてどこを書かないか」のお手本だと思う。詩だ。短歌の解説、「読み」と言われるものは、その短歌が描いている内容の読み解きや、比喩やリフレインなど技法の説明であることが多い。例えばこの歌なら「高速バスで雪国へ向かうシーンだろうか。あるいは反対にスキーとは全く違う場所に向かうバスなのかもしれない」とか。私ならまずはそんなシチュエーションから書くだろう。でも穂村はそのあたりは「書かない」。この歌の魅力も「妙な味わい」とさらりと言い終えてしまう。短歌を読み解く行為は、読者への宿題としておいて、穂村はもっと大きな「詩」の生まれる場所についてのヒントを与えてくれる。
『「おそろいのスキー用靴下」と「中川姉妹」がポイントかなあ』。なるほど。靴下みたいな、他の誰もが見逃してしまいそうなささやかなリアリティや、唯一無二性を担保する固有名詞なんかが大切なんだな。そんな手がかりを
でも、この穂村の解説の中でもっとも大切な
「短歌ください」を読むことは、穂村の声で、もうひとつの別の世界へ誘われること。一度足を踏み入れてしまったら簡単には戻れない、現実とは別の異次元の世界へ。
爪を切る なぜかあの人思い出す なるほどあの人 爪だったんだ/大柴嶺子
「あの人 爪だったんだ」の突飛さが、心に迫るのはどうしてだろう。それは現実離れした奇妙な思い込みに過ぎない。でも、その中に異次元の論理がある。詩歌とは、現実とは別の、もう一つの心の論理を見つける試みなのかもしれません。
「どうしてだろう」と
五十音順で去年の出来事は失恋祖父の死たぬきに遭った/ゆかわまこ
(略)「たぬきに遭った」が一首に詩の輝きを与えています。
穂村弘は「詩」や「詩歌」という言葉を使う。そして普通の散文が、詩や詩歌に変身する魔法はどこにあるのか、その
解説だけではない。穂村は、短歌を選ぶことそのものを通じても教えてくれる。それは、テーマ詠において、なぜその歌がそのテーマで提出されたのかがわからないくらい飛躍があったほうが切迫した魅力があるということ。
例えば、「男子」と、その次の「女子」のテーマで掲載された歌を見てほしい。「男子」「女子」という単語を使っているのはそれぞれ二首のみ。並んだ短歌を見て、そこからテーマを言い当てられるだろうか? ちょっと難しいんじゃないかと思う。
勉強も運動もできないけれどミンティア必ず持ってる友達/タカノリ・タカノ
(テーマ「男子」)
「あたし」って打つ子に「私」で打ち返す今の私は嫌な顔してる/こんこん
(テーマ「女子」)
どうしてこのテーマでこの短歌をつくることができたんだろうと驚く。と、同時に、このテーマが与えられなければきっとこれらの歌は生まれなかっただろうという紛れもない切実さがある。暴れ回っているものこそ、ど真ん中。「突飛さが、心に迫る」という詩歌の秘密はここでもまた
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2012年の3月。「短歌ください」に私の短歌がはじめて掲載された。投稿を始めてから3ヶ月が経っていた。同じ誌面には
「短歌ください」という教科書のもとに集まる、クラスメイトたち。その広い広い教室で、穂村弘は教師然として教えるというよりも、誰よりも早く雪を見つけて指差す人なのだと思う。いまこの世界に生まれたばかりの、壊れそうに美しく、世界をファンタジー色に塗り変えてくれる短歌たちを。
教員は板書中でも雪を知り窓に駆け寄る権限を持つ/鞄
作品紹介
書 名: 短歌ください 双子でも片方は泣く夜もある篇
著 者:穂村 弘
発売日:2025年10月24日
歌人・穂村弘が読者の短歌を講評する人気シリーズ、文庫化第4弾が登場!
「双子でも片方は泣く夜もあるラッキーアイテムハンカチだった」……毎月変わるテーマごとに雑誌『ダ・ヴィンチ』読者から寄せられた短歌を、人気歌人の穂村弘が選び評する人気シリーズ第4弾! 今回は「転校生」「先生」「占い」「初恋」「曜日のある歌」「手紙」「ラブホテル」など全30テーマへの投稿作と、自由題作品から成る。解説は、かつて本連載の常連投稿者であり、現在は第一線の歌人として活躍する鈴木晴香。
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