早見和真『普通に青い東京の空を見上げた』(角川文庫)の刊行を記念して、巻末に収録された「解説」を特別公開!
早見和真『普通に青い東京の空を見上げた』文庫巻末解説
解説
瀧井 朝世(ライター)
二十七歳。まだまだこの先の人生についての選択肢は多いが、かといって悠長に構えてもいられず、心揺らす年頃だ。そんな二十七歳の若者たちが登場する連作集が本作『普通に青い東京の空を見上げた』(『東京ドーン』から改題)である。
著者の早見和真氏は二〇一五年の『イノセント・デイズ』で日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)、二〇一九年刊行の『ザ・ロイヤルファミリー』でJRA賞馬事文化賞、山本周五郎賞を受賞して注目度が高まり、二〇二〇年には『店長がバカすぎて』、二〇二五年には『アルプス席の母』で本屋大賞にノミネートされるなど、今や作品を出せば話題を集める作家だ。しかし『東京ドーン』はまだ認知度が高まる前の二〇一二年に単行本が刊行、二〇一六年に文庫化されて手に取った人たちからは好評を博したものの、そこまで広く読まれるには至らなかった。それではあまりにもったいないという声があがり、このたび時代背景などに修正を加え、『普通に青い東京の空を見上げた』に改題し、再文庫化されたのが本書である。
収録される六篇の主人公には、共通点がふたつある。ひとつは二十七歳であること。もうひとつは、東京に住んでいるということだ。各短篇、どの主人公も名前は明かされない。
「新橋ランナウェイ」の主人公は「僕」。マネージャー気質をアピールして新橋にある大手旅行会社に採用された彼だが、仕事人間の課長の下での労働はきつく、軽い鬱病と診断されてしまう。医師からは会社に相談するように言われるが、課長には報告する勇気はない。そんな折、恋人の美和から予想外のことを告げられる。
「北新宿ジュンジョウハ」の主人公、「ボク」は北新宿に暮らす青年。ある事情から大学を中退し、その後は建築設計会社の事務所でアルバイトを続けている。恋人の佳苗との結婚を考え、正社員になるための就職活動を始めた彼は、飲み会で知り合った大手証券会社に勤める「先輩」の指南を受けている。
「成城ウィキペディエンヌ」の「私」は、住宅設備メーカーのショールームで受付兼案内をしている派遣社員。実家は高級住宅街の世田谷・成城に隣接するエリアだ。十七歳の時に父親が急性心不全で急逝したのは過労死だったと確信する彼女は、「とにかく安心して生きていたい」と思っている。恋人の孝弘は広告マンで実家が太く、相手としてはほぼ完璧だが、なかなか結婚を切り出してくれずにいる。
「十条セカンドライフ」の主人公は新大久保に暮らす「俺」。高校時代は野球部のエースでドラフト四位の指名も受けたが、順位に不満の父親や監督から進学を経て一位指名を狙うように言われ、進学した。結果、彼は現在北新宿のバーに勤めるバーテンダーで、彼と同時に六位指名を受けたチームメイトはプロの世界で活躍している。
「二子玉ニューワールド」の主人公「わたし」は、つきあって七年になる耕司と二子玉川で暮らしている。転職先の旅行代理店の業務にやりがいを感じ始めているが、耕司は仕事に夢中で帰宅が遅い彼女に不満を抱いている様子。
「碑文谷フラワーチャイルド」の「ぼく」は最近、自分を尊重してくれない恋人の里沙が気にくわない。碑文谷の実家では、父の会社の経営が傾いたことから両親のパワーバランスが逆転、母が強くなっている。母は里沙のことが気に食わない様子で……。
読み進めていくと、各短篇の世界がゆるやかに繫がっていることが分かる。なかには苦い結末の話もあるが、その後日譚も分かる作りだ。
主人公たちは特別ドラマティックな人生を歩んでいるわけではない。むしろ皆、仕事や恋愛や結婚、将来について悩んだり、焦ったり、あがいたりしている。彼らと同年代、もしくは彼らの年代を過ぎた読者は、登場人物の誰かしらの中に、おぼえのある痛みや焦燥を見出すかもしれない。だからこそ、作者がこの作品にこめた熱いエールを感じるはずだ。
「お前はやりたいようにやれ。お前の人生だけは誰がなんと言おうとお前が主役だ。それだけは忘れんな」
第一章である人物が語るこの言葉は、そのまま読者すべてに贈られている言葉だ。
では、早見氏自身はどんな二十七歳だったのか。以前、『WEB本の雑誌』の連載「作家の読書道」で、読書遍歴を絡めて来し方をインタビューしたことがある(現在もネットで読むことができる)。一浪して進学、実家が危機を迎えたため(詳しくは著者の『ぼくたちの家族』にある)、一度中退しその後再入学、就職活動では記者を志望して新聞社に内定をもらうも留年が決まり入社を逃す。その後大学を辞め、気力を失っていたところ、学生時代にバイトでお世話になった編集者から小説を書くことを勧められる。それを機に、職業としての小説家を目指し始めたのが二〇〇三年。著者は一九七七年生まれだから二十五、六歳の時だ。そこから、出版社でアルバイトをしつつ一年半かけてデビュー作となる『ひゃくはち』を書きあげ、二〇〇八年に刊行にこぎつけた。つまり著者にとって二十七歳は、デビューできるかも分からないまま、もがき、あがき、前進しようと必死になっていた時期なのだ。本作が、ちょっぴり情けない部分もある二十七歳たちを上から見下ろすのでなく、その背中を押していくような物語になっているのは、きっと主人公たちが著者にとって同志のようなものだからだろう。
ちなみに本作は最後まで読めば、各短篇の主人公の名前や、それぞれとの繫がりが見えてくる。一応ざっくりと答え合わせをしておこう。
※未読の方は以下のブロックは読み飛ばしてください。
「新橋ランナウェイ」の主人公は加藤忍。「北新宿ジュンジョウハ」の主人公がマリッジブルーのSNSで親しくなり結婚式に出た相手であり、「二子玉ニューワールド」の主人公の転職先が彼と同じ会社だ。この章で〈加藤忍くんという同い年の正社員で、顔色が悪く、鬱だというウワサのある男の子〉との言及がある。
「北新宿ジュンジョウハ」の主人公は吉松修太。「成城ウィキペディエンヌ」の主人公が飲み会で同席する、設計事務所のアルバイトで、実家は伊豆に百ヘクタールほどの土地を持っている青年である。
「成城ウィキペディエンヌ」の主人公は野坂真理子。「二子玉ニューワールド」で、主人公の友人として言及される真理子である。
「十条セカンドライフ」の主人公は畑中大輔。他の短篇にはあまり登場しないが、「北新宿ジュンジョウハ」で登場する北新宿のバーのバーテンダーは彼だと思われる。
最後の二篇は分かりやすく対となっており、「二子玉ニューワールド」の主人公は里沙で、「碑文谷フラワーチャイルド」の主人公は耕司。この「碑文谷~」の章で、各篇の主人公たちが勢ぞろいし、彼らの後日譚も分かる。また、短篇の主人公ではないが、「先輩」や「リホ」「後藤」「島耕介」といった、複数回登場する脇役もいる。
登場人物たちが繫がっているからこそ、誰もが悩みを抱え、イタイところも情けない面も持ち合わせながら生きているのだと思えてくる。そして、周囲から見たらどんなに格好悪かろうが、あがいてもがいた人間こそが、一歩踏み出せることも教えてくれている。年齢に関係なく、一歩踏み出したくなった時には、本作をぜひ。
作品紹介
書 名: 普通に青い東京の空を見上げた
著 者:早見和真
発売日:2025年10月24日
僕たちは、ままならない世の中を、それでも生きて行く
自分の人生は自分が主役。本当に? 二流大学の三流学部を卒業した僕は、予期せず一流企業に入社を果たす。晴れて安泰と思いきや、時代遅れの激務に息も絶え絶え。「逃げたかったら逃げればいい」と他人は言うが、恋人が妊娠したことで、僕は退職届をひっこめざるを得なかった。この社会で足掻く大人たちを描く群像劇は、あなたに手向ける大きな花束になった。涙、笑い、励まし……。すべて詰まった、あなたの心を満たす物語。
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