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連載

米澤穂信「花影手柄」 vol.3

【集中掲載 米澤穂信「花影手柄」】 城の東に織田方の陣を見つけた荒木村重は……。 堅城・有岡城が舞台の本格ミステリ第二弾!#1-3

米澤穂信「花影手柄」

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      3

 日が傾き始めた頃、村重は天守の最上階にいた。そばには荒木久左衛門が立っていて、ほかに人はいなかった。
「あれで、よろしゅうございましたかな」
 久左衛門の問いに、村重はただ頷く。
 軍議の座で久左衛門が合戦を、池田和泉が自重を訴えたのは、村重の指図によるものだった。一月には進発すると聞いていた毛利勢はいまだに姿を見せず、有岡城の将卒は少なからずいらっている。誰かが粗忽にも出陣を強く訴え、大勢がそれに同調してしまうことも充分にあり得た。そうなっても村重が出るなと言えば将たちは従うだろうが、内心では不満を抱えることになるだろう。久左衛門と和泉に争わせ、納得ずくで久左衛門が主戦論を取り下げることで皆の血気をらそうというのが、村重の策だった。
 久左衛門が言う。
「飛驒殿、いや大慮殿と雑賀の者たちが揃って出陣を言い出した時は、それがし肝を冷やしました」
 村重は何も言わなかった。
 村重は、高山大慮や鈴木孫六が何を言っても、軍議では通るまいと見切っていた。身分は違えど、大慮も孫六も所詮は外の人間だからである。そしてかれらも、自らの訴えが通らないことはわかっていたはず。わかっていてなお出陣を訴えたことには、何か理由がある──村重はそのことを考えている。
 ふと、久左衛門が長いめ息をついた。
「それにしても、軍議でそれがしが申したことは、演技ばかりではござらぬ。……毛利は、まことに遅うございますな。万々が一にもわれらが落ちれば次は毛利、それがわからぬりようせんとは思えませぬが……」
 毛利家当主のまのかみてるもとはまだ若いが、毛利本家を支えるきつかわばやかわの「両川」を率いる当主は老練で、戦がく時流も読める。だからこそ、毛利が有岡城を見捨てることはあり得ない──そう信じることが、有岡城の将卒の心を支えている。
 毛利が陸路から来るのなら、さんよう道を通って西から来る。海路から来るのなら、ないかいを経て尼崎に船を着け、南から来る。久左衛門は天守のから物見をする時、いつも西と南ばかりを見ている。
 村重は四方を見る。南の尼崎城、西のさん城はよく耐えている。北には、かつて村重が乗っ取り、そして捨てた池田城があり、その旧跡には織田が陣を構えている。そして東に目を移した時、村重は「む」と声を洩らした。
「……何か、見えまするか」
 久左衛門も村重の隣りに立って目を凝らす。有岡城の東には沼地が広がり、その先には小さくいばら城が見えている。戦の要とも頼んだ茨木城は容易たやすく敵に降り、いまそこには織田の軍兵が詰め込まれている。あの茨木城さえこちらに残っていればと久左衛門はいまさらながらに苦い顔をするが、村重は、茨木城を見ているのではなかった。その目は、眼下の沼地にじっと注がれている。その目の先を追い、久左衛門もまた「あ」と声をこぼした。あしが生い茂る沼地のただ中に、柵木で囲われた陣があった。
「あのようなところに、いつの間に」
「昨日はなかった。一日で築いたようだな」
「……おのれ、ぬけぬけと!」
 有岡城の東には要害が築かれておらず、本曲輪が丸裸になっている。東が守られていないのは、有岡城が西と南の敵、つまりはり衆と大坂本願寺に備えて築かれたためだが、もう一つ理由がある。川と沼地とが天険の要害であり、何者も有岡を東から攻めることは出来ないと見込まれたからなのだ。しかしいざこうして東に陣を築かれると、喉元にやいばをつきつけられたようで、村重もあまりいい気はしない。
 陣は、柵木でまわりを四角く囲い、いくらか陣幕を張っただけの簡便な作りらしく見えた。城のきわからの距離は二町ほど、弓矢や鉄炮で狙える距離ではないとはいえ、目と鼻の先である。村重は苦々しげに言った。
「誰の陣だ」
「さて……ここからでは紋印が見えませぬ」
「誘いか、でなければ」
 その呟きはあまりに小さく、久左衛門は思わずき返す。
「殿。いま何と仰せられた」
 村重はそれに答えず、声を上げて人を呼ぶ。階下から小者が上がってきてかしこまるのに、
「御前衆を一人呼べ。郡……」
 郡十右衛門を呼べと言いかけて、かれには城内の探りを命じていたことを思い出す。
「いや、そうよな。たみいちろうもんが良かろう」
 小者は静かに下がり、階下に降りてからは駆けていった。村重は久左衛門を見やり、「お主は外せ」と言う。久左衛門は少し不満そうな顔をしたが、黙って天守を下りていった。

 呼ばれた伊丹一郎左衛門が天守に上がって来る頃には、西の空が赤く染まり始めていた。戦の習いとして一郎左衛門は兜も脱がずに頭を垂れる。
 一郎左衛門もまた伊丹家に連なる者で、鉄炮を買いつけるためさかいに遣わされるなど、伊丹家でも信を置かれていた。しかしそのために仲間内の妬みを買ってざんげんされ、荒木家に通じたという疑いをかけられて、一時は命まで危うかったという。伊丹氏が村重によって滅ぼされると、かえってせいせいしたという顔で荒木家に仕官してきた。年は三十手前、鉄炮の扱いに慣れ、組み討ちにもなかなかの心得があるが、いまはなにより伊丹の地勢をよく知っていることが役に立つ。一郎左衛門をつづめ、ふだんはいちろうと呼ばれていた。
「来たか、一郎左。あれを見よ」
 村重が指さすのに従って一郎左は城外を見て、葦に囲まれた陣を見つけた。
「沼に陣張りするとはいかにも奇妙。あれで戦になると思うか」
 一郎左は少し考え、答える。
「城の東は悪地とはいえ、海に浮かぶ島にも似て、ところどころに固い土地もござります。そうした島であれば差し当たりの陣は築けましょうが、それも雨が降るまで。一雨降ればたちまちぬかるんで、軍勢はとても居着けますまい」
くいを打ち、床を敷けばどうじゃ」
「そこまでの普請をいたすなら、しばらくは持つかと」
「ふむ。あれは、われらを誘うわなのようにも見える。あれが誰の陣で何をもくんで築いたのかを知りたい。一郎左、やれるか」
 一郎左は陣から目を離さず、
「は」
 とのみ答えた。
「よし。連れていきたい者はいるか」
「おりませぬ」
「欲しいものは」
「金が役に立つかと」
 村重は頷き、懐から小さな革袋を出してその口をくつろげた。金の粒を幾らかつかんで、一郎左の手に乗せると、一郎左はそれを押し頂き、
「日に限りはござりまするか」
 と訊く。
「早ければ早いほど良いが、いて仕損じてはならぬ。実を見極めることこそ肝要と心得よ」
「は」
「よしか」
 一郎左は少し黙り、頭を垂れて言う。
「おそれながら、それがし陣夫に成りすまして陣に入り込むつもりなれど、物見の最中に武運拙く見破られて落命いたせば、兜もかぶらぬそれがしはさしずめ匹夫として野に捨て置かれましょう。それではあまりに無念にござれば、それがしが戻らぬ時は伊丹の一郎左はあっぱれ討ち死にしたものと見て、我が子をお引き立て願いとうござります」
「よし」
「一筆たまわりたく」
「わかった」
 村重は声を上げて人を呼び、紙と筆を命じた。物見においてしんみようきよく致しそうらわば子を引き立てべくそうろうと書き、おうを加えて一郎左に渡す。一郎左は文面をよく読んで、
「かたじけのうございまする」
 と言った。村重が命じる。
「よし、行け」
 一郎左は頭を垂れ、後ずさりする。一人天守に残った村重は、何者のものともしれぬ陣を、それが夜の闇に包まれるまでじっと睨んでいた。

#1-4へつづく
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