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レビュー

人間関係のトラブルの「謎」を解明する公務員探偵が最後に手にした感情は——。——米澤穂信『Iの悲劇』(文藝春秋)【評者:吉田大助】

物語は。

これから“来る”のはこんな作品。物語を愛するすべての読者へブレイク必至の要チェック作をご紹介する、熱烈応援レビュー!

米澤穂信『Iの悲劇』(文藝春秋)

評者:吉田大助

 未曽有の東日本大震災から八年が経ったこの秋もまた、自然災害が日本各地で牙をむいた。日本に暮らす人ならば誰もがきっと、一度はこんなふうに考えたことがあるはずだ。なぜ自分は今、この国、この土地、この家に住んでいるのか? もっと安全で、もっと生活に便利な土地はいくらでも存在する。にもかかわらず、ここに住み続けようとしているのはなぜなのか。そうした思考が、テレビ朝日系列のバラエティー番組『ポツンと一軒家』の高視聴率を支えている気がしてならない。日本各地の人里離れた場所にポツンと建つ一軒家の住人を取材すると、彼らには必ず、その土地で暮らす理由がある。他者の理由を知ることは、己の理由を顧みる、一つのきっかけとなる。
 米澤穂信の最新刊『Iの悲劇』は、山あいの限界集落・蓑石みのいしを舞台にした連作ミステリーだ。序章の二ページでいきなり、集落は消滅する。最後の住民が出て行ったことを告げる、末尾の一文はこうだ。〈そして誰もいなくなった〉。ところが、続く第一章で蓑石は再起動を果たす。無人化から六年後、空き家を斡旋あっせんして新たな定住者を募る、ターンプロジェクトが市主導で始まったのだ。市役所に新設されたその名も「よみがえり課」に異動となり、どう考えても未来は明るくないプロジェクトの実質的なリーダーに抜擢されたのが、市職員の青年・万願寺まんがんじだ。彼は出世街道から外れたとうなだれ、「どうして俺なんだろう」と愚痴りながらも、新卒二年目の部下とやる気のない上司の尻を叩き、移住してきた十二世帯の生活をフォローするため奔走する。
 章ごとにフォーカスの当たる住人が代わり、蓑石に移住してきたそれぞれの理由が語られる。隣人の理由は、自分の理由とは異なる。他にもこの土地ならではの様々な要因が火種となって、トラブルが勃発する。万願寺いわく、〈行政に携わっていると、すべてのトラブルは人間関係から生じると幾度も幾度も痛感する〉。ならばトラブルの「謎」を解明する、探偵役を務めるのも万願寺の仕事なのだ。ケレン味のある物理トリック、認識の盲点を突いた密室盗難事件、マジシャンズ・セレクトの妙味……。ミステリーとしての品質とバリエーションをきっちり確保したうえで、「謎」を解明した後で何が起こるのか、個々の住人たちのドラマも抜かりなく記述していく。
 書名や序章の末尾の一文からも明らかだが、本作はミステリーの古典的名作へのオマージュという一面がある。だが、それ以上に意識されているのはおそらく、古今東西のミステリーが書き継いできた「さかしらな犯人」の系譜だ。知能犯である〝彼ら〟は、被害者に対する身体的・金銭的ダメージの(少)なさを誇るが、忘れていることがある。甘く見積もっているものがある。目には見えず数値では測れない、心のダメージだ。
 最終章のラストシーンで、怒りをあらわにしたり泣き叫んでいる人間はどこにもいない。静かで、穏やかで、笑顔さえ垣間見える状況だ。だが、だからこそ、底に流れる感情が読み手に怒涛どとうのごとく押し寄せてくる。テーマ、構成、ミステリー、語り——小説表現の粋を集めた、日本に暮らす全ての人に薦めたい傑作だ。

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