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連載

【連載小説】柚月裕子『誓いの証言』 vol.26

【第186回】柚月裕子『誓いの証言』〈佐方貞人シリーズ弁護士編〉

【連載小説】柚月裕子『誓いの証言』

柚月裕子さんによる小説『誓いの証言』を毎日連載中!(日曜・祝日除く)
大人気法廷ミステリー「佐方貞人」シリーズ、待望の最新作をお楽しみください。

【第186回】柚月裕子『誓いの証言』

 原じいの葬儀から二か月近くが過ぎたころ、原じいの自宅と工場があった敷地の前に「売り物件」と書かれた看板が立った。文子が売りに出したのだ。
 大橋は丁場の帰りに、その看板を見つけた。車を停めて、運転席から降りる。連絡先は、高松市にある聞いたことがない不動産会社だった。
 大橋は人目がないことを確かめてから、敷地へ入った。住居だった建物の窓はすべてカーテンで遮られ、なかは見えない。
 大橋は工場へ向かった。
 工場の出入口は鍵がかかっていて、なかには入れなかった。しかし、窓には目隠しになるものがないため、なかを見ることはできる。大橋は窓に顔を近づけた。
 工場のなかは、大橋が出入りしていたころと、なにも変わっていなかった。違っているのは、小あがりや原じいが使っていた工具が、ほこりに覆われていることだけだった。
 工場のなかを見つめる大橋の脳裏に、かつての光景が蘇る。あの小あがりに恵を寝かせて、晶がオムツを替えていたことや、その姿を見て原じいが嬉しそうに目を細めていたことが、鮮明に思い出される。
 ふいに、視界が滲んだ。気づくと涙で目が潤んでいた。
 大橋は急いで、手の甲で涙をぬぐった。ふがいない自分に、怒りが湧いてくる。原じいと晶がこんなことになったのは、自分のせいだ。ふたりが苦しむとわかっていながら、自分は原じいたちより、自分の家族の幸いを選んだ。
 それなのに、いまさら涙を流すなど卑怯ではないか。詫びや悔いなどの感傷に浸り、俺は悪人ではない、と自分に言い聞かせ、己のずるさから目を背けようとする。
 大橋は涙をこらえて、改めて工場のなかを見た。
 逃げるな。自分がしたことから、目を逸らすな。お前がふたりを苦しめた。原じいを死に追いやり、晶を悲しませたのだ。
 工場のなかにいた原じいと晶の残像が、大橋のほうを見た。ふたりとも怒りが籠った目で大橋を睨む。
 大橋はふたりの姿を、目を大きく見開いて見つめた。
 恨め。俺を憎め。俺は、自分がしたことから逃げたりはしない。原じいと晶の怒りと悲しみをしっかりと胸に抱きながら生きていく。それが、俺がふたりにできる、唯一の謝罪だ。
 大橋は窓から離れた。車に戻り、エンジンをかける。工場を振り返りたくなる自分を抑え、アクセルを踏んだ。

(つづく)

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連載小説『誓いの証言』は毎日正午に配信予定です(日曜・祝日除く)。更新をお楽しみに!
https://kadobun.jp/serialstory/chikainoshogen/

第1回~第160回は、「カドブン」note出張所でお楽しみいただけます。

第1回はこちら ⇒ https://note.com/kadobun_note/n/n266e1b49af2a
第1回~第160回の連載一覧ページはこちら ⇒ https://note.com/kadobun_note/m/m1694828d5084

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