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特集

絶対おすすめ! 柚月裕子作品5選(評・大矢博子)

「孤狼の血」シリーズ三部作の完結篇『暴虎の牙』の刊行を記念し、いまもっとも熱い作家・柚月裕子のおすすめ作品を書評家の大矢博子さんにご紹介いただきます。

文=大矢博子 

 この時代、作家を性別で語ることのナンセンスは重々承知しつつ、映画「孤狼の血」を見た友人が「嘘でしょ、クレジットに出た原作者が女性の名前だったよ!?」と驚いていたときには、思わずニンマリしてしまった。そうでしょうそうでしょう、驚くよね、と。

 柚月裕子は総じて「オヤジ」を描くのが上手い。硬派で、骨太で、時として猥雑な世界を描くのが上手い。しかもそれをサプライズに満ちたミステリの構造に落とし込むのを得意とする。だがそういった特色の他にもうひとつ、忘れてはならない特徴がある。それは、柚月は「自らの信じる正義を貫く姿」を描く作家である、ということだ。

 正義にも色々ある。人によって、環境によって、正義は変わる。それぞれの持っている正義とは何で、それをどう貫くか。ここでは特に、正義の描き方に焦点を当てた作品を紹介する。

1)「孤狼の血」シリーズ



 昭和63年。広島県の警察署に赴任した新米刑事の日岡ひおか秀一しゅういちは、暴力団対策を担う捜査二課に配属された。そこで彼とコンビを組むことになったのが、警官なのかヤクザなのかわからないような「悪徳刑事」の大上おおがみ章吾しょうご。日岡は彼とともに暴力団のフロント企業に勤めていた男の失踪事件を追うが……。(『孤狼の血』)

 前の事件のあと、僻地の駐在所に飛ばされた日岡は、たまたま指名手配中の大物ヤクザ・国光くにみつ寛郎ひろおと出会う。逮捕しようとした日岡に国光は、まだやることが残っているので時間が欲しいと告げた。そのまま国光を泳がせた日岡だったが……。(『凶犬の眼』)

 ヤクザ社会のリアリティと暴力団捜査の迫力、広島弁の会話、そして複数の事件が絡みあって意外な場所に帰着するミステリとしてのサプライズ。すべてを十全に備えた柚月裕子の代表的なシリーズにして出世作である。

『孤狼の血』は昭和の広島抗争を、『凶犬の眼』は暴対法成立前夜の山一抗争を、それぞれモデルにしている。タマを取った取られたの世界に生きる者たちの、表社会とは違った「正義」と「仁義」の通し方は興奮の一言。大上には大上の、日岡には日岡の正義がある。異なる正義のぶつかり合いが、読者を強烈に物語へと引き込んでいく。

 シリーズ完結篇となる『暴虎の牙』は、『孤狼』以前の大上と、『凶犬』以後の日岡が登場する、長いスパンの物語だ。昭和57年、愚連隊「呉寅会」を率いるおき虎彦とらひこは、暴力とカリスマ性で勢力を拡大していた。そんな沖になぜかつきまとう大上。そしてある抗争で逮捕された沖が刑期を終えて出所した平成16年、彼の前に日岡が現れる……。

 昭和から平成にかけての暴力団の変化、そして沖の拠って立つ正義が変わっていく様子が悲壮感とともに描かれる。と同時に、一刑事としての大上の生き方と、彼に学んだ日岡の成長が読者に届けられるのが読みどころだ。ほぼ同じ年頃の刑事として登場する大上と日岡の対比にぜひ注目願いたい。昭和から平成にまたがるヤクザ小説としても、大上と日岡の警察小説としても、そして日岡の成長小説としても、堂々の完結篇だ。

2)「佐方貞人」シリーズ



「孤狼の血」シリーズが裏の正義を描いたものなら、こちらは表の正義の物語だ。

 ぼさぼさの髪に皺だらけのスーツ、ヘビースモーカーで公判初日に二日酔い……『最後の証人』で読者の前に初登場したヤメ検弁護士・佐方さかた貞人さだとは、一見、冴えない中年だった。しかし痴情のもつれと見られていた殺人事件の公判と、事件の中心人物である女性の家族の歴史を並行して綴ったこの物語は、終盤に驚くべきアクロバティックな展開を見せ、読者の度肝を抜いたのである。

 中でも読者の支持を集めたのが、佐方貞人その人だ。読み終わったとき、そこにいたのは冴えない中年どころか、事件の背後にあった人の思いをすくい上げ、「罪をまっとうに裁く」ことに静かで強い情熱を持つ弁護士だった。

 シリーズ第2作以降は時間を遡り、佐方の検事時代が綴られる。現時点で『検事の本懐』『検事の死命』『検事の信義』の3冊が出ており、いずれも短篇集。被疑者・被害者に対して「罪をまっとうに裁く(裁かせる)」佐方の活躍が、時には切れ味鋭く、時には胸に染み入るように綴られる。ミステリとしての構造もさることながら、すべての物語に共通しているのは、事件を見るのではなく事件を起こした人間とその感情を見る佐方の「正義」の形だ。

「人には感情があります。怒り、悲しみ、恨み、慈しみ。それらが、事件を引き起こす。事件を起こした人間の根底にあるものがわからなければ、真の意味で事件を裁いたことにはならない」(『検事の信義』所収「信義を守る」より)

 作品に頻出する「まっとうに」という言葉の意味が力強く読者に響くシリーズである。

 なお、『検事の信義』所収の「正義を質す」には「孤狼の血」シリーズの日岡が登場。ファンには嬉しい共演となっている。

3)『慈雨』(集英社文庫)

 群馬県警を定年退職し、妻とともに四国遍路の旅に出かけた神場じんば智則とものり。旅の途中、群馬で小学校1年生の愛里菜ありなちゃんが誘拐され殺害されたというニュースを見る。それは16年前、神場が捜査にあたった「純子じゅんこちゃん殺害事件」と特徴が酷似していた。胸騒ぎを覚えた神場は捜査本部にいる後輩の緒方おがたに連絡をとる。実は「純子ちゃん殺人事件」には、神場が長年蓋をし続けてきた、ある悔恨があったのだ……。

 厳しくも雄大な四国の自然に触れ、寺社を巡り、人との出会いを経る中で、神場はこれまでの自分の来し方を振り返る。新婚で赴任した駐在所で村人に受け入れてもらうまでの苦労、親しくつきあっていた同僚の死、娘の恋愛に対する心配、そして「純子ちゃん殺害事件」を巡るあれこれ。起伏の激しい道を歩く神場夫妻の巡礼はそのまま彼らの人生のようだ。

 その旅の合間に、群馬で起きている「愛里菜ちゃん殺害事件」の捜査の様子が挿入される。そして神場が何のために巡礼の旅に出たかがわかったとき、読者は大きな感動に包まれることになる。これもまた「まっとうに」罪を裁く物語なのだ。

 本書のテーマは、『最後の証人』に通じるものがある。人は過ちを犯すものだ。その過ちのあとでどうするかが、その人の生き方を決める──というテーマだ。人は誰しも、思い出したくない過去や後悔を抱えている。だが、どんな過去があっても、どんな後悔があっても、それでも人は生きていかねばならない。その時、その過去や後悔に立ち向かう強さを自分は持っているか。自分に恥ずかしくない「正義」を貫くことができるか。

 警察や法曹界にとどまらず、人としての正義を考えさせてくれる作品。骨太にして重厚、そして同時にとても優しい物語である。

4)『盤上の向日葵』(中央公論新社)

 さいたま市の山中で白骨死体が発見された。唯一の手がかりは、その死体が握っていた将棋の駒。伝説の駒と言われる手彫りのそれの流通ルートを辿って、刑事は地方へ飛んだ。

 その捜査の様子と並行して語られるのは、昭和46年、諏訪に暮らすひとりの少年の物語だ。父親に虐待され、小学生の身で新聞配達をしていた上条かみじょう桂介けいすけは、元教師の唐沢からさわ光一郎こういちろうと出会う。桂介の境遇を心配した唐沢は、事あるごとに桂介と交流を持つようになった。そして彼に天賦の将棋の才能があることを知ると、東京の奨励会に入れるべきだと桂介の父親に進言する。しかし父親はそれを一蹴。桂介はそのまま努力と独学で大学に進んだが……。

 このふたつの筋がどう結びつくのか、というのが読みどころ。

 圧倒的なのは、将棋を巡る男たちの壮絶な描写だ。虐待されながらも東大を卒業、IT業界から異例の転身を遂げた棋士という上条桂介の描き方もさることながら、彼が出会う賭け将棋の真剣師・東明とうみょう重慶しげよしが印象的だ。刹那的で破滅的、素行不良でプロになれなかったものの、将棋の腕は超一流。将棋という一点に於いては天才なのに人間としてはろくでなし。「孤狼の血」の大上に通じるものもあり、こういう人物を描かせると柚月裕子は本当に上手い。

 東明は「思い通りにいかない人生」の象徴だ。桂介もまた、将棋という道を見出したにもかかわらず、父親によってその道が奪われてしまう。では桂介は何をもって自己を体現するのか。東明が桂介に与えた影響が物語を動かしていく。

 著者もインタビューなどで語っているように、本書は松本清張の名作『砂の器』のオマージュ作品だ。才能を持つ子供と、そこに影を落とす父親という宿命の構図。事件を追って各地を飛び回る刑事。そして、犯人の大一番の舞台に刑事が訪れる場面。親子の相克と人間の業を描いた『砂の器』の世界観が、将棋界を舞台に見事に再現されている。清張ファンにもおすすめの一冊。

5)『パレートの誤算』(祥伝社文庫)

 ここまでの4作はすべて柚月の得意とする「オヤジ」の物語だが、若い女性を主人公にしたミステリも挙げておこう。

 地方都市の市役所に臨時職員として就職した牧野まきの聡美さとみは、社会福祉課でおもに生活保護に関する仕事を担当している。ある日、ケースワーカーの先輩課員・山川やまかわとおるが定期訪問で出かけた先のアパートで火災が発生。焼け跡から山川の遺体が見つかった。しかも殺された痕跡があるという。

 人望の厚い山川がなぜ殺されなくてはならなかったのか。生活保護受給者が多く住むそのアパートで何があったのか。山川の担当を引き継いだ聡美と同僚の小野寺おのでら淳一じゅんちは真相を調べようとするが、そこに浮かび上がったのはヤクザの影だった……。

 社会問題にもなった生活保護費の不正受給とその背後でうごめく貧困ビジネスを扱ったミステリである。自然体でまっすぐなヒロインと、行動力のあるスポーツマンの相棒という組み合わせに、ついぞ柚月作品ではお目にかかれない(失礼)ロマンスを期待したくなる楽しさがあるが、もちろんそれだけでは終わらない。

 畳み掛けるような展開と絶妙なミスリード。危機に瀕したヒロインに助けは来るのかという、手に汗握るクライマックス。貧困ビジネスの闇をえぐりつつ、エンターテインメントとしてもツボを押さえている。そして著者が筆を割くのはそんな事態になったいろんな人々が抱える「事情」だ。そしてやはりここでも、ケースワーカーとしての「正義」と並んで、自らの過ちに向き合うその人なりの「正義」が描かれることに注目願いたい。

『パレートの誤算』は今年(2020年)、WOWOWでドラマ化され主人公の聡美を橋本愛が、彼女とともに真相究明に走る小野寺淳一をNEWSの増田貴久が好演した。

 以上、柚月裕子作品のおすすめ5選である。それぞれの人がそれぞれの立場で貫く「正義」の形を、どうか味わっていただきたい。

大矢博子(おおや・ひろこ)
書評家。1964年、大分県生まれ、名古屋在住、中日ドラゴンズファン。ラジオ番組でのブックナビゲーターや読書イベント主催など、名古屋を拠点に活躍中。著書に『読み出したら止まらない! 女子ミステリーマストリード100』(日経文芸文庫)、『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』(文春文庫)など。


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