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レビュー

女たちの過去と現在が交錯する!罪を犯した女と、彼女に惹かれる女性ライターの愛憎ミステリー『蟻の菜園』

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

(解説者:西上 心太 / 文芸評論家)

 テレビのワイドショーが大賑わいになるセンセーショナルな事件は数多い。芸能人や有名人の不倫騒動などは毎年のように世間を騒がせている。これが殺人など凶悪犯罪がからんだ事件の場合は新聞の社会面でも報じられるので、より影響は大きい。この数十年でもマスコミが狂奔したさまざまな事件が起きた。ロス疑惑の銃弾事件、連続幼女誘拐殺人事件、和歌山毒物入りカレー事件、酒鬼薔薇さかきばら事件……。
 扇情的な報道はもうたくさんだと思っていても、自然と目や耳に入ってきて閉口する方も多いだろう。最近──といっても十年経つのだが、大騒ぎになったのが首都圏連続不審死事件だろう。練炭を使った一酸化炭素中毒による「自殺」事件の捜査がきっかけとなり、Kという女性が浮かび上がる。やがてKと関係した複数の男性が不審死を遂げていたことも。しかも多額の現金もKに貢がれていた。Kは殺人容疑などで起訴され、裁判は最高裁まで争われたがついに死刑判決が確定した。
 この事件は作家による裁判傍聴記をはじめ、事件を扱った出版物が何冊も出ているし、さらにK自身が拘置所で書いたとされる自伝的小説まで出ているのだから驚きである(本書と同じ版元である。さすがK書店!)。
 本書はその事件に触発されて書かれたと思われる作品である。とはいえ作者はいま注目の柚月裕子だ。単なるキワモノで終わるはずがない。

〈車中練炭死亡事件 結婚詐欺容疑で四十三歳女逮捕 複数の男性殺害に関与か〉
 フリーライターの今林いまばやし由美ゆみはネットで見たトップニュースに釘付けになる。逮捕されたのは千葉県在住の介護福祉士・円藤えんどう冬香ふゆかという女性だった。車中で亡くなった男性に自殺する理由がなく、車のキーも見あたらなかったため警察が捜査に乗り出したところ、男性の口座から五百万円が冬香の口座に振り込まれていたことが判明した。しかも冬香は複数の男性と交際しており、その内の何人かは不審死を遂げていたのだ。
 だが冬香の写真を見た由美は目を瞠ってしまう。彼女は誰もが認める美貌の持ち主だったのだ。これほどの魅力を持った女性なら異性に不自由はしないだろう。金が必要ならいくらでも稼げそうだ。そんな女性がなぜ結婚詐欺に手を染めたのか。
 由美はこの事件を追うことを決意する。伝手つてを頼ってたどりついたのが千葉県の地方紙記者の片芝かたしばさとしだった。男性が死亡した時には冬香には完全なアリバイがあり、金の使途も不明であった。しかも冬香の住まいは古い木造のアパートで、贅沢な暮らしとは無縁であり、男関係など共犯者の影も見あたらなかった。
 由美は片芝から得た情報をもとに、冬香と関わりのある人たちに聞き込みを続けて行く。すると報道とは違う冬香の顔が見えてくる。男を騙し、金だけでなく命まで奪った人間とは思えなくなってきたのだ。ようやく得たわずかな手がかりから、由美は冬香の過去を追って北陸に足を延ばす。

 柚月裕子の代表作『盤上の向日葵』(二〇一七年、中央公論新社)を読んだ時、松本清張の『砂の器』へのオマージュが濃いと思ったのだが、本作もそうであったことに遅ればせながら気がついた。冬香が働く介護施設で、北陸地方出身の老女と意思の疎通がはかれたことや、学生時代にある方言を口にしたという情報から、由美は彼女の原点が北陸の地にあることに気づくのだ。そして第二章では時代が過去に遡り、北陸のある地を舞台にした物語が展開していく。『砂の器』もまたある地方の方言が捜査進展の鍵になるのは有名だ。
 本書は由美の調査を追っていく現在のパート(奇数章)と、過去のパート(主に偶数章)が交互に配置された構成を取っているのが特徴だ。現在と過去を行き来する構成が本書の魅力の第一である。
 過去のパートでは親からの暴力とネグレクトを受ける姉妹が登場するのだが、彼女たちが現在のパートとどのように繫がっていくのか、二重三重に仕掛けられた作者の罠をかいくぐって真相にたどりつくのは至難の業であるだろう。しかも第四章では滅多にない二人称を使用した「語り」を使用しているので注目だ。「あなた」と呼びかける人物は誰なのか。それも本書の謎の一つである。
 第二の魅力が主人公の今林由美の造形である。彼女は四十歳半ば。中堅出版社の栄公えいこう出版社に編集者として勤めたが、結婚を機に退職した。だが三十歳を目前にして夫と離婚。昔の伝手で栄公出版社のニュース週刊誌を主戦場に、フリーライターとして活動している。同誌の編集長は同期の長谷川はせがわ康子やすこである。二人の境遇は二十年近くの間に大きく変わってしまった。康子に比べ半分以下の年収、長いローンが続くマンション……。離婚以降は異性とのつきあいもなく、注文を受けた目の前の仕事を追い続ける毎日。そんな境遇であるからこそ、由美は円藤冬香が起こしたとされる事件に、より興味を覚えたのであろう。
 柚月裕子は俳優の上川隆也との対談で、女性より男性の方が書きやすいと語っている(「小説 野性時代」二〇一九年三月号所収)が、それは女性を描くと精彩を欠くということではない。由美が女性であるからこそ、冬香の事件に挑む必然性がある。本書はそのことが読者に伝わるようにきっちりと書かれている。
 柚月作品の魅力のひとつは、「昭和の香り」がするところにある。これは『盤上の向日葵』や『孤狼の血』(二〇一五年、KADOKAWA→角川文庫)を読めば一目瞭然。本書に登場する新聞記者片芝敬も昭和の臭いがプンプンだ。傍若無人な態度で、酒好きのチェーンスモーカー。ただしプロ意識は高い職人気質かたぎ。由美は片芝に取材協力を依頼した電話口で次のような啖呵を切る。

「十の事実があっても新聞には一しか載りません。でも、残りの九にこそ、当事者にしかわからない真実があると思います。私はその九を記事にしたいんです」

 この言葉が偏屈な片芝を動かし、彼のフォローもあって由美は過去にあった事実から「九の真実」を探り出すことに成功するのだ。
 つぶしが利かず、焦燥を内に秘めた中年女性フリーライター、筆舌に尽くし難い過去を持つ女性たち。本書は立場こそ違え女性性を持つ両者が、過去と現在を通じてまみえ交錯する物語である。柚月裕子が社会に消費され尽くした現実の事件をどのように料理したか。本書を読めば、その手並みの鮮やかさにきっと驚かされるに違いない。


ご購入&試し読みはこちら▶柚月裕子『蟻の菜園 ‐アントガーデン‐』| KADOKAWA


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