日本各地に伝わる妖怪物語の最高峰が、待望ひさしいコンパクトな文庫版で初登場!
7月24日(水)発売の『稲生物怪録』(角川ソフィア文庫)より、編者の東雅夫さんによる解説の一部を先行公開します!
(資料提供 三次市教育委員会)
◆はじめに
本書は、広島県三次市に江戸時代から伝えられてきた「稲生物怪録」と通称される一大妖怪伝説の摩訶不思議な世界に、これから参入しようとする皆さんに向けて、真っ先に手に取っていただきたい入門書として企画編纂されたアンソロジーです。
巻頭には、三次の堀田家に所蔵されていた名高い「稲生物怪録絵巻」(三次市重要文化財)全篇を、フルカラーで収録しました。嬉々として跳梁する奇想天外な妖怪変化のヴィジュアルを、まずはじっくりと御堪能ください。
次に、怪異の実体験者である稲生武太夫(幼名・平太郎)自身が書き残したとされる「三次実録物語」を、小説家の京極夏彦が現代語訳した「武太夫槌を得る──三次実録物語」を収録しました。小説の匠ならではの達意の語り口で活き活きと再話された、世にも稀なる「実録」超常現象ドキュメンタリーです。
最後に、広島藩士の柏正甫が、同僚だった(!)武太夫本人に聞取をしてまとめたとされる「稲生物怪録」を、編者である私の逐語訳で収録しました。第三者の手で書かれた最古の稲生文献です。右の「三次実録物語」と読み較べてみることで、イノモケ・ワールドの懐の深さ、驚くべき重層性を実感できることと思います。
なお、原文ではなく現代語訳を採録したのは、現代の読者──とりわけ妖怪や怪談に好奇心旺盛な、若い世代の皆さんにとっての読みやすさ、親しみやすさを重視したからです。
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巨大な髭腕が伸びてきて平太郎の腰をわしずかみに。
◆稲生物怪録の特色
大江山の酒吞童子や戸隠山の鬼女紅葉、姫路の刑部姫や那須野の殺生石、あるいは奥州のザシキワラシ、岡山の魔法様、徳島の夜行さん、沖縄のキジムナー……日本各地には実にさまざまな妖怪伝説が、それぞれの土地の記憶とともに語り残されています。しかしながら、三次の稲生物怪伝承には、それら余所の伝説とは趣を異にする顕著な特色があります。
登場する妖怪変化の群を抜く多彩さとその奇抜な生態については、「個人の想像力の域を超絶した化物たちの饗宴」「日本の妖怪譚の白眉」と絶讃する民俗学者・谷川健一の評言(小学館版『稲生物怪録絵巻』序文)を筆頭に、すでに多くの論者が指摘するところですが、そればかりではありません。
第一に、事件が起きたとされるのが、近世もなかばを過ぎた寛延二年(一七四九)であること。十八世紀中葉といえば、日本は鎖国の真只中でしたが、西欧ではすでに産業革命が始まり、近代化の大波が澎湃と押し寄せようとしていた時代でした。
開明の新世紀にあって、それぞれにマルチな才能を発揮した東西の両文豪──大田南畝とゲーテが生まれたのは、奇しくもこの寛延二年です。同年には他にも数学者のラプラス、医学者のジェンナー、地質学者のヴェルナー、化学者のラザフォードら、近代科学の発展に寄与した偉人たちが、世界各地で呱々の声をあげています。
第二に、事件の起きた年月日や場所、関係する人物が、きわめて具体的に特定されていること。本文をご覧いただければお分かりのように、まるで夏休みの日記帳さながら、七月の一日から三十日まで日付を追って、各日の出来事や関係者の出入りなどが逐一記されているのです。
ちなみに物語の舞台となる稲生家の屋敷(通称「麦蔵屋敷」)は現存こそしないものの場所は特定されており(三次市三次町一〇七四/現在は広島法務局三次支局)、跡地の一角には立派な「稲生武太夫碑」が、昭和三年(一九二八)に同町の商工会の手で建立されています(つまり武太夫顕彰の動きが当時あったのだと察せられます)。
また平太郎が登る比熊山も今なお往時を偲ばせる姿で、三次の盆地と東西を流れる西城川・江の川を見下ろしており、山頂には千畳敷と禁忌の大岩(神籠石)も残されているのです。まさに「逢いに行けるアイドル」ならぬ「逢いに行ける怪異伝承地」とでも申せましょうか。
こうした只ならぬ具体性はひとえに、怪異を実際に体験したとされる稲生平太郎こと武太夫が、まぎれもない実在の人物であったという史実に起因することは、あらためて指摘するまでもないでしょう。稲生正令、通称・武太夫(後に忠左衛門とも)は、享保二十年(一七三五)に備後三次藩士・稲生武左衛門の長男に生まれ、すでに同藩が本家である広島藩に併合されていたことから(藩士は地元待機とされ、その間に妖怪事件が起きています)、宝暦八年(一七五八)には他の藩士とともに広島へ移住しています。享和三年(一八〇三)に死去。稲生家累代の墓所は、広島市内の本照寺にあります。
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【三日の夜】女人の生首があらわれ、舌でなめまわす。
武太夫の子孫はその後も長らく広島藩に仕え、かく申す私自身、一九九六年に雑誌「ムー」の伝説紀行取材で広島を訪れた際、稲生家十四代当主の平太郎氏(御本名です)のお宅に伺い、秘蔵の『三次実録物語』写本をじかに拝見するという僥倖を得ました(拙著『妖怪伝説奇聞』参照)。武家の末裔の風格を漂わせる直系の御子孫と対座してお話を伺いながら、伝説の記された手記を繙くなどという体験をしたのは、後にも先にもこの時だけです。
さて、第三の特色として挙げられるのが、この伝説に取材した後世の作物の多彩さです。稲生怪異談はすでに同時代から、好んで絵巻や絵本の形で流布されたと考えられ、その一方で、成人した武太夫が諸国遍歴の妖怪ハンターとなって活躍するといった趣向で、講談などの武辺噺の人気演目となりました。
そして近代に入ると、小説や戯曲などの文芸作品(後述)、さらには現代の漫画(水木しげる『木槌の誘い』、白山宣之「平太郎お化け日記」、スケラッコ『平太郎に怖いものはない』ほか)や児童書(小沢正&宇野亜喜良『ぼくはへいたろう』、寮美千子&クロガネジンザ『へいきの平太郎』ほか)などに至るまで、まことに多種多様な形で取りあげられることになったのです。
絵巻に関しては、杉本好伸編『稲生物怪録絵巻集成』(国書刊行会)が、大判の紙面をフル活用して、堀田家本絵巻のほか、『怪談之由来 併 画』(井丸家所蔵)、『稲生武太夫一代記』(吉田家所蔵)、『稲亭物怪録』(広島県立歴史民俗資料館所蔵/慶應義塾大学三田メディアセンター所蔵)、『稲生逢妖談』(宮内庁書陵部所蔵)、『稲亭物怪図記』(西尾市岩瀬文庫所蔵)等々の諸本を比較しながら、本文の翻刻とともに美しいカラー印刷で鑑賞できる構成になっており、必携必見の基本図書です。
文芸作品については、巌谷小波「平太郎化物日記」、泉鏡花「草迷宮」、折口信夫「稲生物怪録」、田中貢太郎「魔王物語」、稲垣足穂「懐しの七月」等々、名だたる文豪たちによる稲生作品群を収録するとともに、神田伯龍の講談速記「稲生武太夫」、杉浦茂の古典漫画「八百八だぬき」、さらには稲生怪異談に言及した近世・近代の随筆考証類や原典資料などを集大成した、東雅夫編『稲生モノノケ大全・陰之巻』(毎日新聞社)が、現時点で最も充実したアンソロジー大冊となっています(同書の姉妹篇である『稲生モノノケ大全・陽之巻』は、皆川博子や菊地秀行、京極夏彦ら十八名の現代作家による「稲生物怪録」テーマの競作集です)。
(このつづきは本編でお楽しみください)
ご購入&冒頭の試し読みはこちら▶編:東 雅夫 / 訳:京極 夏彦『稲生物怪録』| KADOKAWA
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【二十六日の夜】首の部分から腕が生えた女の生首が飛んできて、なでまわす。