文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
(解説:皆川 博子 / 小説家)
ジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』は、小人国と大人国が、子供向けにリライトされたり絵本になったりして、よく知られていますが、本来はたいそう皮肉に辛辣に人間の本性を風刺した作品群です。痛烈な人間嫌悪をあらわした最たるものは、高貴なる馬の国を訪れた『フウイヌム国渡航記』です。その前に、ガリヴァーは日本を含む幾つかの国を探訪しています。ラグナグ王国に着いたガリヴァーは、その住民の中に少数の不死者がいることを知ります。彼らは生まれつき、目印となる痣を持っています。不死。素晴らしいじゃないか! とガリヴァーは思うのですが、やがてその悲惨な実態を知ります。彼らは、体力も判断力も記憶力も衰え、老いさらばえたまま永遠に生き続けなくてはならない。八十歳になると、法的には死者とみなされます。彼らは若者を憎みますが、もっとも嫉妬を抱く相手は、死ぬことのできる老人です。
ならば、不老の要素が加わったらどうなるか。若さを保ち生き続ける。これ以上望ましいことがあろうか。
そう思う者は太古から絶えなかったようで、神話、伝承によって幾多の例が伝わっています。
ことに、権力と富貴を手にした者は、その状態を永遠に保ち続けたい。秦の始皇帝に不死の霊薬探索を命じられた徐福の伝説は日本各地に残っています。逆に日本では、時の帝の詔を受けた田道間守が、不老不死の霊果をもとめ常世の国に渡る譚が『日本書紀』などに記されています。
しかし、不老不死はそれほど望ましいものか。刑罰としての不老不死もあります。「さまよえるユダヤ人」や、それを発想元の一つにしたワーグナーの「さまよえるオランダ人」、また、岩に縛りつけられたプロメテゥスの神話などが、その孤独と苦しみを伝えます。
千早茜さんの『夜に啼く鳥は』は、その不老不死の存在を核とした物語です。
第一話では、小川未明やアンデルセンの童話のような語り口で、不老不死となる娘の話が物語られます。哀しくやさしく、けれども勁さをも持った譚です。
第二話以降では、はるか後世──ほぼ現代──、その子孫である一族の物語がきびきびとした文体で綴られます。
隠れ里にひそみ棲む彼らの大多数は、普通に老い、普通に生を終えますが、中に何人か不老不死であるとともに、治癒能力をも持ったものがあらわれます。その力の根源について、ここで語るのは控えます。視覚的な美しさ、そして〈不死者の自由〉についての深い考察は、本文から読み取っていただくべきでしょう。
強力な能力を持つ人物「御先」が、物語を牽引します。
外観は異様なほどに美しい十代の少女であるけれど百数十年の歳月を生きてきたミサキは、言います。
肉体は若いままであっても、心は老いるのだよ
〈不老〉と〈不死〉と〈人が生きる〉ということの本質を摑んだ言葉です。
ここで私事に言及するのは場違いなのですが、私も齢九十に達しようとしています(うわァ)。不老でも不死でもないけれど、世相、世論の変遷は、いやというほど体感してきました。変遷は、どの国にあっても同様だろうと思います。ことに二つの大戦は、世界の様相を一変させています。ある国の正義は他の国に災厄をもたらします。ある時代の常識は、後世から見ればとんでもない不条理です。「自由」「平等」という申し分のない旗印が、殺戮を正当化させもします(フランス大革命がその一例です。もちろん、これは体験していません。資料で知りました)。「平和」も、なにやら胡散臭い。「平和」をもたらすためには何をしても許されるのか。第二次大戦中、日本で大流行した歌の歌詞は「東洋平和の ためならば なんの命が 惜しかろう」でした。「平和」は「戦争」の口実になり得る。
ミサキは、冷静な態度をくずさないことで、世の変容に巻き込まれず──哀しい辛い思いは多々あるけれど──生きます。外観は少女でも、世の非情、冷酷、不条理を知ったからには、心は、少女のままではいられない。しかし、狡猾な世知を身につけることはなく、少女の潔癖さをミサキは保ち続けてもいます。
連作の形を取る『夜に啼く鳥は』の、第三話と第四話は、世の中に自分の居場所を見つけられない子供、少女の視点からそれぞれ書かれています。ミサキは、弱者である女の子とその兄、あー死にたいと始終口走る少女の心の奥深くに、寄り添っています。ミサキ自身が、異能を持つこと及びジェンダーの点からも、マイノリティです。
千早茜さんは、小学一年から四年までの時期を、アフリカのザンビアで伸びやかに過ごされました。帰国して日本の小学校に転校したとき、同級生から好奇の目で見られ、不愉快な思いをしたと、インタビューで語っておられます。排除されがちな弱者、マイノリティの側に常に立つ作者の姿勢は、その過程でごく自然に備わったものなのでしょう。だから、作品は、マイノリティの正義を強調するような説教臭い話にはならない。孤立する子供や少女の、表には見せない心の動きが精緻に描出されています。
この連作を読みながら、物語る間合いの巧みさを感じました。たとえば第一話の冒頭、海辺の村の子が砂浜に白い塊を発見する件です。子供は〈柔らかく砂に転がるそれに近づき、恐る恐る覗き込みました。〉読者は、何だろう、と好奇心に駆られる。次のフレーズは、〈空が鳴り、雲の影が流れました。〉です。挟まれたこの一行が、〈白いものは赤子でした。〉と明かされる事実の効果を強めている。これがパターン化して頻繁に用いられたら煩わしいのですが、作者はその按分を、意識的にか天性か、熟知しておられます。
『夜に啼く鳥は』は、デビュー作『魚神』に通じる神話的な要素を持つ幻想譚ですが、『あとかた』に代表される現代の恋愛を主題とした作や、独特なエッセイ『わるい食べもの』など、千早茜の作風は多彩です。杉や樫のような一本の樹幹ではなく、一箇所から幾つもの幹が伸び、それぞれ色も形も異なる花を咲かせ果実を実らせる樹を、思い浮かべました。樹幹は複数だけれど、それらは、地下に広がるがっしりと強靱な一つの根から生れ出たものです。
その根が吸い上げ、物語の養いとする要素の一つは、生誕と死の間を生きる人間に向けた、作者の冷静で怜悧な観察眼です。たのしいエンターテインメントとして開花した『夜に啼く鳥は』には、その樹液がたっぷりと行きわたっています。
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