文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
(解説:香山 二三郎 / コラムニスト)
「平成」に代わる新元号は「令和」。二〇一九年五月一日から新たな時代が始まることとなったが、元号だけに限らない。巷では様々な新旧交代劇が起きており、たとえば野球の世界では、MLBシアトル・マリナーズのイチロー選手が現役を引退、代わりに菊池雄星投手が同チームでMLBデビューを飾った。
イチローが偉いのは、MLBシーズン最多安打を始め、数々の記録を打ち立てたこともさることながら、何より二八年間の長きにわたって第一線で活躍し続けたことだろう。
しかしそのイチローをもってしても、現役生活は三〇年に満たなかった。
ひるがえって小説家の現役生活は長い。一〇年、二〇年はあたりまえ。三〇年、四〇年クラスも珍しくはない。でもさすがに、四〇年以上第一線で活躍している作家となると、数は少なくなる。赤川次郎はその数少ないひとりである。
デビューは一九七六年、短篇「幽霊列車」で第一五回オール讀物推理小説新人賞を受賞したことによる。以後、四〇年以上にわたって日本ミステリー界の最前線で活躍してきたことは周知の事実だが、驚くべきはその代表作ともいうべき「三毛猫ホームズ」シリーズもまた、四〇年以上にわたって読み継がれていることだ。
シリーズ第一作『三毛猫ホームズの推理』の刊行は一九七八年四月。血を見るのが苦手で女性恐怖症の刑事・片山義太郎が女子大学で起きた殺人事件の捜査に当たるが、その被害者が飼っていた三毛猫のホームズを引き取ることに。それから作品を重ねること五二冊、長篇第三八作『三毛猫ホームズの復活祭』(二〇一八年五月刊)をもってシリーズは無事四〇周年を迎えることと相なった。このシリーズの特徴のひとつは登場人物が年を取らないこと。嬉しいことに、われらがホームズも片山刑事もデビュー当時からほとんど変わらぬ姿で活躍ぶりを見せてくれるのである。
本書『三毛猫ホームズの危険な火遊び』は二〇〇六年二月、光文社のカッパ・ノベルスから、さらに〇九年二月に光文社文庫から刊行された長篇第二九作。
物語は警視庁捜査一課の片山刑事と妹の晴美、ホームズと片山の後輩の石津刑事というお馴染みのチームがデパートの閉店セールに訪れるところから幕を開ける。そこで片山がバッタリ会ったのが、伝説的スリの松木啓介老。彼もまた娘の有里の買い物に付き合わされていた。さらに晴美が買い物途中、高校時代の同級生、氷室エミと再会。太めの文学少女だった彼女はブランドでかためた細身の美女に変身していたが、秘書のような男を連れており、何かいわくがありそうな……。その秘書めいた男は大物国会議員・田ノ倉公一郎の秘書・堀井徹也で、人ごみの中、大切な手帳を紛失していた。父親がついすってしまったそれを松木有里が翌日堀井に届けたことから、ふたりは付き合い始めることに。
同じ日、晴美も氷室エミに呼び出され、会っていた。エミはだが、自分を見張っている女がいるので、それをまくのを手伝ってほしいという。晴美が事情を知るのは後日、エミのマンションを訪ねてからのこと。同じ頃、片山と石津は昼食をとりに入った食堂で手配中の殺人事件の容疑者・東良二と遭遇、追跡劇を演じたうえで逮捕にこぎつける。
ある場所に集まった人々が織りなす群像劇を名作映画のタイトルにあやかって、グランド・ホテル形式などというが、今回の序盤はまさにそれだ。著者はデパートで顔を合わせた面々のその後のありさまを描いていくが、松木有里が鉄道駅のホームで何者かに狙われたり、逮捕時にケガをして入院した東良二を一七歳の妹・村山美咲が密かに見舞い、彼を絶対助けると宣言したりするものの、話がどんな方向に転がっていくのかこの時点でははっきりしない。それがはっきりするのは、美咲が良二の弟分、チンピラやくざの中田克夫と会い、弁護士費用を工面するべく誘拐事件を思いつく場面から。美咲は自分が誘拐されたふりをして身代金を要求する〝偽装誘拐〟を克夫に提案するのだ!
そう、今回メインとなるのは誘拐事件。兄を思ってのこととはいえ、一七歳の少女が大それた犯罪を思いついたものだが、そこは素人の浅はかさ、「万一、捕まっても、私が『これは誘拐じゃないんです』って話せば大丈夫」とお気楽な見通ししか立てられない。大丈夫なわけないじゃん。三日後、克夫は打ち合わせ通り、組の事務所の物置に落ちていた壊れた拳銃を携え、美咲の住むマンションにやってくる。ここでポイントは、美咲の住むマンションには氷室エミも住んでいたことだ。しかも犯行時、美咲はエミの車に便乗しており、さらに同マンションにはエミに会いに片山たちもやってきたからさあ大変。逆上した克夫が発砲すると、壊れているはずの拳銃から弾丸が出、緊迫感五倍増。挙げ句の果ては、美咲を助けようとしたエミが彼女の身代わりにさらわれる羽目に。
かくして簡単かと思われた美咲の偽装誘拐はこじれにこじれていくのであった。
獲物を間違えてさらってしまう誘拐犯罪といえば、黒澤明監督の映画『天国と地獄』の原作、エド・マクベインの八七分署シリーズの『キングの身代金』があまりに有名だ。しかしそこでは犯人が誘拐する相手を間違えてしまうのであり、犯罪そのものはあくまでシリアス。本書でも克夫がその場の勢いでエミをさらってしまうのはあくまで偶然だが、その後の展開が異なる。どう異なるか、詳しくはいえないが、国産の誘拐ミステリーの傑作としてつとに知られる天藤真『大誘拐』と同じようなシチュエーションといっておく。
思いも寄らぬ展開は、誘拐する相手を間違うことだけではない。著者はその後の身代金の受け渡しにおいてもヒネリを加え、話を二転三転させる。誘拐とは直接関係のない設定面においても驚愕の仕掛けを繰り出すなどして、一連の事件がどう着地するのか皆目見当がつかぬよう工夫を凝らしているのだ。
本書の読みどころがその誘拐事件の顚末にあるのはいうまでもないが、事件に関わる女性たちのキャラクターにもご注目あれ。地味な文学少女だったのが、家庭の事情で大物議員の愛人にならざるを得なかった氷室エミ。悪賢い爺ころがしかと思いきや、わが身を犠牲にする古風な女として男心をとらえる魅力の持ち主でもある。父親思いで脅しにも屈しない気丈な娘、松木有里。ありがちなしっかり者かと思いきや、底知れぬ一面を抱えていたりもする。そして大胆な犯罪に走る村山美咲。その強気な発言に、中田克夫が思わず「てっきり機関銃片手に護送車を襲撃したりするのかと思った」と洩らすが、それって『セーラー服と機関銃』のヒロイン星泉そのまんまじゃありませんか!
むろんシリーズキャラであるホームズ(牝猫です)と片山晴美については、いうに及ばず。考えてみれば、どんな女性キャラが登場するのかは本シリーズを通しての楽しみといえなくもない。シリーズは生誕五〇周年を目指し、『三毛猫ホームズの復活祭』以降も継続中。このシリーズに限っては、新旧交代の波とは無縁のようである。
ご購入&試し読みはこちら▶赤川次郎『三毛猫ホームズの危険な火遊び』
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