対談 「本の旅人」2015年9月号より
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【『孤狼の血』対談 柚月裕子×黒川博行】書きたかった「裏の正義」
撮影:ホンゴ ユウジ 取材・文:タカザワ ケンジ
これまで表舞台の正義を書いてきた柚月裕子が、悪徳警官の生き様を見事に描き切った『孤狼の血』。
警察ハードボイルドの第一人者である黒川博行と、ヤクザものの魅力について語り尽くす。
〈単行本刊行時に「本の旅人」2015年9月号に掲載されたインタビューを再録しました〉
男らしい小説
黒川: 今日、初めてお会いしましたけど、きれいな人でびっくりしました。
柚月: いえいえ(笑)。
黒川: 『孤狼の血』の作者とは思えませんね。
柚月: そうですか?
黒川: 男の人が書いているのかな、というくらい、男らしい小説だと思いました。
柚月: 嬉しいです。男らしいと言われて喜ぶのもなんですけど(笑)。
黒川: 取材はされたんですか?
柚月: 舞台になった広島に足は運びましたけど、人物取材はしていないです。
黒川: 実際にあったヤクザの抗争がモデルですよね。広島弁指導は?
柚月: 知り合いに広島出身の方がいて、その方にお願いしました。
黒川: 昭和六十三年当時の広島弁ですから、いまとは違うでしょうね。『仁義なき戦い』の後の時代の広島弁の雰囲気がよく出ていたと思いますよ。時代設定を昭和にしたというのは、発想としてすばらしいなと思いました。
柚月: 逆に、私は暴力団対策法が施行される前じゃないと書く自信がないと思ったんです。
黒川: たしかに現代が舞台では無理ですね。暴対法や暴排条例ができてから、こういうヤクザの世界はなくなりましたから。でも、当時の捜査方法や法規を調べて小説に落とし込むのは、大変だったんじゃないですか。
柚月: そうですね。この時代の広島を知らないので、時代背景から調べなければならないということはありました。暴力団組織がどうなっているかもまったくわからないので、ノンフィクションや実録ものを読んだり。黒川さんの「疫病神」シリーズを読ませていただいてますが、黒川さんのお書きになっているのは、現在のヤクザですよね。私が書いたのが「調べて書いたヤクザ」なら、黒川さんは「いま生きているヤクザ」かな、と。
黒川: 知り合いはいないですよ(笑)。
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柚月: 取材はどのように?
黒川: 新聞記者が多いですね。それから退職した四課(暴力団担当)の刑事。現役の刑事はしゃべりません。退職したら、ようしゃべりますよ、昔の自慢話を。
柚月: 最新刊の『勁草』を読ませていただきましたが、オレオレ詐欺の集団が、どうやってお年寄りをだますのか、言葉の一つひとつまで書かれているんですよね。ふだんマスコミで報じられているニュースを見聞きする限り、私は絶対に引っかからないと思っていたんですけど、自分も引っかかるかも、と思ってしまいました。
黒川: 引っかかるでしょう。
柚月: 衝撃的でした(笑)。
黒川: 「名簿屋」が、どんどん完璧な名簿を作っていて、子どもの名前から勤め先まで事細かに書いてありますから。
柚月: 「名簿屋」が個人情報を引き出していく手口も「ああ、こうやって調べていくんだ」と腑に落ちました。実際にそうなんですか?
黒川: そうです。僕も聞いたときにびっくりしました。老人ホームの待機者名簿からたどって、家族の情報を聞き出す。よくできているんですよ。柚月さんもだまされますよ。被害者は九割五分まで女の人ですからね。息子に弱いでしょう?
柚月: 娘と息子がいるんですけど、一緒にいて楽しいのは娘なんですよ。話も合うし。でも、心配なのは息子なんです。だから風邪を引いてるからちょっと声がおかしいんだけど、と言われたら──。
黒川: 私にできることなら、と思うでしょうね。
柚月: 情の部分を突いてくるわけですよね。そこは父親より母親のほうが弱いと思います。とくに息子から頼られると。
黒川: うちの嫁はんも息子に弱いですよ。
理から生まれたリアリティ
黒川: 『孤狼の血』で感心したのはリアリティですね。情ではなく、理で書いている。理とリアリティはだいたい一緒ですから。そういう意味でも男っぽいですね。それに、普通はリアリティに徹すると起伏の少ないストーリーになっていくんですが、ところどころにエピソードを入れて起伏を作る。そこもお上手やなと。
柚月: ありがとうございます。初めてのジャンルで、手探り状態で書いたので、とても嬉しいです。
黒川: ヤクザものといっても、最近の映画やVシネマと違うのはリアリティ。映像はどうしても外連味とか、派手な場面を追いたがるけど、そこを抑えて抑えて、リアリティを追うのが小説だと思うんです。それに、『仁義なき戦い』へのオマージュやと思うんですが、『孤狼の血』にはたくさん登場人物が出てくるじゃないですか。
柚月: どこの組とどこの組が敵対して、傘下にどういう組があって、という関係が複雑で、覚えていられないのでメモを作っていました。
黒川: 映画であれば、役者が演じるから役者の顔で判別がつくんですが、小説の場合、名前だけで人物の区別をつけなくてはならない。それがものすごく難しいんですよ。『孤狼の血』には多くの暴力団、ヤクザが出てくるし、警察官もたくさん出てきてそれぞれに役職がある。そこをうまくクリアしているのはセンスですよ。教えられてできることじゃないですから。いま、面白いでしょう? 書くのが。よい職業を選ばれてよかったですね。
柚月: 辛いというか苦しいこともありますけど。黒川さんはどうですか。
黒川: 僕は楽しいと思ったことはいっぺんもないんです。
柚月: デビュー当時からですか?
黒川: 賞に応募してデビューしたんですけど、楽しかったのは書きはじめて半月だけですね。半月経ったときに、嫁はんに「もうやめや」って言ったんですよ。「もうこんなアホみたいなことはやっとられん」。そしたら嫁はんが、書きはじめたんだから最後までやれ、と。それで、泣く泣く書いたんです。
柚月: もともと学校の先生もされていて、書くこと自体は苦痛ではなかったんじゃないですか。
黒川: 自分もたくさん本を読んできました。だから書きはじめたんですけど、こんなにしんどいとは思わなかったんですよ。でも、まあ、書いているときは辛いですけど、本になったらね。見本が届いて。自分で読んだら、なかなかがんばってるな、と。自己満足ですけど、それでええんやないかと。ましてそれ以前に、こういう怠惰な生活でちゃんと暮らせていけるというのはありがたいことですよ。あのとき嫁はんが書けって言わなければ、美術の教師を定年まで続けて、今ごろ隠居してると思いますけどね。
柚月: エッセイ集を読ませていただいたんですが、奥さまとのやりとりが書かれていて、さすがの黒川さんも奥さまには頭が上がらないのかなと。
黒川: 上がりません。世の中で嫁はんほど怖いものはありませんから。
書きたかった「裏の正義」
柚月: 今回、この作品を書こうと思った理由は二つありまして、一つはもともと映画の『仁義なき戦い』や、阿佐田哲也の『麻雀放浪記』のような世界が好きで、いつかああいう男の世界を書いてみたいと思っていたんです。もう一つは、これまで弁護士や検事の物語を書いていますが、それが日の当たる場所の正義だとしたら、日陰の正義、表に対する裏の正義を書いてみたかったんです。正義と言っても一つではなくて、十人いれば十通りの正義がありますし、何を正義とするかは人によってぜんぜん違うと思います。『孤狼の血』に出てくる刑事の大上のように、暴力団と癒着しているように見える悪徳刑事であっても、通すべきスジは通す。
黒川: 矜持ですね。
柚月: 自分が思う道徳、正義にスジを通して生きている。その潔さを書いてみたかったんです。
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黒川: 『孤狼の血』の語り手は日岡という若い刑事ですが、主人公は大上ですよ。読み始めて、この男の物語なら『孤狼』だけでいいんじゃないかと思いましたけど、最後まで読むと、「血」の意味がわかる。そこも上手いなあ、と思ったんです。しかも、「血」と言いながらウェットではない。ドライ。こういう乾いた小説って好きですね。僕は絆とか愛とか友情とか、いまどきいらんと思っています。物語の底に情があるのはいいですけどね。表に出てくるのは好きじゃない。
柚月: 私もどちらかというと乾燥気味の小説のほうが好きですね。それに大上のような外れている人間に魅力を感じるんです。欠けた部分を持ったまま、必死にあがいて生きているという人間像が好きです。一緒に暮らしたらたいへんだと思いますけど(笑)。 ところで、うかがいたいことがあるんですが、黒川さんの小説には食事のシーンがたくさん出てきますね。美味しそうだなあ、と思って読んでいるんです。
黒川: あれね、時間つぶし。
柚月: そうなんですか(笑)。
黒川: 時間調整ですよ。昼間からケンカできませんから、夜までどうやって時間をつぶさせるか。時間調整には食事がいちばん便利ですよ。
柚月: 黒川さんは美味しいものがお好きなのかと思ったんです。一度取材で大阪に行ったことがあるんですが、たこ焼きが美味しくて。
黒川: 美味しいお店は知ってますよ。大阪にいらっしゃるときは、メールでも電話でもして下さい。案内します。
柚月: 嬉しい! ぜひ、お願いします。