文庫巻末に収録されている「解説」を公開!
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(解説者:
『臨床真理』は、そんな柚月裕子の記念すべきデビュー長編作なのだ。
二〇〇八年に宝島社が主催する『このミステリーがすごい!』大賞の大賞を受賞し、二〇〇九年に単行本として刊行された作品である。
物語は、ひとりの少女の死をめぐるプロローグのあと、病院内で、女性臨床心理士が青年にカウンセリングを行っている場面へと続く。青年の名は
本作で主人公をつとめるのは、臨床心理士の
もうひとつ、本作のひとつの大きな特色は、まれに存在する特殊な能力が題材であるところだ。一方の主役といえる青年、藤木司は、「共感覚」の持ち主なのである。ふつう、ある刺激に対する感覚は決まっている。文字の連なりを見たら、その読み方や意味を思い浮かべるだろう。ところが共感覚者は、そこに色を感じたり、音を聞いたり、味を覚えたりするのだ。つまり別の異なる感覚をも知覚してしまう。司の場合は、相手が真実を話していると白、噓をついていると赤を声に感じる能力を持っていた。いわば人間噓発見器である。
共感覚を持つ青年のカウンセリングを担当したことから、佐久間美帆は、どうにか彼の閉じた心をひらき、真実を聞き出そうと面接を重ねていく。同時に、美帆は高校の同級生だった警察官、
殺人事件をきっかけに、探偵役の主人公が、犯人探しにとりくみ、ある組織の暗部を暴くストーリーは、ある種のサスペンスの王道的な展開だ。また、共感覚を扱ったミステリー作品も刊行当時にはすでに多く書かれており、これがパイオニアというわけではなかった。だが、本作はけっしてそれだけの小説に終わってはいない。しばしばデビュー作には、その後の作者のすべてが詰まっていると言われる。その後の柚月裕子作品をすべて読んだうえでいまいちど本作を振り返ると、特徴となる要素がいくつも見えてくる。
筆者は以前、『ウツボカズラの甘い息』の刊行時に作者へインタビューしたことがある。そこで彼女が強調していたのは、「動機」にこだわっているということだった。
小説を書いているなかで、いちばん心を砕いているのは動機の部分。人の行動の裏にある感情を書きたいんですね。どうしてこの犯罪が起きたのか。その理由を丁寧に描いていきたい。これからもずっとそうしたいと思っています。
重視しているのは、人がどう悩み、どういう選択をし、どう決断したのかという心の動きなのだ。動機とは、すなわち表から見えない、隠された心理にほかならない。のちの作品、たとえば「
これらのことから、なぜ作者はデビュー作で臨床心理士を主人公とし、共感覚を題材にとりいれたのか、見えてくるような気がする。佐久間美帆は、人間心理を専門に扱う人だ。また藤木司という青年は、他人の噓を見抜く能力を備えていた。すなわちどちらも隠された心理を暴く人なのだ。どうしてこのような犯罪が起きたのか、その動機の部分に強い関心を抱く作者が、臨床心理士や共感覚の人を題材に選んだのは、とうぜんのことである。
さらに、この『臨床真理』を読んで感じるのは、とにかく大胆であることだ。いっさい容赦せず、物語世界を描いていく。とりわけ、障害者の性や性犯罪を扱っている部分にそれを強く感じた。またクライマックスにおいて、佐久間美帆自身に襲いかかる危機の描き方など、かなり過激な筆致である。
作者は、のちに柚月版「仁義なき戦い」「県警対組織暴力」といえる『孤狼の血』を発表し、その思いきった挑戦ぶりと見事な出来映えに驚かされたものだ。暴力に明け暮れ、血で血を洗う男たちを描ききった。これまで名作といわれる小説や映画に刺激を受け、膨大な資料をもとにオマージュとなる新作を発表する例はいくらでもあっただろう。だが、たいてい原典が持つ魅力にはかなわないものだ。ところが柚月裕子は違う。新たなオリジナルをうみだしたのだ。それは『盤上の向日葵』でも同じである。大崎善生『
なにより、『孤狼の血』や『盤上の向日葵』で作者が描いたのは、組織のはみだしもの、社会の枠の外で生きるギャンブラーなど、世の中の裏側で生きのびようとする無法者たちだった。それで言うと、ネット上にあがっている作者のインタビュー(WEB本の雑誌「作家の読書道」)のなかで、〈『臨床真理』を書いている時も確かに「犯人は誰」というところにも心を砕きましたが、それ以上に出てくる青年の心の暗い部分や、「まともじゃない人間は生きてはいけないのか」という台詞にこめた思いがあります。〉と語っていた。デビュー時から、人の隠された心理、動機にこだわるとともに、「まともじゃない人間」の居場所やその存在感といった面に関心があったわけである。そうした思いが、アウトローたちの死闘を追った、近年の傑作群へと昇華されていったのかもしれない。
それにしても、デビューからわずか十年で、ここまでの進化と変貌をとげるとは思いもしなかった。それも主人公、題材、ジャンルなどさまざまな挑戦を重ねている。
第一作『臨床真理』の主人公は、女性臨床心理士だったが、第二作『最後の証人』の主人公は男性弁護士の佐方貞人だ。すなわち本格的なリーガル・サスペンスである。つづく第三作『検事の本懐』で第二十五回
その後、ヒロインの活躍を描いたサスペンスを何作か発表したのち、『孤狼の血』で大ブレイクし、『慈雨』『盤上の向日葵』と書き上げ、評価および人気を不動のものとしたわけである。おそらくデビュー以降、柚月裕子がたどりついた最大の武器は、「昭和のおやじ臭い」人物造形を自分のものにしたところにあるのではないか。とくに、生臭さを感じさせる下品で態度のわるい中年男を描かせると
あくまで王道を描きながら、単なるパターンに流し込まず、たえず趣向をこらし、魅力ある人物の登場と心理の奥をとらえ、読者の心をつかむ。こうなるともはや無敵だ。二〇二〇年には『孤狼の血』『凶犬の眼』に続く第三弾、『暴虎の牙』の刊行が予定されているという。柚月裕子の活躍が今後ますます
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