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連載

榎田ユウリ「武士とジェントルマン」 vol.2

現代日本に武士(本物)が!? 英国紳士が居候先で見たのは…… 榎田ユウリ「武士とジェントルマン」#1-2

榎田ユウリ「武士とジェントルマン」

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 武士。
 あるいはサムライ。
 日本の中世・近世における支配階級。
 その存在について、一定の知識は持っていた。私の専門は東洋美術史、特にインド美術なのだが、ほかのアジア諸国についても基本的な歴史の流れは押さえてある。しかし、現代日本における武士については「まだ、いるらしい」という程度しか知らなかった。一度は消えたサムライたちだが、この数十年で復活した──私にそう教えてくれたのは、他でもない恩師だ。恩師の専門は中央アジアなのだが、近年、日本オタクとして開眼してしまったのだ。なんでも、中央アジア文化について見事に描かれているコミックを見つけ、それが日本の作品だったことがきっかけらしい。
 よみがえった現代のサムライは、かなり珍しい存在のようだ。
 その事実を今、私は身をもってひしひしと感じている。私とイノウ氏は電車に乗っているのだが、彼と一緒にいるだけで、ものすごい注目度である。アジア圏を旅していれば、異邦人ストレンジヤーである私がチラチラと見られることはままある。だが今は、チラチラどころの話ではなかった。すれ違う人々が結構な率で振り返り、私ではなく彼を凝視する。視線のみならず、ひそひそ声も届く。
「武士発見」
「おー、リアルチョンマゲ」
「刀差してる。あれマジもん?」
「うっそ。それやばくね? 銃刀法的に」
 制服をまとった彼らは中学生くらいだろうか。イノウ氏にも聞こえていると思うのだが、車窓の風景をじっと見ているだけだ。揺れる電車の中、手すりにつかまることもなく、背中を伸ばして立つ姿は若々しい青竹を思わせた。冷静で落ち着いた風情だが、私よりかなり年下だろう。
「武士がガイジン連れてるの図かー。ウケる」
 私が学生グループのほうを見ると、彼らは一斉に口をつぐんだ。(しまった、日本語わかんのか)という気まずそうな顔だ。他人のことを無遠慮にあれこれ言うのは失敬だという知識はあるらしい。
「申しわけございませぬ」
 唐突に、イノウ氏が私に言った。
「車で来られればよかったのですが。それがし、免許を所持しておらず……」
「構いません。荷物も多くないですし、公共の交通機関に慣れたいですから」
「かたじけのうござる」
「……?」
 カタジケノウゴザル。それは私の語彙にない日本語だった。こちらの戸惑いに気がつき、イノウ氏は「失敬」という言葉の後で、
「かたじけないというのは……つまり……感謝を意味する言葉です。古い表現ゆえ、今はあまり使われてはおりませんが」
 そう教えてくれた。
「けれど、あなたは使うわけですね?」
「それがしは武士らしい言葉を使うようにと、育てられましたゆえ」
「ソレガシ、というのはワタシの意味でしょうか」
「左様にござ……この『左様』はイエスの意味にございます。そして『それがし』は、自分を示しまする。ややへりくだった言い方かと」
「ヘリクダッタ……?」
「へりくだったというのは……」
 イノウ氏は説明を試みようとしたようだが、言葉が続かなかった。普段は無意識に使っている言葉ほど、別の言葉で説明しようとすると難しかったりするものだ。綺麗なひたいの下、しい眉を寄せた。ちなみに彼の髪型は、長い髪をぴっちりとしたオールバックにし、後頭部の高い位置でノットを作っているスタイルだ。クロサワ映画などで見る、頭頂部のり込みはない。しばらく『ヘリクダッタ』の説明を考えていた彼は、「のちほど、調べてからご返答いたしたく」としごく真面目な顔で返した。私は「もちろんです。ありがとう」と答える。さらに、
「自己紹介をしていいですか」
 そう問いかけた。サプライズ好きな恩師のせいでイノウ氏の情報があまりに少なすぎるわけだが、相手のことを聞きたいなら、まず自分について情報開示をする必要がある。
「是非ともお願い申し上げます」
 イノウ氏が深く頷く様子からして、恩師は私のこともろくに伝えていないのではないか。まったく困った人だが、その状況で外国人を自宅に迎え入れるイノウ氏もたいがい変わっていると言えよう。
「アンソニー・ハワード、アンソニーと呼んでください。こちらの大学で東洋美術史を教える為にきました。叔母が日本人なので、簡単な日常会話はできますが、知らない言葉も多いので、色々教えていただけるとありがたいです」
「日本語、大変達者でいらっしゃる」
 彼はにこりともせずにめてくれた。愛想はないのだが、おべっかを言っている風でもない。もっとも、愛想がないのは私も人のことを言える立場ではなかった。
「ありがとう。今まではロンドンに住んでいました。あなたを紹介してくれたミスタ・クリフォードは私がカレッジにいた頃の恩師です。それから……」
 私はしばし考えてから「三十七歳です」と付け加えた。私にとって、初対面で年齢の話をするのは違和感があるのだが、日本では必ずしもそうではないと叔母は話していた。むしろ、互いの年齢をはっきりさせたほうが関係を構築しやすい場合もあるそうだ。さらには、私のほうもこの若いサムライの年齢が気になっていたのである。
「それがしは、今年で二十七になり申す」
 実の所、もっと若く見えていたので少し驚く。つるんとした肌の質感から、二十歳そこそこかと思っていたのだ。
「若輩者ゆえ、行き届かぬところも多いかと。なにとぞご指導くだされ」
 ジャクハイモノ、もわからなかったが、なんとなく意味は取れたので「こちらこそ、よろしくお願いします」と返す。
「イノウさん、とお呼びすればいいですか?」
「それがしがアンソニーと呼ばせていただくなら、長左衛門と……発音しづろうございますな……それでは、ハヤトとお呼びくだされ」
「さきほど、ハヤヒト、と聞こえたのですが」
「正しくはハヤヒトですが、近しい人はハヤトと呼びまする」
「わかりました。ハヤト、実は私は、サムライについてほとんど知らないのです」
 え、と彼はまばたきをした。表情の動きは小さいが、どうやら驚いたらしい。
「クリフォード先生は、なにも?」
「はい。彼は私を驚かせようと思ったようです。確かに、驚きましたけどね。サムライが迎えにきてくれていたのですから」
「左様でござりましたか。……その……まず、サムライはニンジャとは違い……」
「失礼、そのへんは大丈夫です。美術史を通してですが、だいたいの歴史の流れも把握しています。私がわからないのは、現代のサムライについてです。サムライは……いや、ブシは…………そもそも、それらはどう違うのですか? サムライと武士、私はどちらの言葉を使うべきなのでしょう」
 なによりもまずは、そこを明確に区別すべきだろう。私が今まで読んできた英語文献ではBUSHI(SAMURAI)というような表記が多かったので、ふたつの違いを把握していないのだ。もしそれが日本人がよく混同しているイングランドとUKくらいの違いがあったら、問題である。
「どちらでも、よろしいかと」
 ところが、返答は予想外にあっさりしていた。
「どちらでも?」
「は。どちらでも」
 ハヤトは頷く。電車がやや大きく揺れて、さすがに彼も手すりを持った。
「辞書にて侍を引くと武士とあり、その逆もまたしかり。言葉の成り立ちに違いはあれど、少なくとも今では、ほぼ同じ意味で使われておりまする」
「なるほど。ではハヤトはどちらで呼ばれたいのですか?」
「どちらでも」
 そうな口調で、たびのあっさり返答だった。私はいくらか拍子抜けした気分で「それでは」と質問を続ける。
「現代日本の……武士、の定義はどうなっているんでしょう? 昔の武士は、戦いのプロフェッショナルだったわけですよね?」
「はい。武士とはつまり、つわものにござりました。しかし戦国時代が終わり、江戸になると戦はほとんどなくなります。この頃の武士とは、とくがわ将軍家を頂点とした政治家であり、また官僚、警察でもあったのです。やがて明治維新となり、武士の時代もしゆうえんを告げまする。仕えるべき藩もなくなり、刀を携えることも禁止され、武士はいなくなったのです」
 そう、サムライたちはいなくなったはずだ。
 では、今私の眼前にいる彼は?
 キモノと……この独特なトラウザーズはハカマ、だったか。それを身につけ、足下はわらのようなもので編んだサンダルを履き、腰に二本の刀を差し、クロサワ映画から出てきたかのようなハヤトは?
「武士が復活したのには、色々と経緯がござりまする。発端を申し上げれば、昭和三十九年──一九六四年の東京オリンピックです」
 というと、今から半世紀以上さかのぼるわけか。
「国内外から多くの人々が東京に集まるということで、防犯対策が肝要とされました。そんな中、有志によって『さむらいぐみ』が結成されまする」
「サムライグミ……」
「はい。奉仕活動ボランテイアによる、防犯組織のひとつです。『侍組』は、かつて武家だった家の青少年を中心に組織され、巡視や道案内を行うものでした。彼らは帯刀こそしておりませなんだが、侍のかつこうをしておりました」
「タイトウとは?」
「刀を持ち歩くことにござりまする」
 ああ、と私は頷く。日本刀はもともと武器だが、芸術品としての価値も高いと聞く。
「刀は危険なものゆえ、明治以降、身につけて歩くことは法律で禁じられておりました。ゆえに、『侍組』はたけみつと呼ばれる偽の刀を持ちました。もちろん、斬れませぬ」
 それでは、今現在ハヤトが持っている刀はどうなのか。やはり模造品なのだろうか。気になったが、話がれるので質問は後にしよう。
「『侍組』はまずその出で立ちで、大変話題になったそうです」
「いまで言う、コスプレでしょうか」
「そういう感覚もあったかと思いまする。さらに彼らは礼儀正しく、親切で、忍耐強くもあったと。また、英語を話せる者がかなりいて、外国からのゲストに喜ばれたようです」
「なるほど。サムライが英語で案内してくれたら、ゲストはうれしいでしょうね。英会話を特訓したのかな」
「これはそれがしの想像ですが……もとより、ある程度は話せたのだと思いまする。彼らは良家の子息が多く、みな高い教育を受けていたと考えられるからです。『侍組』の発起人たちは六十代が中心で、ほとんどはもと大名華族……ええと、華族とはファミリーではなく……貴国でいう貴族のような……」
「日本にも貴族がいたのですか」
「明治時代に、や大名、また国に大きな貢献のあった者たちが爵位を得たのです。昭和二十二年に華族制度は廃止されましたが」
 クゲの意味もわからないので、あとでググってみよう。そろそろ恩師も許してくれるはずである。ダイミョウはたしか、上位の武士を意味するのではなかったか。
「もと大名華族の子息が多かった『侍組』はその活動が評価され、オリンピック後も組織が残りました。これが現在の『武家制度』の始まりとなったのです。制度は何度か見直され、今の正式名称は」
 ここで一度、ハヤトはスッと息を吸い、
「『地域防犯への奉仕ならびに伝統文化の保持を目的とする新しい武家制度』となっておりまする」
 そう一気に言い切る。私はほとんど覚えられなかった。
「長いですね」
「長いのです」
「つまり……現代の武士は、地域の防犯を担っていると?」
「左様。日本の交番をご存じでしょうか」
「KOBAN。わかります」
「交番は地域住民の安全を守る存在にござりますれば、ごく大事。しかしながら、警察官が足りないことや、パトロールに出ているあいだに無人になってしまうことが問題とされておりました。これを解消するため、武士が交番応援をするようになり申した」
「つまり、交番の留守番?」
 はい、とハヤトは頷く。
「道案内をしたり、落とし物を預かったり……なにかしら事件が発生した時は、即刻警察署に連絡し、現場に駆けつける場合もあります」
「犯罪に巻き込まれる危険性もあるのでは?」
おおせの通り。ゆえに、交番応援は強制ではありませぬ。……が、その程度の危険に臆するようでは、武士道にもとるとそれがしは考えます」
「ほう。ブシドウですね」
「はい。武士道です」
 ブシドウと聞くと、ハラキリがセットで思い浮かんでしまうのだが、それは私が俗っぽい知識しか持ち合わせていないからだろう。華道、茶道などの日本文化については多少の知識はあるものの、実は武士道についてはよく知らないのだ。The Last Samuraiあたりを鑑賞すれば、わかるだろうか?
「しかし、それほど古い制度が復活するというのは興味深いですね。日本人にとって、武士とは特別な存在なのでしょうか」
「……そのように思っております」
 ハヤトの返答には、少しの迷いが含まれているように感じた。
「しかしながら現代武家制度が復活したのち、色々と問題が生じた時期もあり……そのへんは、おいおい説明させていただければと。……あ、次の駅で乗り換えでござる」
 ハヤトの言葉に頷き、私は立ち位置を変えた。駅に停車し、多くの人が乗り込んできたからだ。そのうちのほとんどがハヤトを見、その目で(武士だ)(あ、武士)(うわ、武士)と言っている。
「ところでもうひとつ質問が」
 動き出した電車の中、私は彼に一歩近寄った。羽田に着いて以来、とても気になっていることがある。だが大きな声では聞きにくい。ハヤトも頭をやや私によせ「なんでござろう」と声を低める。
「日本では……なにか伝染性の病気がっているのですか?」
「いいえ。冬はインフルエンザが流行することもござりまするが、昨今流行はやりやまいについては耳にしておりませぬ」
「ですが、私の見たところ、十人のうち三人か四人はマスクをしています」
「ああ」
 ハヤトは納得して頷き、眉間にわずかな皺を寄せると、「遺憾にも日の本の民、カフンには多大なる迷惑をこうむっております」と答えた。
 カフン…………。
 しばし考え、思い出す。
 なんだ。花粉症hay feverか。
 やれやれである。それならイギリスにもある。私は違うが、芝花粉にやられる人は結構いるらしい。もっとも、マスクをつける人はほとんどいない。
 パンデミックでなくてなによりと思いながら、私は不思議な時代錯誤感を纏った武士とともに、世界一精密に管理された電車に揺られるのだった。

#1-3
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