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連載

東田直樹の絆創膏日記 vol.39

【連載第39回 夏休み合併号】東田直樹の絆創膏日記「忘れてはならない」

東田直樹の絆創膏日記

自閉症の僕が 跳びはねる理由』の作家・東田直樹さん。人とは違うこだわりや困難を持ちながら過ごす26歳の日常生活で、気づいたことや感じたことを、初の公開日記で綴ります。思いがけない発想に目からウロコ…!?
>>【連載第38回】東田直樹の絆創膏日記「食事は大仕事」

 小さい頃の海水浴での思い出は、今も僕の心を幸せにしてくれる。
 砂浜に次々と押し寄せて来る波打ち際の白い波が、僕を飲み込もうとしているかのように見え、僕は怖くて母にしがみ付いて泣いた。
 ゴボゴボ、ニョゴニョゴ、ブクブクと僕に向かって来る波たち。海は、巨大な生き物なのだ。
 母は「ほら、怖くないよ」と言いながら、僕を抱っこしたまま、ザブザブと海の中に入って行った。
 僕はわんわん泣いたが、母が、にこにこしていたので、泣くのを止めた。そっと下を見ると、波はゆらゆら漂っているだけだ。恐る恐る足をつけてみる、ひやっとした。今度は海水の冷たさに驚いて、べそをかく。
 母は、僕を抱っこした状態で海に浸かった。体がかたまって声も出ない僕。お日様はかんかん照りなのに、僕の瞳は震えていたのだ。
 海は広く、波は穏やかでも、僕の心は初めて見る世界におびえきっていた。
 それからも海には、毎年のように遊びに行った。最初は嫌がっていた僕も、徐々に慣れていった。
 浮き輪をつけて泳げるようになると、僕は、大はしゃぎで海に入った。魚に生まれたかったと本気で思ったくらいに、ただ、ただ、楽しかった。
 あふれるほどの幸せな記憶は、自分の人生が、とても価値のあるものだと思わせてくれる魔法の力を持っている。その記憶は生きている限り、輝き続けるのだと思う。

 どれだけ自分が正しいかを切々と訴える人がいる。仲間うちでなら、胸を打つ良い話なのかもしれない。けれど、社会に向けて発信するとなると、注意が必要になる。世間の人たちが、仲間や家族みたいに味方になってくれるとは限らないからだ。
 周囲が同じような方向性の人ばかりだと、反対意見の人が存在することに気づかなくなってしまうことがある。自分とは違う意見の人がいることを知ったとしても、到底受け入れられない。今後は自分の意見を支持してくれる人とだけ付き合っていけばいい、そういう思考になる人も多い。
 気持ちは、わからなくもない。それくらい真剣に目の前の問題と向き合っているのだ。
 社会とは、さまざまな人が一緒に生きる場所なのである。
 多様性を認めるということは、違う考え方の人を排除しないことではないのだろうか。多様性を認めて欲しいと自分の考えを主張しても、他の人の考えは認めない。そこには、ある意味、矛盾が生じている。
 意見の違いはあって当然だと思うし、言論の自由は保障されるべきものだ。
 たとえば自分にとって都合のいい社会が、多様性を認める社会ではないことを、誰しもわかっているのではないだろうか。
 理解を求めることよりも、理解をすることの方が難しいのだ。
 理解をして欲しいと強く望んでいる時、人は理解してもらえれば、相手がわかってくれると期待する。だが、実際のところ、自分の期待通りになるとは限らない。
 僕は、自分がどれくらい他の人の訴えに耳を傾けているのか、逆の立場になって考えてみることがある。
 どうすれば、世の中の人みんなが幸せになれるのか、その答えをまだ、誰も見出せてはいない。

 小学生の時、アサガオを育てたことがある。
 指先で土に穴をあけ、種をまく。一週間くらい経つと根が伸びて発芽する。本葉が数枚出てつるが伸び始めたら支柱を立て、つるを巻きつける。アサガオが日に日に成長していく様子は僕にもよくわかった。
 何色の花が咲くのだろう、どんな大きさの花なのか、想像するだけで、僕はわくわくした。
 ある朝、ラッパみたいな形の青いアサガオの花がひとつ咲いた。僕は小躍りして喜んだ。友達のアサガオも次々に咲いていく。
 毎朝、アサガオを見るのが楽しみだった。
 でも、一度開いた花は二度と咲かない。せっかく咲いた花も、お昼にはしゅんとしおれてしまう。アサガオの花が見られるのは、一日の内の数時間なのだ。
 そんなに短い間だけしか咲かないなんて、寂し過ぎる。
 それに気づいてからは、咲いた花の数より、しぼんだ花の数を数えるようになった。種が収穫できるようになっても、花が見られなくなるのは嫌だ。
 最後のアサガオの花がしぼんだ後、アサガオのつるや葉は、だんだんと茶色に変化していった。このアサガオの命は終わったのだ。
 からからに乾いたつるや葉には、もう、光合成する力も、水を吸う力もない。あんなにきれいな花を咲かせていたのに。
 みんなのアサガオも、ひからびていった。
 これが僕のアサガオだったのかどうか、その答えを、どうやって探したらいいのだろう。
 種を収穫できた喜び以上に命を終えたアサガオは、僕の心を重たくさせた。

 第二次世界大戦末期、アメリカにより1945年8月6日に広島市、同9日には長崎市に原子爆弾が投下された。広島では十余万人、長崎では7万人を超す死者が出たと言われている。
 原爆の日を忘れてはならない。
 戦争が、どれだけむごいものなのかを、僕たちは嫌というほど知っている。どのような理由があっても、人が人の命を奪ってはならないのだ。
 原爆がいかに恐ろしい兵器か、被爆者の最期の様子や、今も原爆の後遺症に苦しんでおられる方々のお話を聞くたび、涙が込み上げて来る。
 戦争と呼ばれるおろかな過ちは、もう決して繰り返すべきではない。これが、今を生きる我々が出した結論であると信じたい。
 戦争で死にたくなかった人たちの魂は、どうしているのだろう。
 空の彼方をさまよっているのか、離れたくなかった肉親の側にいるのか、考えるだけで胸が苦しくなる。
 原爆死没者慰霊碑の前で「どうか、安らかにお眠りください」と祈りを捧げる人々。僕と同世代の若者たちも、戦争の犠牲者になった。
 生まれて来る時代が少し違うだけだったのだ。
 戦争でお亡くなりになられた方たちの悲運を、僕はどう慰めてあげればいいのだろう。
 入道雲の向こうの国の人たちも、きっと世界の平和を望んでいるに違いない。

 今年で僕は26歳になった。
 どんな気持ちかと聞かれると、一年一年、歳を重ねていくのが嬉しいといった感情は、あまりない。
 どんどん大人としての責任が求められる年齢になっているのに、成長しない自分に対して、焦りを感じているというのが正直なところである。
 誕生日は、家族でお祝いする。ケーキにろうそくを立てて、バースデーソングを歌ってもらい、ろうそくの火を吹き消す。
「誕生日、おめでとう」の言葉と共に、聞こえて来る拍手。
 何となく照れ臭い。その気持ちを悟られないよう、切り分けてもらったケーキを急いで口に運ぶ。
 毎年同じように誕生日をお祝いしてもらっているのに、ろうそくを吹き消す瞬間は、どきどきする。
 嬉しいだけではなく、恥ずかしい気持ちになるのは、どうしてだろう。
 ここに自分がいる。誕生して26年の僕がいる。それを誰かが認めてくれる。もっと胸を張って生きていいんだよと、背中を押してもらえる幸福感。この世界に僕がいることは、まぎれもない真実なのだ。
 生まれた理由を見つけるより先に、生まれた事実を喜び合う。これは、人と人が支え合うための小さなお祭りなのである。
 今日は僕の誕生日、そして、明日も明後日も、明々後日も誰かの誕生日なのだ。この地球上に「おめでとう」の言葉が途切れることはない。

 僕は、出されたスイカを前にして、かぶりつくか、スプーンやフォークを使って食べるかで毎回悩む。
 父は、かぶりついて食べるし、母は、スプーンを使って食べるからだ。僕がスイカを食べずにじっとしていると、「好きなように食べたらいいよ」と言われる。「好きなように」が一番難しい。どうやって食べればいいのだろう。そのつど、スイカの大きさや切り方も違う。
 僕は、スイカを前に考え込む。
 かぶりついても食べやすそうだ。
 がぶりがぶりと豪快に食べたいところだが、スイカの切り口は、三角に尖っているので、最初のひと口は、恐る恐るてっぺんをかじってみる。間違いなくスイカである。スイカの味がしたので、この食べ方でも良さそうだ。少しずつかじりながら食べ続ける。すると、次第に口の周りが汚れて来る。スイカは好きだが、口の周りがべとべとするのは、気持ち悪い。食べるペースが落ちて来た頃、「スプーンを使ったら食べやすいよ」という声が聞こえる。
 スプーン、その言葉に僕はびっくりする。母がスプーンで食べていることも忘れ、スイカをスプーンで食べるなんて思いつかなかったと一瞬感心するが、そういえば、食べる前に、かぶりつくか、スプーンで食べるかで自分が迷っていたことも、同時に思い出す。
 スプーンを使えば簡単だ、どうして始めからスプーンを使って食べなかったのだろうと不思議に感じながら、今度はスプーンを使い、赤い実の部分を最後まで食べ切るのだ。
 振り返って、スイカを食べている時の自分の思考を、こんな風に説明することは出来るものの、後日スイカを食べようとすると、ビデオの巻き戻しボタンを押すみたいに、僕の思考は再び、スイカをどんな風に食べればいいのかに戻ってしまう。
 前回の行動を踏まえて、次の行動に生かすことの出来る人の思考は、すごいと思う。
 ぐるぐると回り続ける僕の思考、出口と入口は同じだが、ふとしたはずみで、別の出口から外に出られることがある。それをみんなは、成長と呼ぶ。


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