黒川博行さんを最初にインタビューした日のことは、今も忘れられない。
『破門』で直木賞を受賞された直後の2014年9月。受賞第1作となる『後妻業』についてのお話をうかがおうと、大阪府内にある自宅を訪ねた。
6度目のノミネートで『破門』が直木賞に選ばれた時、選考委員の一人である伊集院静さんが黒川さんを「ナニワの読み物キングにようやく春が来た」と称賛したが、まさに熟練したベテラン作家で、時の人。玄関前にたどり着いた時は、超ドキドキだった。
チャイムを押そうとした途端、黒川さんご本人が扉を開けて登場した。鮮やかなコーラルピンクのポロシャツにグレーのズボン、素足にサンダルと超ラフな格好だった。
「あ、あの、京都新聞の記者で行司と申します。今日、取材をお願いしておりましたが……」
「あ、そうでしたか、出かけようと思ってました。入ってください」
黒川さんはきびすを返して、玄関脇の部屋へ入っていった。
え? 用事はかまへんの?
も、も、もしかして取材の約束、忘れてはった??
導かれるように上がり込んで、さらに驚いた。十畳ほどの洋間は家具が置かれておらず、がらんとしているのだけれど、資料やら何やらが乱雑に置いてある。部屋の真ん中あたりに黒川さんは座り込んでから言った。
「どうぞ座ってください。そうやな、これ、机にしとこか」
近くにあった段ボール箱(たしかミカン箱)をひょいとひっくり返し、私との間に置いた。
玄関で出会ってわずか3分。この一連の出来事で、私は一気にリラックスした。直木賞受賞関連の原稿依頼などで忙殺されていた時期なのに、作家先生然とは全くしていなくて、とても気さくな方だったのだ。
段ボール箱を間に挾んで約40分間、お話をうかがった。資産狙いで高齢男性の後妻になる女を描いたのは、身近にある犯罪に対する警鐘を込めたこと。これまでの作品同様、徹底的に調査・取材をし、95%本当のことを書いたこと(出版前に専門家の監修を受けたが、指摘は全く受けなかったそうだ)。シャイなのに、包み隠さず正直に話す。その人柄と作品世界に、私はすっかり引き込まれた。
産業廃棄物の処分場建設にむらがる金の亡者、薬物捜査官の実態、芸術院会員選挙の内幕――。黒川さんがこれまでミステリーやハードボイルド作品で描いてきたのは、地を這いずり回り、欲望をむき出しに泥臭く生きる人々の姿だ。光を当てるのは、いずれも社会の裏側や闇。登場人物は正義を振りかざすことはなく、善人からはほど遠い。目先の権力や利益にしがみつき、時には不正や暴力もいとわない。
そんなワルい人たちがうごめく世界なのに、いったん手に取ると、重厚な物語世界のとりこになって夢中で読んでしまう。吸引力の一つが、『後妻業』でも発揮された徹底的な調査と取材力。現代社会が抱えている問題や裏社会が赤裸々に書かれてあるので、「こんなことが起きてるんか!」と興味津々でページを繰ってしまうことになるのだ。
さらに忘れてならないのが、キャラクターの魅力だ。黒川作品のキモとも言えるリアルな関西弁による会話劇から見えるのは、小ずるくて、したたかさ満載の市井の人たち。でも根底にはユーモアや哀愁が漂って、なんだか憎めない。読了後には、現代社会を見る目も変わっていて「あの出来事の背後には、こんな人たちが暗躍しているんやろな」とまで思える、何とも上質なエンターテインメントなのだ。
今回が3回目の文庫化になる『二度のお別れ』は、そんな黒川さんのデビュー作にあたる。1983年、第1回サントリーミステリー大賞で佳作に入った。
投稿のきっかけは、雑誌で賞の創設を知ったこと。黒川さんは当時、高校の美術教諭だった。ちょうどその年の夏休みに限って予定がなく、40日間で約400枚の原稿を執筆。人生で初めて書いた小説で、作家の道を切り開いた。
事件は、新大阪駅近くにある銀行の支店で起こる。ピストルを持った男が押し入り、現金約400万円を奪ったうえに、客の一人を人質として逃走した。男は後日「金額不足だ」と主張して、人質の身代金として1億円を要求する。金の受け取りを巡って巧妙に方法を変えてくる犯人に対し、知恵を総動員する黒田憲造&マメちゃんこと亀田淳也の〝黒マメコンビ〟ら、大阪府警捜査一課の刑事たち。スピーディーでスリリングな攻防戦が楽しめるミステリー作品だ。
物語が描かれた時代は、高度成長期とバブル景気のちょうど狭間にあたる。右肩上がりのイケイケ時代とは一転して、世界的な経済不況の影響も受け、国内では重苦しい空気が漂っていた。暴走族や校内暴力などの少年非行が増加。倒産や借金にあえぐ人は多く、一攫千金を狙って、金融機関を対象とした強盗事件や身代金目的の誘拐事件が多発した。作中でも触れられた三菱銀行人質事件は1979年1月に起きた。猟銃を持った30歳の男が大阪市内の支店に押し入り、客と行員37人を人質に42時間篭城。警官と行員計4人を射殺し、行員を〝人間の盾〟にするなどの残忍さで、社会を震撼させた。
『二度のお別れ』も、銀行強盗や人質を題材に捜査の過程を丁寧に描いているけれど、どこか軽妙でユーモラスなのだ。34年前に書かれた作品なので、ほぼ全員がスマートフォンや携帯電話を持っている今とは違って、犯人からの連絡方法は固定電話や手紙で、アナログ的な感じさえする。でも、物語自体は時代の違いを全く感じさせず、むしろ夢中で読める。それはひとえに黒マメコンビをはじめとする登場人物が人間味にあふれているからだろう。
黒さんこと、黒田は30代。誘拐事件を担当するのも、犯人との取引現場に居合わせるのも初めてで「刑事冥利につきる」と思うけれど、捜査に忙殺されて体はもうヨレヨレ。帰宅はままならず、かわいい盛りである5歳の娘とも、しばらく会えてはいない。
20代のマメちゃんは、色黒で童顔、背が低くてコロコロとした体形の持ち主。陽気な性格だが、マシンガントークを炸裂させ、時には奇抜とも思える持論も展開する。
事件解決を願う二人。でも正義感一本だけで突き進まず、関西人が日々欠かせない笑いのユーモアをまぶしながら愚痴や文句を盛んにこぼす。例えば、深夜に被害者宅へ向かう二人が車中で夜食と思しきサンドイッチを食べながら会話をする場面。まずはマメちゃんから。
「呑んで、歌うて、ホステスの尻さわって、騒ぐだけ騒いで、あとはタクシーのうしろにふんぞり返っとったら、家まで連れて帰ってくれる。普通のサラリーマンが羨ましいですなあ。ぼくら、ろくに眠りもせんと朝の早ようから働いて……こんな味気ないもん食うて、その上、まだこれから働かんといかん……因果な商売に首つっこんでしもたもんや。時々ほんまに嫌になることありまっせ。黒さんそんな気になることありませんか」
「ある、ある、いつでもそうや。わし、いままで何回転職考えたか分らへん。うちの嫁はんは、うだうだと文句ばっかり言いよるし、子供ともめったに遊んでやられへんし……もうほんまに何でこんなことせないかんのやろといつも思う。せやけど、わしももう若うないから、そうそう大きな変化を求めることできへんし、結局、しんどい、しんどい言いながら、一生この調子やないかいなと考えてる」
描かれた時代は違っていても、生きづらさにおいては、びっくりするぐらい今と変わらない。仕事や日々の厳しさを吐露する二人に共感できるし、次第に捜査を追体験している気持ちにまでなる。デビュー作ですでに黒川作品の特徴が輝きを放っていることに驚かされるけれど、この作品以降も『雨に殺せば』『八号古墳に消えて』と、黒マメコンビがシリーズ化されていることが、黒川さんの実力を何より証明しているのだろう。
犯人と警察との攻防戦があまりに秀逸で、刊行前後に起きたグリコ・森永事件と似ていることから、黒川さんが犯人との関係を警察から疑われてしまう事態にまでなった『二度のお別れ』。あっと驚くトリックも用意されているが、これを思いついたのは20代の5年間に、古今東西の推理小説を乱読したことによるそうだ。現代のミステリー界は、幻想系や読んで嫌な気持ちになる〝イヤミス〟など何でもありの百花繚乱。だが当時は「現実的に解決する」などの暗黙ルールがあった。推理小説の定義は今よりもずっと狭く、アガサ・クリスティやエラリー・クイーンなどの英米本格ミステリー、松本清張氏など犯罪の背景に社会を見る社会派ミステリーや西村京太郎氏の鉄道ミステリー、赤川次郎氏の三毛猫ホームズシリーズなどが人気で、新本格ミステリーブームの前段となる島田荘司氏がデビューした時代だった。黒川さんはいくつも名作を読むうちに「人を殺すのに、なんでこんな七面倒くさいことをするのかな」と疑問が湧いたという。「自分なら……」と、唯一思いついたのがこのトリックだった。
事件の真相は最後の最後まで分からず、本当に面白い。でも最終章に関しては正直、「えっ、この手アリ?」と思ってしまった。先日、黒川さんと話す機会があり、その話題に及ぶと、思わぬ告白が。
「自分でもちょっと……と思います。締め切りが8月31日だったので、あのような終わり方に強引にしてしまった」
同時にこんなことも。
「警察のことも詳しく書けてはいないんです。あれほどの事件だったら捜査員300人ほどを出すと思うけれど、物語では捜査一課のみ。それに捜査をする時、いずれも捜査本部の黒マメがコンビを組んでいるけれど、本来なら府警本部の捜査員と所轄署の捜査員がペアを組むので、ありえない」
課題を見つめ、次作に生かす。闇の世界の人たちにも地道に取材し、物語を補強する。その積み重ねがあるからこそ、今の黒川さんがあるのだろう。でも、ナニワの読み物キングはおごらない。
「努力は作家のみんながしています。それが結果として出るのは、運としか僕は言いようがない。作家は自ら売り込みをしないし、出版社からの注文が途絶えるとしたら、それは読者が離れたからであって、この世界から退場せえということ。プロの作家で『書くのが楽しい』と話すのは5人に1人くらいとちがいますか。みんな『つらい、つらい』と言っているし、僕もつらいです」
黒川さんがデビューした33年前と違って、毎年膨大な数の作家がデビューしている。文学賞は無数に創設されているし、インターネットの登場で小説家志望者がいとも簡単に自作を小説投稿サイトで発表できるからだ。競争の極めて厳しい世界で、黒川さんにしか描けない物語が途切れることなく紡がれていることに、尊敬の念を抱かずにはいられない。
表紙絵の多くを手がける妻の雅子さんの存在も、やはり大きい。黒川さんが『二度のお別れ』を書き始めて1週間、創作の難しさを痛感。「書くのを止める」と言い出した時、雅子さんはこう言ったそうだ。
「『書く』と言ったのなら、最後までしなさい」
その言葉に押され、黒川さんは再び筆を握り、原稿を完成させた。
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