幼い日に、動物園でワクワクしながら象やライオンを眺めた思い出のない人はいないに違いない。親に連れられ、また友だちと連れ立って門をくぐった園の記憶を、誰もが心の奥底に大切にしまっているのだろう。
十八世紀のウィーンに出現した動物展示施設が原型となり、やがてロンドン、パリ、ニューヨーク、東京と世界中に広がった動物園は、次世代に自然保護や動物愛護の心を伝え、絶滅危惧種を保存するなど、現代でも重要な社会的役割を担っている。このようにいつの時代にも人々が集い、親しんできた動物園は、さまざまな分野の作品にも登場する。
劇作家エドワード・オルビーのデビュー作『動物園物語』(1958年)は、動物園で起こったことにこだわり続ける男の不条理劇だし、サイモンとガーファンクルはヒット曲の『動物園にて』(1967年)でここではすべての事が起こっていると歌った。またSF作家のケン・リュウが、包装紙で折った動物たちに命を吹き込む幻想の物語『紙の動物園』(2011年)で、世界中の読者の琴線に触れたのはまだ記憶に新しいところだ。
そして動物園は、ミステリにおいても格好の舞台となりうる。それを証明してみせたのが、ここにご紹介するジン・フィリップスの『夜の動物園』である。全編が夜の動物園の中だけで繰り広げられていくスリリングなサスペンス小説だ。
午後五時半の閉園時間が迫り、すでに人影もまばらなベルヴィル動物園。四歳二ヶ月のリンカーンをプレスクールに迎えに行った帰り道、ジョーンはいつものように園内の森林エリアにある恐竜の砂場で息子を遊ばせていた。アメコミのヒーローたちの話に夢中のリンカーンに帰り支度をうながしたその時、風船が破裂したような音が、連続して耳に飛び込んできた。
急いで息子の手を引き、出口へと向かうジョーンの行く手には、いくつもの倒れた案山子のようなものが見えてくる。しかしそれは、血を流して横たわる人々だった。さらにライフル銃を手にしたジーンズに黒いシャツの男の姿を視野にとらえた次の瞬間、彼女は息子を抱き上げ、出口とは別の方向に向かって走り出していた。夜の動物園という恐怖の檻に閉じ込められた、母と子の必死のサバイバルがこうして始まる。
夕暮れのプロローグから、宵の内に訪れるクライマックスまで、この『夜の動物園』の中に流れる時間は、わずか三時間少々に過ぎない。多くの家庭では一家で食卓を囲んでいるその頃、閉園間際の動物園は、銃を装備した若者たちによって占拠され、人が人を狩る無法のジャングルと化してしまうのである。
夜の訪れとともに園内は静寂に包まれるが、警察は一向に姿を現さず、やがて息子は空腹を訴えてぐずり始める。犯人たちを欺くためとはいえ、離れた夫とのホットラインであり、情報収集のツールでもあったスマートフォンも手離してしまった彼女は、男たちの影に怯え、動物たちの気配に神経を張り詰めながら、孤立感をつのらせていく。
巻末の謝辞には、影響を受けた作品が挙げられている。児童文学作家マーガレット・ワイズ・ブラウンの『おやすみなさいおつきさま』、詩人アルフレッド・ノイズの『追いはぎ』 、そしてホラー・SF作家ロバート・ブロックの『地獄行き列車』の三作である。
二十世紀前半に活躍したブラウンの作品は、ベッドの中でわが子に読み聞かせるための絵本といった体で、繰り返される「おやすみ」の言葉とともに、さまざまな動物たちの名が織り込まれている。次のアルフレッド・ノイズの名は、『もっと厭な物語』というアンソロジー収録の『深夜急行』という不気味な掌編でご記憶の方も多かろう。ここに挙げられているのは一九〇六年発表の物語詩で、宿屋の娘と追剥の男の血にまみれた恋の顛末が語られる。また本作中に丸々紹介されているロバート・ブロックの短編は、ヒューゴー賞の受賞作だ。翻訳は、仁賀克雄編の『ポオ収集家』で読むことができる。
いずれも、本作との繋がりになるほどと頷かざるをえないが、本作を読み進むうちにわたしが思い浮かべたのは、リチャード・マシスンの『激突!』だった。若き日のスピルバーグがTVドラマ化(日本では劇場公開された)したことでも知られるこの短編は、商談先に向かうセールスマンが、前を走る大型タンクローリーを追い越したことから嫌がらせを受け、思わぬ事態に巻き込まれていく。
シチュエーションこそ違うが、本作でも善意の主人公は俄かに悪意にさらされ、とんでもない窮地へと追い込まれていく。『激突!』でその主人公の身を助けることになったのは、試練の中で目覚めた闘争本能だったが、本作のジョーンは、彼女自身の強い母性に導かれるように行動していく。
ジョーンが息子リンカーンに注ぐ一途な愛情は、自己犠牲や無償の愛といった言葉を連想させるが、かつて母性は本能という言葉と結びつき、生得的に女性が有するものと信じられていた。しかし現在は後天的、社会的なものという考え方が取って代わっている。ジョーンの場合も、その典型だろう。
幼いリンカーンの手を引き、夜の動物園をさまよいながら、自分の育った家庭環境を反芻するジョーンの回想シーンは、それを暗示していると言っていい。折り合いが良いとはいえなかった母親とのエピソードを通して、少女時代の彼女が抱いていた母への満たされない気持ちが次々と吐露されていく。
成長過程の家庭環境のひずみは、大人になっても生き方に悩む人間を生みやすいと言われるが、そんな隘路をジョーンは息子に愛を注ぐことで回避したのだろう。言い換えれば彼女の強い母性愛は、不十分だった母との関係の裏返しなのである。力強く迷いの感じられないものとして描かれるジョーンの行動の逐一は、作者が女性の母性をポジティブに捉えていることを雄弁に物語っている。
話が作者に及んだので、彼女のホームページを参考に著者略歴をご紹介しておこう。ジン・フィリップス(Gin Phillips)は、アメリカ生まれの女性作家で、生年は公開されていないが、アラバマの州都モンゴメリーが出身地だ。イギリスに渡り、バーミンガム・サザン・カレッジで政治ジャーナリズムの学位を取得。その後アイルランド、ニューヨーク、ワシントンDCで十年を越える雑誌記者のキャリアを積み、現在は家族とバーミンガムで暮らしている。
作家デビューは二〇〇九年の The Well and the Mine で、同作はアメリカ合衆国で最大規模を誇る書店チェーンのバーンズ&ノーブルが主催する Barnes & Noble Discover Award の新人賞部門に輝いた。その後現在までに五作の小説を上梓し(その内二作は児童書)、著作は世界二十九ヵ国で出版されているという。この『夜の動物園』(原題 Fierce Kingdom)は、今年の七月ヴァイキング社から刊行されたばかり彼女の最新作にあたる。
先に触れたように、主人公の側にスポットライトをあてるならば、本作は自分の命よりも大事なものを必死に守り抜こうとする母性愛の物語ということになる。しかし鮮明なのはヒロイン像だけではない。犯人の側もやはり我々と同じ社会の住人たちとしてきちんと捉えられている。
犯人像の根底にあるのは、一九九九年四月にコロラド州ジェファーソン郡のコロンバイン高等学校で起こった事件だろう。トレンチコート・マフィアを名乗る生徒二人組が銃で武装して学校に侵入し、教師と生徒合わせて十三名を射殺、二十四名を負傷させ、最後は犯人自らも自殺を遂げた。
このわずか数時間の出来事は、後にさまざまな側面から検証がなされた。映画ではガス・ヴァン・サントが『エレファント』で生々しく事件を再現し、マイケル・ムーアは『ボウリング・フォー・コロンバイン』で、その背景を分析した。また事件に材を採ったミステリも多く、S・J・ローザンの『冬そして夜』のように、事件の鎮魂曲と呼ぶにふさわしい秀作もあった。
本作のマークとロビーは、日常的な苛めに苦しんだ過去を引き摺り、周囲との軋轢に屈した、そんなコロンバイン高校事件のもう一組の犯人たちだとも言える。悲しむべきことに、二〇〇七年にはバージニア工科大学で、さらに二〇一六年にはオーランドのナイトクラブで、同様の事件は再発を繰り返している。まるで世界を蝕む暴力の嵐には終わりがないかのようだ。
本作の背景には、銃社会の死角や無差別殺人の闇が垣間見えるが、その原因たる人間社会の歪みに対する作者の苛立ちが生々しく伝わってくる。さまざまな動物たちに囲まれて展開するこの『夜の動物園』の物語は、人間が霊長類と呼ばれるにふさわしい存在かどうかを、改めて読者に問いかけているかのようにも読める。
最後に嬉しい情報を。マイティ・ソーをはじめ、キャプテン・アメリカ、グリーン・ランタン、アイアンマン、ドクター・ドゥームと、アメコミのヒーローを愛してやまないリンカーン少年の思いが届いたのか、またとない方向で映画化の話が持ち上がっている。というのも、その話題の中心にいるのはDCコミックスの悪役たちが大集合し、日本でもヒットした映画『スーサイド・スクワッド』のハーレイ・クインこと、ヒロインのマーゴット・ロビーなのである。
本作は、すでに刊行前からワーナー ブラザースが映画化権を取得しており、それをマーゴット・ロビーの製作会社ラッキーチャップ・エンタテインメントが製作を担当すると報じられている。製作だけでなく、ジョーン役が彼女に決まれば、女優マーゴット・ロビーのキャリアが大きく前進するのは間違いないし、映画もさらに楽しみなものになるだろう。続報が待ち遠しい。