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「予感」の実現から真の恐怖は始まる――野原広子『赤い隣人~小さな泣き声が聞こえる』レビュー【評者:吉田大助】

「予感」の実現から真の恐怖は始まる。
第25回手塚治虫文化賞短編賞受賞作家 野原広子著『赤い隣人~小さな泣き声が聞こえる』レビュー

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赤い隣人~小さな泣き声が聞こえる​』

著者:野原広子



第25回手塚治虫文化賞短編賞受賞作家 野原広子著『赤い隣人~小さな泣き声が聞こえる』

書評:吉田大助

 1ページを8等分した定型のコマの中に現れる、ごくシンプルな線で描かれた可愛らしい登場人物たちと、等身大のありふれた日常風景。読み手に負荷をかけない驚くほどの読みやすさを実現した野原広子の漫画には、本を開いた瞬間、ドンッと崖から突き落とされる。あるいは、既にカウントダウンが始まっている時限爆弾を渡される。

 第25回(2021年)手塚治虫文化賞短編賞を受賞した2作が象徴的だ。『消えたママ友』の開始早々にもたらされるのは、仲良しのママ友・有紀ちゃんが子どもを残して失踪したというニュース。ママ友仲間の一人である春香は思う。〈私たち なにも知らない〉。『妻が口をきいてくれません』は、〈オレはケンカしたおぼえはないのに〉妻が口をきいてくれなくなって3日も経った、と嘆く夫のモノローグから幕を開ける(その後、その状態が5年も続く)。なぜこんなことが起きたのか?
 先ほどの時限爆弾の譬えを分かりやすく言い換えるならば、謎だ。冒頭に不可思議な謎が掲げられ、それを解き明かそうとする過程で、登場人物たちの心の闇が炙り出される。そして真相があらわになった瞬間、どす黒さが爆発する。このような流れを持つ物語は、一般的にこう呼ばれる。ミステリー。

 しかし、野原広子は最新作『赤い隣人 〜小さな泣き声が聞こえる』において、これまでとは違う語り口に挑戦した。ホラーだ。
 ヒロインの壮絶な人生を過剰な演出で表現するテレビドラマ「赤いシリーズ」を思わせるタイトルは、直接的には隣家の赤い屋根を意味している(今作は全ページがカラーだ)が、「隣の芝生は青い」と同じ意味を持つ「隣の花は赤い」という慣用表現を暗示しているだろう。一方で、赤には危険を連想させる性質もある。不穏極まりないタイトルだ。

 ママ──小出希が息子のケンちゃんと共に、白いアパートの2階に引っ越してくる場面から物語は始まる。共用廊下からケンちゃんが見ているのは、向かいにある赤い屋根の一軒家だ。庭にはテーブルと三脚の椅子、子ども用のブランコがあり、そこに暮らす家族の気配を感じさせるもの。すると、点(・)で表現されていたあどけないケンちゃんの瞳が、小さな(○)へと変わる。内面が変化した証だ。
「ママー」「えー? 何?」「…パパは?」「え──?…/聞こえない──…」
 ケンちゃんは隣家の一人娘のモモちゃんと、あっという間に仲良くなった。同い年で保育園も一緒の子ども達が仲良くなったことをきっかけに、希はモモちゃんのママ──長谷川千夏と会話するようになる。知り合いのいない町へと(夫を前の家に残して?)やって来て、新しい職場で働き一人でケンちゃんを育てることになった希にとって、モモちゃんのママは貴重な隣人だ。子育ての悩みを共有することで、二人の距離は少しずつ近付いていく。モモちゃんのパパも、とても優しそうな人。
 ただ、希はかすかな違和感を抱いている。ある夜、「だれかがないてるこえがする」と最初に気付いたのはケンちゃんだった。モモちゃんのママは保育園からの帰り道で、「夫は出張が多くてほとんど家にいないし いつも子どもとふたりだけでストレスたまるんだよねー」と言う。それくらいの感情は誰だって抱いていておかしくはないが、モモちゃんママは〈“あ しまった”って顔した?〉。過敏なリアクションには、何かが隠されている気配がある。次いで、モモちゃんが練習しているピアノの音の中に、「ドンッ」という物音が混じり込む。不安を決定付けるのは、ある朝のケンちゃんとの会話だ。
「ママー “おとなりにきをつけて”だって」「え? “お隣に気をつけて”? なにそれ? 誰が言ったの?」「しらないひと」

 怪談の名手としても知られる小説家・京極夏彦は、怖いという感情について次のように示す。〈怖いという感情は、これから先、悪いことが起こるかもしれないという「予感」なんです〉(『京極夏彦講演集 「おばけ」と「ことば」のあやしいはなし』)。
 隣の家で、何かが起きている。普段はにこやかに顔を合わせている隣人が、途方もない感情を抱えている。それらがいつか現実に露出し、自分と息子の人生を侵食してくる「予感」がある。

 作者はさまざまなアプローチから「予感」を描写していく。さすがにもう色々とバレバレだろうとなる、ギリギリのところまで「予感」を引っ張る。そうすることで、「予感」が実現した瞬間の“ほらね。やっぱりね”という読者の感情をマックスまで高めるのだ。その演出があるからこそ、落差が生まれる。主人公に共感しながら“ほらね。やっぱりね”と思っていた己の浅はかさや視野の狭さを、骨身に染みて感じさせられることとなる。野原広子が仕掛ける時限爆弾はいつだって、外では爆発しない。心の内で爆発する。
 本当に恐ろしい漫画だ。しかし、隣人に対する想像力を養うという意味で、読んでおいたほうがいい漫画だ。隣人から見れば、自分こそが隣人である。ならば隣人から見た自分とは、どのような存在なのか? 隣人に対する想像力とは、この視点にも関わる。
 と同時に怖さは、関心を抱くきっかけにもなる。相互監視社会は怖いが、無関心社会も怖い。野原広子の最新作は、そのこともまた教えてくれるのだ。

作品紹介



赤い隣人~小さな泣き声が聞こえる
著者 野原 広子
定価: 1,210円(本体1,100円+税)
発売日:2023年02月09日

第25回手塚治虫文化賞短編賞受賞作家 野原広子が描く「自覚のない虐待」
小さな息子を連れて、新しい街に引っ越してきた希(のぞみ)。
隣に住む「理想的な家庭」の主婦、千夏(ちか)と家族ぐるみで仲良くなるが、
じわじわと千夏への違和感を感じていく。
おかしいのは私のほう?それとも千夏のほう?

幸せな家族に見えても、心の黒い穴は埋められない。

『消えたママ友』『今朝もあの子の夢を見た』『人生最大の失敗』を描いた
イヤミス・コミックエッセイの第一人者、野原広子最新作、
雑誌レタスクラブ連載に加え描き下ろし64ページオールカラーで構成。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322009000595/
amazonページはこちら

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