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レビュー

彼女のメスは、死体が見た最後の風景を蘇らせる。――小松亜由美『遺体鑑定医 加賀谷千夏の解剖リスト』レビュー【評者:杉江松恋】

事故か、殺人か――彼女のメスは、死体が見た最後の風景を蘇らせる。
『遺体鑑定医 加賀谷千夏の解剖リスト』レビュー

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遺体鑑定医 加賀谷千夏の解剖リスト

著者:小松亜由美



人間の生を描く小説

書評:杉江松恋

 他人の死、への敬意が書かせた小説である。
 物語の中で死が描かれることは多い。特にミステリーというジャンルにおいては日常茶飯事と言っていい。多くの死に触れていると無感覚になってくる。その骸はかつて命を持っていた人で、生きている間に蓄えた記憶も経験も、死の瞬間にすべて消え失せた。そのことについての畏怖の念を、さまざまな死体の実相を描くことで蘇らせる。
 小松亜由美『遺体鑑定医 加賀谷千夏の解剖リスト』とはそういう小説なのだ。
 四篇が収められた作品集である。物語の中心になっているのは神楽岡大学医学部法医学講座の人々だ。変死者について京都府警が捜査を始めることからすべての物語は始まる。変死体が発見された現場で検視に立ち会って助言を与え、司法解剖によって死因などの特定を行う。法医学者はそうした形で警察捜査に協力するのである。主人公の加賀谷千夏は、まだ大学院生のうちからその観察力と技能を評価されており、現在では法医学講座教授・柊侑作の右腕として厚く信頼されている法医解剖医だ。彼女の握るメスが、死者にまつわる謎を解き明かす。
 司法解剖という行為を通じて、加賀谷は死者と対話するのである。警察は、山のように寄せられる情報の中から真相解明につながる手がかりを見つけださなければならない。その功を焦るばかりに、不確かな先入観で事件を見るようになってはいけないのだ。二番目に収録されている「梟首」は、そうした経験主義の陥穽を描いた物語である。鴨川の河原で首無し死体が発見された。遺体には右手小指がなく、Tシャツの襟足からは刺青が覗いている。捜査四課の鬼窪恒吉は、死者は暴力団だろうと早々に決めつける。だが捜査一課の検視官である都倉晶穂は、そんな鬼窪に冷ややかな視線を送っていた。絶大な信頼を置く加賀谷が検屍を終えて判断を下すまで、あらゆる即断は禁物だと判っているのである。果たして加賀谷が彼らに与えた回答は、二人を驚かせるものだった。
 各話ごとに視点人物が入れ替わり、そのたびに加賀谷千夏の描写が行われる。本人ではなく他者の印象を用いて主人公の像を結んでいくという巧いやり方だ。第一話「エクソシズム」で語り手を務めるのは新米の解剖技官として柊と加賀谷の下についた久住遼真という青年である。久住が法医学を志したのは、死が怖いという自分の性格を克服したいと考えたからだ。悪魔祓いの宗教に母親がはまった家で、娘が変死体として発見される。母親は譫言のようなことを口にするだけで、現場の状況からは彼女が娘を責め殺したように見える。久住にとって加賀谷は「藤娘の人形」のような冷たい印象があって、近寄りがたい人物であった。だがこの事件で彼女が尊敬すべき法医学者であることに改めて気づき、自身も大きく成長を遂げるのである。
 膝から下だけの両足が発見されることから始まる第三話「紅い墓標」の視点人物は、京都府警捜査一課の北條秀哉警部補だ。彼は加賀谷の幼馴染みで「昔から人にものを教えるのが上手かった」というような過去について語ってくれる。第四話「腐爛と凍結」は、一体は腐敗が進行中、もう一体はかちかちに凍って、という異常な状態で見つかった夫婦の死体を巡る物語である。同話とエピローグでは上司である柊教授の視点から加賀谷が描かれる。「研究や論文作成となると食事も摂らず夢中にな」るという加賀谷が「何かを口に運び、噛み締めるように食べている」のを見て柊は安堵するのだ。検屍や解剖に臨む際の臨戦態勢ではない、肩の力が抜けた姿を見ることができるのは彼と加賀谷の間に信頼関係があるからだろう。この視点によって人物像は完成し、読者は加賀谷千夏という一人の女性をより身近に感じられるようになる。
 作者自身も某大学医学部法医学教室に属する現役解剖技官であるという。小説の前著に『誰そ彼の殺人』(幻冬舎文庫)があるが、本作によって大いに成長を遂げた。鋭い観察眼と解剖の技能を持った加賀谷千夏という魅力的な主人公を造形したことが大きい。題材とされているものは死体だが、どの物語でもそこに人間の生が描かれている。人が人を描いたものが小説だ。たとえそれが死の物語であっても、誠実に書かれた小説には人間の生が浮かび上がる。そのことを改めて思い知らされた。

作品紹介



遺体鑑定医 加賀谷千夏の解剖リスト
著者 小松 亜由美
定価: 792円(本体720円+税)
発売日:2023年02月24日

事故か、殺人か――彼女のメスは、死体が見た最後の風景を蘇らせる。
京都府警に持ち込まれた傷害致死事件。引きこもりの大学生が、異様な姿で死亡した。伏見署に連行された母親は「娘の身体を突き破って悪魔が出てくる」と興奮気味に話し、供述は要を得ない。夫の事故死をきっかけに彼女がのめり込んでいた新興宗教は、「悪魔祓い」と称して、信者に加虐的な扱いをすることもあったという。遺体の状況から、母親の虐待を疑う京都府警は、検屍と司法解剖を千夏に依頼するが……(「エクソシズム」)。京都市北区の河川敷で、首のない遺体が発見される。被害者は刺青があり、小指も欠損していることから、暴力団関係者とみなされるが、身元はわからない。激しい暴行を加えられた後、首を切断するほどの動機とは一体何なのか? 現場に駆け付けた検視官の都倉は、何かしっくりしないものを感じながらも、何が違和感なのかわからない。司法解剖を担当した千夏の見解を聞くうち、都倉はあることに気づく。(「梟首」)など、4話を収録。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322210000682/
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