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レビュー

黒川博行の初期傑作!なにわの刑事コンビが東京から来たキャリアと衝突しながら爆破事件を追う『海の稜線』

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

(解説者:いけがみ ふゆ / 文芸評論家)


 久しぶりに読み返したら、何とも若々しい。若々しいけれど、初期の名作の一つであり、実際緊密な仕上げで、じっくりと読んでしまった。くろかわひろゆきの小説には一字一句気をつけて読ませてしまう力があるけれど、それは初期からずっと変わらずで、今回も軽妙ですいすい読めるのに、台詞せりふのひとつひとつに味があり、笑いがあり、キャラクター描写にえがある。

 正直に告白すると、僕は長年誤解していた。黒川博行の会話の面白さは大阪人の天性によるものが大きいのではないか、さほど悩まずに書いているのではないかと考えていたのであるが、『破門』(二〇一四年)でようやく直木賞を受賞した時のインタビューを読んで驚いた。「作品の中で、「ここで笑わそう」とか、「洒落しやれたこと言おう」とかは、意識したことないです」というのだ。「セリフを考えるのは、地の文よりも時間がかかる。一時間に原稿用紙一枚くらいしか書けない。軽やかにリズミカルに書けてると思われるのはいいんですけど、ものすごい時間かけて、セリフを考えてます」(「本の話WEB」直木賞受賞インタヴューより)と語っているからである。

 それは小説の書き方のバイブルのひとつになっている、日本推理作家協会編の『ミステリーの書き方』(幻冬舎文庫)を読めばわかるだろう。黒川博行は会話担当で「セリフの書き方」と題した章で、いかに台詞を考え、会話を作り上げるかを、自作を例にして示している。台詞を削ってキャラクターと会話の精度をあげる方法、または逆に台詞をふくらませて人物同士のやりとりを生き生きとしたものに仕立てあげる方法を、段階的に練り上げていく実例とともに語っているのである。方言の使用(どのレベルの方言を使うのか)にも触れていて、会話の最高のテキストである。余談になるが、僕は大学で創作表現を教えているけれど、これを授業のテキストとして使用すると、学生たちにとても評判がいい。素直に語り合うだけの単調な会話を避け、状況とキャラクターに即した会話を目指そうとするようになった。少なくとも会話の技を意識するようになった。

 この「セリフの書き方」が十二分に語っているけれど、黒川博行の苦労を感じさせないリズミカルな会話は、実は丹念な職人技の成果なのである。しかも会話と行動が中心だから、台詞でしか心理をつかむことができない。そこに本音をのぞかせる。「登場人物の心象風景を一切書いていないのに、これだけ読ませるのはすごい」(直木賞選考委員じゆういんしずか)といわれる所以ゆえんだが、「浪速なにわの読み物キング」(同)はやすやすとそれを行う。会話のうまさでいうなら黒川博行は、現在の日本の作家で五指に入るのではないか。

 さて、黒川博行のシリーズというと、ここ十年の成果はやはり直木賞受賞作『破門』でおみの「疫病神」シリーズになるだろう。相性最悪のコンビ、つまり経済やくざのくわはらと建設コンサルタントのにのみやが金のあるところにはまり込んで甘い汁を吸おうとして痛い目にあうシリーズで、『疫病神』『国境』『暗礁』『』『破門』『喧嘩すてごろ』『泥濘ぬかるみ』とコンスタントに続いている。おそらくもっとも力を注いでいる傑作・人気シリーズだろう。

 そして「疫病神」と同じくらい近年出色のシリーズが、『悪果』『りようらん』『果鋭』のほりうち伊達だてコンビものである。『悪果』で登場してきたときは二人とも、大阪府警今里署暴力団犯罪対策係の刑事だったが、堀内しんはヤクザとの癒着や情報ろうえい、伊達せいいちは愛人のヒモに刺されたのが監察にばれて府警を追われ、『繚乱』では、伊達はヒラヤマ総業という競売屋の調査員になり、堀内もまたその競売屋に拾われるが、堀内はヤクザともめて腹としりを刺され、五日間も生死の境をさまよい、回復はしたものの、座骨神経損傷による左下肢の運動障害が残り、歩行につえが欠かせなくなった……というのが『果鋭』の冒頭。

 疫病神シリーズが相性最悪のコンビなら、堀内・伊達コンビは相性最良のコンビとなる。誠やん、堀やんと呼びあい、電話で毎日のように連絡をとり、昼食を食べ、飲みにいくし、恐妻家の伊達のうわのためのアリバイ工作にも積極的にのる。ときには海外のカジノにも遠征する。悪党たちからかすり取った金もれいに折半である。

 では、本書『海の稜線』の主人公たちはどうだろうか。大阪府警捜査一課のふみ巡査部長(通称〝ブン〟)とそう部長刑事(通称〝総長〟)で、この二人も仲がいい。黒川作品には大阪府警捜査一課の刑事たちを主人公にした作品が十一作(うち二作は短篇集)あり、『二度のお別れ』『雨に殺せば』『八号古墳に消えて』で活躍する黒マメコンビ(くろけんぞう巡査部長とかめじゆん刑事)が有名だが、ブンと総長シリーズは四作で、本書はシリーズ一作目である。

 深夜の名神高速道路で乗用車が爆破される事件が起きる。男女二人が焼死したが、ともに黒焦げになっており身元がわからない。目撃者の証言や現場に残された時限装置の証拠などから、ダイナマイトでの爆破に間違いはなかった。

 大阪府警捜査一課の文田巡査部長は、東大卒のキャリアで東京から出向してきたはぎわら警部補とともに事件捜査に乗り出すが、死体の身元がなかなか特定できなかった。少しずつ証言を集めていくうちに、点だった被害者たちの生前の活動が線になり、二人の男が浮上してくる。さらに捜査を続けていくと、謎の人物たちが、ある海難事故と関係があることがわかってくる。

 という風に紹介すると堅苦しくなるが、ブンの一人称一視点で、まさに軽快そのもの。何かと関西文化と関西人をこき下ろす萩原とは反りが合わず、いがみ合ってばかりいるが、総長こと総田部長刑事がうまく二人をなだめながら捜査にあたるから、とても気持ちよく読める。

 作者があとがきで述べているように、関西文化圏と東京文化圏との対決、つまり浪速っ子と東京っ子の対立は、そのまま大阪と東京の文化の違いを語ることにつながるのだが、こういう相棒同士の出自の違いは海外なら、人種の違いになることが多い。シドニー・ポワチエで映画化されたジョン・ボールの『夜の大捜査線』や、サンフランシスコを舞台にした刑事アクション映画『48時間』(一九八二年。監督ウォルター・ヒル)を思い出す人もいるだろう。強面こわもての白人刑事(ニック・ノルティ)と軟派な黒人チンピラ(エディ・マーフィ)がコンビを組んで、凶悪犯の追跡にあたる内容だが、遠慮のないユーモラスな丁々発止のやりとりが、白人や黒人といった人種をこえて相互理解へとつながる。これは本書にもいえるだろう。ネタバレになるので、詳しくはいえないが、最後の二人のやりとりには必ずやニヤリとするはずだ。

 もうひとつ面白いのは、ブンが母一人、子一人という設定だろう。刑事としての日々の捜査活動のしんちよくをあれこれ母親に教えることで、母親も刑事の職を理解して、捜査の進捗状況を逐一聞き出そうとする。というと、いささかマザコンのようなイメージをもたれるかもしれないが、お節介な母親とあっけらかんとした息子という関係で母親依存のイメージではない。この家庭の場面も生き生きとしたやりとりが続くが、狙いは、複雑な事件の情況を逐次整理して、読者に事件への興味をいっそう抱かせることであろう。

 そして忘れてならないのは、社会派的な視点だろう。パチンコ業界の裏を探る『果鋭』、保険金詐欺と殺人を繰り返す『後妻業』、オレオレ詐欺や不正受給など老人たちを食い物にする男たちと戦う『泥濘』など近年も毎回のように社会犯罪に鋭く迫っているが、初期の本書では海運業界の利権をめぐる問題を徹底的に追及していく。なぜこんなに詳しいのかと思ったら、黒川の父親の仕事が船のブローカーということで納得である。

 疫病神シリーズや堀内・伊達コンビなどのユーモラスなピカレスクと違い、初期作品はけんろうな警察小説である。刑事たちに漫才のようなかけあいをさせながらも、捜査活動は綿密で、事件は二転三転していき、被害者の素性には容易に辿たどり着けない。ミステリの面白さは、キビキビと謎が解かれていく過程ではなく、ときに停滞して五里霧中になるところにこそあると僕は思うが、本書には、そういう面白さのへんりんがある。警察小説ではあるが、最後に関係者を集めての謎解きがなされるように本格ミステリの要素も強い。警察組織の集団捜査活動をメインにしているものの、名探偵的な刑事が謎を解くというスタイルである。

『海の稜線』(一九八七年)は、前述したように、大阪府警捜査一課シリーズの一つであるブンと総長ものの第一作。『海の稜線』のあと『ドアの向こうに』(一九八九年)『絵が殺した』(一九九〇年)『大博打』(一九九一年)と続く。本書で顕著な本格ミステリの味わいは『ドアの向こうに』でいっそう際立つ。「改めて読み返してみると、なんとガチガチのパズラーではおまへんか、(中略)この粗雑な頭でよくもまぁ、こんなややこしいトリックを考えたもんや、と感心してしまった」と創元推理文庫版のあとがきで回想しているほど。本書は東京の人間を据えて、東西の文化を比較しているが、『ドアの向こうに』では京都人の刑事を加えて、大阪文化と京都文化のあつれきとらえている。

 初期の警察小説を読み返すと、当然のことながら組織内の刑事たちの正しい行動を捉えているから、破天荒な方向にはいかない。疫病神シリーズや堀内・伊達コンビものに顕著な、個性豊かな怪しい人物がにぎにぎしく登場してきて、どこに話が転がるかわからないような魅力はないけれど、逆に安定感に満ちたたのしさがある。

 さきほど黒川博行が『破門』で直木賞を受賞したときの伊集院静の言葉を引用したが、そのときに「ここまで作品の質を落とさず書き続けた忍耐力、魂に敬意を表したい」という言葉もあった。同業者ならではの本音だろう。黒川博行が『二度のお別れ』でデビューしたのが、一九八四年。三年後に本書『海の稜線』をじようして、二十七年後(!)の『破門』で直木賞を受賞した。本書を再読してあらためて現在までの長い作家活動をたどれば、「ここまで作品の質を落とさず書き続けた忍耐力」は驚嘆に値するし、「魂に敬意を表したい」という言葉に心から賛成したくなる。ぜひ本書を読んでほしい。疫病神シリーズや堀内・伊達コンビで黒川作品に出会った人たちにもお薦めしたい初期傑作である。

ご購入&試し読みはこちら▶黒川博行『海の稜線』| KADOKAWA

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