本書『夜ごと死の匂いが』には、トラベル・ミステリーの第一人者として圧倒的人気を保っている西村京太郎氏が、一九七一年から七七年にかけて諸雑誌に発表した七作の短編が収録されている。うち五作は七三年から七五年に書かれているが、この時期は西村氏の作品に大きな変化が見られる頃である。それは、内容的に見ればそれまでの社会派推理から、より推理小説としての面白さを求めた作品が多くなり、量的には長編の数が、肝臓を悪くして休養していた七四年を除いて、年四作以上と急激に増してきたこと、そして十津川などのシリーズ・キャラクターを登場させるようになったということだ。
初めてシリーズ・キャラクターらしい人物が現れたのは、七三年に、本書に収録された「狙われた男」が初登場となる私立探偵の秋葉京介だが、お馴染みの十津川も、書下し長編の『赤い帆船』と週刊誌に連載された長編『殺しのバンカーショット』で同年に初登場している。このようなシリーズ・キャラクターを創り出した理由はいろいろあるだろうが、そのひとつとして、七一年の長編『名探偵なんか怖くない』や翌年の長編『名探偵が多すぎる』といった〝名探偵シリーズ〟の執筆によって、シリーズ探偵に対する興味が高まったことがあったに違いない。
その十津川であるが、西村氏は最初あまり厳密に人物設定を考えていなかったようだ。初期の作品ではいろいろと矛盾した描写が多く、また、事件が起った時期を推理するデータ(特に月日)にも矛盾があって、十津川の事件簿を作ろうとするときには苦労する。
最初に登場した二長編でも、『赤い帆船』では警視庁の警部補で、三十歳の中肉中背だがどこか鋼鉄を思わせる身体つきで眼つきも鋭い、と書かれているが、『殺しのバンカーショット』では三十四歳で警部となっている。次の長編『日本ダービー殺人事件』(一九七四)では三十六歳で警部、次の『消えたタンカー』(一九七五)では年齢こそ三十七歳ながら警部補となっている。もっともこの事件は発生月日の曜日から計算すると七三年の事件なので、警部補でもおかしくはないのだが、するとこんどは年齢が合わなくなる。
一方、十津川の短編での初登場は七四年で、本書に収められた「危険な賞金」である。年齢はよく分らないがすでに捜査一課の警部となっている。次に十津川が登場する短編は翌七五年に書かれた、これも本書に収められている「危険な判決」だが、この作品で十津川は三十二歳、刑事になって十二年の刑事(警部でも警部補でもない)と設定されていて、まったく他の作品と矛盾した記述がある。続いて同年に発表された「回春連盟」や「第二の標的」でも十津川は刑事となっている。
これらの各作品に描かれた十津川なる人物を総合すると、最初の頃は、二十歳で刑事となった十津川と、大学を卒業後警視庁に入り、警部補、インターポールへの出向、警部と順調に昇進した十津川と、ふたりの十津川がいたと考えられなくもないが、もちろん現在大活躍の十津川警部は後者であるのは言うまでもない。
さて、続いてここに収録された各作品について見てみよう。なお、本書は最初、八五年十月に廣済堂文庫として刊行された。
巻頭の表題作「夜ごと死の匂いが」(「月刊小説」一九七七・九)では、十津川は警部で、部下としてお馴染みの亀井刑事が登場する。真夏の熱帯夜に、ボウ・ガンで女性が射たれて殺されるという事件が続けて発生した。被害者が三人にもなり、十津川らは彼女たちの共通点を懸命に捜すが、なかなか見付からないまま、また類似の事件が起こる。今度は三十八歳の人妻でますます共通点が見付からない。さらに検討を加える十津川に、一番若い佐藤刑事が遠慮がちに発言した。はたして被害者を結ぶ糸とは何なのだろうか。動機捜しに工夫を凝らした作品である。
二編目は、前述のように十津川が短編に最初に登場する「危険な賞金」(「小説CLUB」一九七四・八増)だ。その街で開業して二十年、丁寧な診察で評判のよい医者が往診の帰りに路地で撲殺される。捜査本部では流しの犯行説が有力だったが、十津川は疑問を持っていた。そんなとき、犯人に関する情報を提供してくれた人には五百万円差し上げます、という広告が新聞に載る。品のいい医者の陰に隠された意外な姿を探り、何人かの容疑者から犯人をつきとめていく十津川の姿は、今も昔も変わっていない。この作品で部下として登場する鈴木刑事は他の作品でも活躍している。
続く「危険な判決」(「別冊小説CLUB」一九七五・七)は、「夜ごと死の匂いが」と同じように連続殺人の動機捜しである。定職なくブラブラしている男と四十すぎの女ブローカーが、同じ種類の高価なナイフで殺される。いずれも後ろ暗いところのある人物だったが共通点が見当たらない。そんなところへT・Kと署名のある脅迫状が不動産業者に届く。十津川刑事は同僚の鈴木刑事とともに犯人像を組み立てていくが、社会派推理の味わいが濃い作品である。
同じ〝危険〟と題名につくが、一転して私立探偵が登場するのは「危険な遺産」(「小説CLUB」一九七四・十二増)である。ある会社社長が亡くなって、遺産相続人として四人が名乗りでてきた。いずれも社長が全国を飛び回っている時に生ませた子供ということだが、生前の社長の言葉によれば、子供はひとりのはずだった。私立探偵の森恭介は弁護士から誰が本当の子供か探ってほしいと頼まれ、社長宅へ乗り込む。
私立探偵の秋葉京介が登場するのは「危険なスポットライト」(「小説CLUB」一九七四・二増)と「狙われた男」(「小説推理」一九七三・三)である。秋葉のシリーズは七三年と七四年に集中して五作書かれたが、西村氏の私立探偵はその後、七六年の長編『消えた巨人軍』に始まる〝左文字進シリーズ〟へと引き継がれていく。「危険なスポットライト」では若い女性人気歌手のボディガードを、「狙われた男」では脅迫されているキャバレーなどを経営している男からの依頼を引き受けた秋葉が、鮮やかな推理を披露している。
最後の「私を殺さないで」(「推理」一九七一・十一)は、ラジオのリクエスト番組が事件の発端に利用されている。青木順子と署名のあるリクエスト葉書が次々と死を招くサスペンスフルな作品だ。この作品に少しだけ顔を出す矢部警部も、〝左文字進シリーズ〟他の西村作品のそこかしこに登場する人物である。
この『夜ごと死の匂いが』収録の短編が発表されたのはトラベル・ミステリーを執筆する前の、西村京太郎氏が色々なタイプの作品を試みていた頃である。そのなかで創り出された、十津川や秋葉京介といったシリーズ・キャラクターの活躍は、西村氏のファンなら見逃せないはずだ。
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