西村氏はデビュー前にさまざまな懸賞小説募集に投稿しているが、活字となった最初の作品は、推理小説専門誌「宝石」の懸賞に応募した「黒の記憶」で、一九六一年二月増刊に発表されている。この作品は入選を逸したが、翌一九六二年の第五回双葉新人賞に「病める心」で第二席入選し(第一席は該当作なし)、以後大衆小説雑誌に短編を数多く発表する。さらに一九六三年にオール讀物推理小説新人賞を「歪んだ朝」で、一九六五年に江戸川乱歩賞を長編「天使の傷痕」で受賞しているが、当時の多くの短編は「傑作倶楽部」や「読切特撰集」といった小説雑誌に書かれている。この〝大衆小説雑誌時代〟は一九六六年まで続き、最も作品数の多い一九六五年には、二十二編の短編を数えることができる。
一九六五年頃から、雑誌「大衆文芸」を発行していた新鷹会の会員となり、この雑誌に主な作品を発表する〝大衆文芸時代〟が一九六八年から三年ほどあったが、一九七〇年代からの書き下し推理小説ブームとともに、西村氏も長編が中心の創作活動に変っていった。
それでも五十年以上に及ぶ作家生活の間に発表された短編は二百をはるかに超えるが、本書『怖ろしい夜』は、題名に〝夜〟という言葉が含まれているものを選んで編集した、文庫オリジナル短編集である。
西村氏の作品には、比較的、同じイメージを受ける題名が多い。長編では、意識して書き下された〝名探偵〟シリーズ(『名探偵なんか怖くない』『名探偵が多すぎる』『名探偵も楽じゃない』『名探偵に乾杯』)の他に、〝消えた〟シリーズ(『消えたタンカー』『消えた乗組員』『消えた巨人軍』『消えたドライバー』『消えたエース』)があるが、短編にも〝夜〟〝危険な〟あるいは〝女〟が題名に含まれる作品が多い。
なかでも一番多いのは、〝殺人〟や〝死〟といった推理小説につきものの言葉を別にすれば、〝夜〟である。十編を超える作品があって、別に同じ主人公や舞台というわけではなく、執筆時期も特に集中していないものの、それだけに西村氏が好む言葉と言えるかもしれない。他の推理作家では、結城昌治氏や笹沢左保氏が比較的多く〝夜〟を題名に用いているが、すべてを闇の中に包み込む〝夜〟には、ミステリアスな響きがある。
巻頭の「夜の追跡者」(「月刊小説」一九七八・六)は、サスペンスフルな中編だ。商事会社社員の秋山は、給料日に恋人の明子と食事をし、結婚を申し込んだ。彼女はすぐに承諾したけれど、半年待って欲しいと言った。あと一、二か月の命という叔母の遺産を貰ってから、というのがその理由だった。用事があるという明子と、また十二時に彼女のマンションで会う約束をした秋山は、映画を見たりバーで飲んだりして時間を潰したあと、約束通りマンションを訪ねた。だが、鍵の掛っていない彼女の部屋で待っていたのは、明子の死体であった。すぐに警察を呼んだが、状況は彼に不利だった。遺産が貰えるという叔母の話が嘘と聞かされ、アリバイも信じてもらえないと知った彼は、刑事を殴って〝夜〟の闇の中に逃亡した。
〝夜〟を友人に、自分の手で真犯人を捕えようと決心した秋山が、犯罪行為も厭わず真相を求める姿に引き込まれる。
次の「怠惰な夜」(「別冊宝石」一九六七・八)は、若い男女が主人公だ。退屈しのぎに悪戯をよくする二人が今度カモにしたのは、高級ナイトクラブが並ぶ〝夜〟の通りを歩く、くたびれたサラリーマンだった。女が男を誘い部屋へ連れ込んだところへ、相棒が飛び出して慌てふためくさまを見て楽しむといった、たわいない遊びだったが、今夜はいつまで経ってもその切っ掛けを与えてくれなかった。享楽的な若者の中にある打算を、巧みに描いた最後の一行が印象に残る。
「怠惰な夜」と同時期に書かれたのが「夜の罠」(「オール讀物」一九六七・一)だ。
私立探偵の岡部は、三十歳近く離れた若い妻をもった老人の依頼で、その妻を五日間尾行したが、別に浮気をしている素振りは見られなかった。その旨報告書を作成して老人に届けると、信用せずさらに五日間の追加調査を頼まれる。それでも不審な点が無かったにもかかわらず、老人はもう一度別の方法で潔白を証明したいというのだ。「浮気の証拠があるから二十万円持って来い」と脅迫状を書いて、これに答えるかどうかで確めようとする。岡部は絶対に来ないと思ったが、予想に反して指定の場所に彼女は現れた。〝夜〟の井の頭公園に仕掛けられる罠にはまってしまった登場人物のひとりの姿が哀れだ。
西村氏の警察物といえば、十津川警部とその部下が有名になってしまったが、それ以外にも多くの作品がある。「夜の牙」(「小説宝石」一九七六・十)もその中のひとつである。
西口署に新任刑事として配属された三井刑事の前に早速待ち受けていたのは、〝夜〟のラブホテルで売春婦が乳房を切られて殺されるという、猟奇的な事件だった。犯人のめどが付かないうちに、十日後、同じような事件が発生した。三井刑事の先輩安田刑事はある男にターゲットを絞り、次の十日後に事件の解決を賭けた。ベテラン刑事らしい安田の読みが、先輩と後輩の触れ合いのなかで生きている作品で、陰惨な事件を扱っているにもかかわらず、読後に爽やかな印象を残している。
最後の二編、「夜の脅迫者」(「読切特撰集」一九六四・八)と「夜の狙撃」(「小説の泉」一九六四・七)は、前述の初期短編群の中の作品だ。
新進の建築家山路が、第二京浜国道をスポーツカーで飛ばしている場面から始まるのは「夜の脅迫者」である。ちょうど点けたラジオのリクエスト番組で、山路あてに贈るというリクエスト曲がかかった。贈り主のSには心当りは無かったが、三年前の思い出のためにとアナウンサーが言葉を続けた時、山路は思わず事故を起しそうになった。彼は三年前、病的に嫉妬深い妻を完全犯罪で葬っていたのだ。過去の犯罪を種に脅迫された男が自ら崩壊していく様子を、鋭く描く犯罪心理サスペンスである。
ところで、西村氏の作品の愛読者ならば、中間の展開や結末は異なっているものの、この短編の冒頭が「私を殺さないで」(一九七一)に似ていることに気付くかもしれない。短編集『一千万人誘拐計画』(一九七九)のあとがきで小説の書き方に触れて、書き出しとラストを考えてから中間の部分を書くと述べたあと、「別のラスト・シーンを考えていたら、同じテーマでも、全く別の作品になっていただろう」と書いている。この「夜の脅迫者」と「私を殺さないで」はその一例と言える。
錦糸町の小さなバーから女を連れ出してタクシーを止めようとしていた〝夜〟の路上で、突然狙撃され女が死んでしまうのは「夜の狙撃」だ。〈私〉は参考人として警察に連行されるが、もちろん動機などありはしない。幸いすぐに解放されたけれど、今度は部屋がメチャクチャに荒されていた。何故こんな事件に巻き込まれたのかという謎を、軽妙なタッチでまとめていく。ユーモラスな会話で終るこの短編は、西村氏にはあまり見られない傾向の作品だろう。
以上六編、初期の作品を含めて、〝夜〟をテーマにした短編を集めた本書で、西村氏のバラエティに富んだ推理小説を楽しむことができる。
書誌情報はこちら>>西村 京太郎『怖ろしい夜』
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