内藤 了『タラニス 死の神の湿った森』(角川ホラー文庫)の刊行を記念して、巻末に収録された「解説」を特別公開!
内藤 了『タラニス 死の神の湿った森』文庫巻末解説
解説
二〇二二年に単行本が刊行されている『タラニス 死の神の湿った森』は、著者・
そう聞いて意外に感じる方も多いに違いない。角川ホラー文庫だけでも複数のシリーズものを執筆している内藤は、二〇一四年に『ON 猟奇犯罪捜査班・
試みに内藤の代表的なシリーズ作品を挙げておくと、ドラマ化もされたヒット作の〈猟奇犯罪捜査班・藤堂比奈子〉シリーズをはじめ、〈東京駅おもてうら交番・
もっともこうしたジャンル区分は、作者である内藤にはほとんど興味のないことだろう。内藤の書いてきた作品の多くは、不気味さとサスペンスに満ち、読者を一気読みに誘うエンタテインメントである。病気療養中に読書で不安を紛らわせ、「入院中の人が気晴らしに楽しめるような面白い小説を、自分でも書いてみようと思った」(
ではなぜ『タラニス』が初めてのホラー作品ということになるのだろうか。この発言が飛び出したのは『タラニス』単行本刊行時のインタビューだが、その際に内藤は「これまでホラーを書いていないなということがずっと気になっていて。いつか書かなければいけないなと思っていたんですね」「理想のホラーを書きたい書きたいと思っているうちに、デビューから八年も経っていた、という感じなんです」と語っている。日本ホラー小説大賞から世に出た内藤にとって、理想のホラーを書くことはクリアすべき課題だったようだ。では理想のホラーとはどんなものなのか。
『タラニス』の舞台は一九七〇年代のイギリスのウェールズ。暗く湿った森からほど近い場所に、ツェルニーン家が暮らすタラニス屋敷は建っていた。十五世紀に領主のマナーハウスとして造られた屋敷は、
一家といってもクリスは多忙でロンドンとウェールズを行き来し、妻のヒルデガード(ヒルダ)は出産のため入院している。今屋敷にいるのは、八歳の息子ジョージと兄のアルフレッドだけだ。心配性のヒルダによって学校に行くことを止められているジョージは、家庭学習を続けながら、アルフレッドと過ごしている。
そんなある日、二人は日系人メイドのミツコから恐ろしい話を聞いた。かつてタラニス屋敷では死の神にさらわれた少女がかまどで焼き殺されるという悲劇が起こっていたのだ。殺された少女メリッサの霊は今も死者の間に留まり、すすり泣いたりカーテンを引っ張ったりしているという。
屋敷の廃墟部分に出かけたジョージとアルフレッドは、封印されていた死者の間に足を踏み入れ、生まれてくる妹のための贈り物を持ち帰る。クリスとヒルダが新生児のベサニーを連れて帰宅し、屋敷にも楽しい日々が訪れるかに思われたが、次々に不穏な出来事が起こり、ジョージを取り巻く日常は少しずつ変化していく──。
このあらすじからも分かるように、『タラニス』は徹底してゴシックホラーな雰囲気を作り上げた長編だ。屋敷に染みついた惨劇の記憶、死の神がさまよう暗い森、物語が進むにつれて家庭内の入り組んだ事情も明らかになる。そして何と言ってもタラニス屋敷の異様な存在が、物語のムードを決定づけている。ゴシック小説では、登場する建築物が物語のテーマを伝える象徴的存在となることが多いが、タラニス屋敷もまさにそうである。半分以上が廃墟と化し、一部は焼け落ちている古い屋敷。その異形ともいえる姿は、過去と現在、生と死、正気と狂気が交差する物語そのものだ。内藤は建築系デザイナーとしての経歴を持ち、そのプロフェッショナルな建築知識は〈よろず建物因縁帳〉などに生かされているが、『タラニス』の精密な建物描写にも、遺憾なく発揮されているように思う。
幻想的な雰囲気をさらに際立たせるのは、ウェールズという舞台だ。ウェールズはキリスト教以前の土着信仰が息づく土地で、古代ドルイド教の遺跡が随所に残る。たとえばイギリスを代表する怪奇作家のアーサー・マッケンはウェールズの大自然の中に潜む精霊や古い神を題材に、「黒い石印」などの傑作をいくつも書いている。『タラニス』もウェールズ独特の信仰や文化、風景がなければ生まれることのない作品だった。内藤は執筆のために実際現地に足を運び、そこで目にしたものを作品に取り入れたという。「死の神の名前はタラニス。ケルトの神です。……人を殺すことはもっとも信心深い行為であり、その肉を食べることは祝福を得ることだったのですよ」と作中で説明される死の神タラニスも、ウェールズの風景の中でこそ生々しい存在感を放つ。
このように徹底的に作り込まれた世界観において、ジョージの八歳から十二歳までの少年時代がじっくりと描かれていく。季節の移ろい、人々の言葉やしぐさ、目に見えないものの気配までを、立ち止まって丹念に描写する物語は、いつものスピーディな展開の内藤作品とはテンポが異なる。それはジョージを取り巻いている世界を、少年時代に特有の時間の流れとともに描いているからに他ならない。読者はページを読み進むうち、ジョージの目を通してウェールズの景色を見、ジョージの肌を通して森の湿った気配を感じることになる。
その濃密な世界に、物語の後半とうとう亀裂が入り、隠されていた残酷な真相が明かされる。前半にちりばめられた伏線がひとつの真相に
内藤が『タラニス』を初めてのホラー小説としたのは、この残酷な童話のような読後感のせいなのかもしれない。先のインタビューで内藤は、「ホラー特有の後味の悪さ」が苦手だと語っているが、『タラニス』にそうした後味の悪さはない。残酷で、恐ろしく、悲しい物語はウェールズの光景の中で、どこか優しい光を放っている。
なお詳しく語ることは避けるが、『タラニス』の重要なテーマに「母」の存在がある。いつも美しく着飾っていても、どこか近寄りがたい母ヒルダとジョージの関係は、〈藤堂比奈子〉シリーズに登場する検死官・
今回解説を書くにあたって本書を久しぶりに読み返したが、結末を知っているにもかかわらず、深く引き込まれてしまった。それほどまでに『タラニス』が描く世界は魅力的で、ジョージの存在は愛おしい。こっそり独占しておきたかったというのが正直なところだが、今回の文庫化をきっかけに、より多くの人に読まれることを願っている。
作品紹介
書 名: タラニス 死の神の湿った森
著 者:内藤 了
発売日:2025年12月25日
法医昆虫学者の、哀しき過去――。「藤堂比奈子」ファン必読のスピンオフ。
少年は真実を知り、大人になる。「死の神屋敷」に隠された、悲しき少女の過去と謎とは。
イギリス・ウェールズで少年ジョージが暮らす「タラニス屋敷」。
「タラニス」とは「死の神」を意味するケルトの神だ。
夜遅く目覚めたジョージは家政婦のミツコに物語をねだる。
彼女が、秘密の話ですよと「ゲッシュ」(ケルトの魔法の取り決め)を交わしながら語ったのは、屋敷に伝わる、メリッサという少女の物語だった。
メリッサは、子どもを食べる死の神に生きたままかまどで燃やされたという。
そのかまどが今も屋敷の廃墟部分『死者の間』にある、近づいてはいけない――。
けれども、一緒に話を聞いた兄のアルフレッドは、
今度マムと戻ってくる赤ちゃんへの贈り物を探しに『死者の間』に行こうと言い出し……。
廃墟の秘密の扉を開けてしまったことで、夜な夜な現れるようになったメリッサの亡霊。
そこに隠された真実と、ツェルニーン家の秘密とは。
やがて法医昆虫学者として日本を訪れることになる、ジョージ・クリストファー・ツェルニーン。
彼の少年時代に秘められた悲しく凄絶な物語。
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