『山の霊異記 黒い遭難碑』というタイトルから、霊的な怖い話だろうなということは、当然想像できる。しかし実際読んでみると、怖い話は(自分にとっては)単なる「怪談話」で終わることもできるが、山の事故や不思議な現象を描くことによって、山で遭難して家に帰りたがっている方の御霊に通じるような、奥深い内容を感じることもできる本だと思った。
自分は山岳遭難救助や災害救援を行うNPOに在籍している。本書は急変する山の天候や装備の甘さが命取りになることなど、「山そのものの恐ろしさ」もしっかり伝えている。この作品を通して安曇さんは登山をする人の危機管理意識を高めようとしているのかもしれない。
自分は信州小谷村の出身なので、生まれも育ちも山の中。山が見えないと東西南北が分からないガラケーの人間である。今は隣の白馬村に住んでいる。山の怖い話は子供の頃にお年寄りからよく聞いた。「暗くなるまで山にいると化けものが出るぞ!」という定番の話だが……。子供の身を案じる身内が、早く家に帰らせようと語る話だと思う。しかし幼心は「化けもの」を信じてしまう。素直に育ったせいか、今でも「化けもの」が嫌いである。
本書の中には、近所の山を題材にした作品もあり、親しみを感じた。自分が知っているからこそ、情景描写の巧みさに感動した。
「どんな話が書いてあるのだろうか……」とビクビクしながら(少なくとも自分はそうである)本を開くと、そこには山の情景や空気が広がっている。澄んだ青空に浮かぶ雲、そして美しい山並みが続く尾根を、柔らかな風が吹いているかのようだ。時には、岩稜帯を谷から吹き上げてくる冷たい風や、猛烈な暴風雪の中、呼吸すら困難に感じるホワイトアウトの吹雪の様子など……。それぞれの場面が脳裏に浮かんでくる。その表現はまさに登山者が登山道を一歩ずつ踏みしめて高度を稼いでいくように、高山植物の変化から登山道の勾配、または見えてくる山並みの紹介に至るまで、筆を尽くし、山屋が感じとった感覚を繊細に表している。
安曇さんの手腕により、読み手は山の世界へと引き込まれ、登場人物と一緒に登山道を歩いている気分になる。この登山道では定番の一息つく場所で、登場人物と同様に汗を流しながら休憩を取る。いつの間にか自分と登場人物がシンクロしてしまい、登場人物の視点が自分のものになっている。登場人物が作品の中で振り返って見る景色は、いつしか自分の頭の中にも浮かんでいるのだ。
山をよく知る安曇さんだからこそ、五感で感じとる山の感情を表現できるのだなと思う。そうした情景に引き込まれて安堵していると、一転して安曇さんの第六感が冴えわたる世界へと突き落される。
実際一人で山を歩き、誰もいない登山道の絶景ポイントで休憩をしていると、色々な事を考え想像してしまうものだ。自分は臆病なのだが、おそらく安曇さんもそうなのではないだろうか? ビクビクしているから、ついよからぬことを考えてしまう。「春に行方不明になった人がそこのハイマツの陰に居たりして……」「白骨がその辺にあるかも……」。この本はそんな自分の臆病さや、怖いもの見たさの一面を容赦なく掘り起こしてくる。
たとえば、好天で風もない静まり返った平和な山日和の日であっても、急に霧が立ち込めたり風が吹きだしたりすることは実際よくある話だ。そのように天候が急変すれば、不安にもなる。そこにつけこんでくるかのように安曇さんは筆を進める。
単独で山を歩いていて急に天候が変わり、霧とともに靴音が迫ってくると大抵の人は緊張する。そこの場面(経験)を恐怖の時間にすり替えられてしまう。想像してみてほしい、山の好天が一気に急変し、霧の中から人間の頭を小脇に抱えた遭難者が現れたら――。おそらく容易に想像できてしまったのではなかろうか。いずれにせよ、山は実際にあり得ない事が起きる不思議な世界である。
「こんなの勘弁してくれよ……」というようなグロテスクな怖い話も確かにある。「嘘でしょう?」と笑いながらも、完全には否定できない「山」の世界で安曇さんは怪談話を繰り広げておられる。怖い話が苦手な自分からすれば「困った人だ……」と言わざるを得ない。安曇さんの作品は、怪談話だがとてもリアルなのだ。自分が安曇さんにお会いしたり、関わったりすることを躊躇したのは、怪談作家としての安曇さんの力量を表わしていると言えるだろう。
自分が山岳遭難救助や災害救援を行っている関係でこのようなことを考えてしまうのかもしれないが、遭難して亡くなった人の変形した身体はやはり普通の人には受け入れがたいと思う。自分も慣れるほど多くのご遺体を見ているわけではないから、この作品を読むとそれが脳裏に蘇ってくる。安曇さんは山のご遺体を数多く見ている方なのかな……と思ってしまう。
リアルな描写で怖い話を聞かされるとリアルに怖い。『山の霊異記 赤いヤッケの男』では雪崩で遭難した登山者の捜索状況が登場する作品がある。これもリアルな表現がされているためマニアの方には嬉しいかもしれないが、救助隊員としては救助・捜索活動に支障が出る困った作品かもしれない。
山で亡くなった方は皆、家族のもとに帰りたがっていると自分は感じている。自分の体験であるが山で落石に襲われた登山者を救出しようと現場に進入し、かつぎだそうと腕を引っ張ったのだが、どうにも重くて動かない。そうしたところ更に落石が迫ってきた。一瞬現場を離れ、ひやりとしたが難を逃れた。落石の音に注意しながら再度現場に進入し、遭難された方の背中を見た時、泣かれているように感じた。そして思わず「お父さん、家に帰りましょう」と声をかけた。それから岩の間に手を入れて抱き起こしたら、素直に体が動いてくれ、軽くなったように感じた。ご遺体は自分の背中でも泣いておられるように感じた。何とも言えない切ない気持ちで遭難された方を現場から移動して仲間の応援を待った。しばらくしてヘリコプターが頭上に到着しワイヤーが下ろされ、要救助者はワイヤーでヘリコプターに収容されて麓へ飛んで行った。「良かったね」心の中でそうつぶやいたのを覚えている。誰も山に事故に遭いたくて来ているわけではない、不慮の事故なのだ。御霊となっても家族を思う気持ちはとても理解できる。この作品はそんな人の繋がりの尊さや遭難した方の想いも描かれている。安曇さんは山で事故に遭い、家に帰りたがっている御霊を幾度も山から里までおろした経験がきっとおありなのだろう、本人は気づいていないのかもしれないが。
自分には無理な話だが、この書を一番楽しむには、やはり山に行って一人テントの中で楽しむのが一番良いと思う。自分は安曇さんの朗読でこの作品を知った。即座に「この本は山には持っていけない……」と感想を抱いた。しかし怪談話が好きな方には是非お勧めしたい。かなり楽しめるのではなかろうか。幻聴などは確実に経験できるように思う。テント泊をしない方のために、知り合いの山小屋の主人に「山小屋の夜の談話で安曇さんに朗読してもらおうか?」と持ちかけたところ「面白いかもしれない!」と乗り気な返事を頂いた。
また「山」という言葉に惹かれこの本を手にした方、また山を始めて間もない方にもお勧めできる。自分は「山」と観光地は少々違う場であると感じている。神聖で威厳があり、ときには怒りを、ときには憂いを見せる。山を軽く考えて準備や装備がおろそかであれば事故に繋がるということ、悲しい御霊が眠る場であることなどを改めて意識させてくれる。作品から、山に接する人は、謙虚な姿勢をもって触れてほしいと願う安曇さんの山を大切に思う気持ちが伝わってくる。
山は不思議な霊域だと自分も思う。その世界で怪談話を聞かされると自分の背筋は寒くなるだろう。山には淋しい思いをしている御霊もきっとおられる。そんな気持ちを感じ取ることができれば山歩きが少し違う感覚になるのではないだろうか。
この作品を通して「もっと自分を大切にして山を歩こう」という気持ちになった。