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レビュー

「山の怪談」の名手が拓くのびやかな新地平 『山の霊異記 ケルンは語らず』

 巻頭に掲げられた自序を読み始めるなり、大笑いしてしまった。
 怪談本を読んで笑いだすとは穏やかではないが、本書に限っては、著者の安曇氏(あずみ)も——それこそ苦笑を浮かべつつ——赦してくださるだろう。
 なにしろそこには、著者が山行(さんこう)途次(とじ)感興(かんきょう)のおもむくまま書き記した抒情詩(じょじょうし)のかずかずが披瀝(ひれき)されていたのだから。たとえば、こんな具合に——

空は蒼く白い雲はゆっくりと流れている/吹き上げる山の風が心地よい/さあ行こう/あの頂になにかが待っている

山男にはロマンチストが多いとはいうが、なんとまあ少年のように純真無垢な感性の吐露であろうか。とても今年で還暦を迎える怪談作家が書く詩とは思えない……と、たまたま同い年の私は、濁世の風に汚れ(すさ)んだ我が身を省みつつ恥じ入った次第である。
 それと同時に、かくも瑞々しい感性と、こよなく山行を愛する心ばえあればこそ、著者は二〇〇四年の作家デビューこのかた、実に十四年の長きにわたり、山の怪談ひとすじにクオリティ高い作品を書き続けることができたのだろうと、(あらた)めて感じ入ることになった。
 思えば「幽」の創刊まもない某日、寄稿作家のひとりである旧知の加門七海(かもんななみ)さんから耳よりな情報がもたらされた。自身も大の山好きである加門さん、インターネットで山関連のサイトを眺めていたら、迫真の山の怪談を載せているサイトがあると教えてくださったのだ。「北アルプスの風」と題された(くだん)のサイトは表向き……それこそ先述したような詩情あふれる文章と写真で構成された山行愛好サイトなのだが、隠しページを開くと、一読慄然たる山の怪談が満載されていたのだった。加門さんの証言を引こう。

完成度が高いですね。何よりも怪談として怖い、というのが一番です。東さんにしても私にしても怪談ズレしているわけじゃないですか。それが、ここまで怖いのは近頃ない、とふたりして驚いた。『アタックザック』の話などは山をやっている人間だったら怖くて、山に登るのを躊躇してしまうくらい

「幽」第九号掲載の座談会「山は怪異に満ち満ちて」より

そうそう、「アタックザック」! 大反響を呼んだ第一作品集『山の霊異記 赤いヤッケの男』(二〇〇八)収録作の中でも、表題作と並ぶ屈指の傑作であった。
 あれから十年——〈山の霊異記〉シリーズ五作目となる本書『ケルンは語らず』もまた、いつもながら読み手の意表を突いた戦慄が結末に待ち受ける本格的な恐怖譚から、ほろ苦い郷愁や哀感を湛えた不思議譚まで、硬軟さまざまなタイプの「山の怪談」全二十一篇が収められており、たいそう読みごたえがある。
 特筆すべきは収録作中、本書のために新たに書き下ろされた作品が、半数を超える十二篇にものぼることだ。それらの新作においては、著者は常になく(くつろ)いだ筆致で、いろいろ斬新な試みに挑んでいる。長閑(のどか)な不条理(!?)感覚に翻弄される「三日月の仮面」から、お色気たっぷりな「美人霊の憂鬱」まで——コワモテに、ことさら陰惨さを強調するばかりが怪談の能ではないことを、あたかも実証するかのように。
 随処に挿入されるリリカルな自然描写や、いかにも美味そうな飲食物の描写が、物語の核心にひそむ超自然の異様さを際立たせているのも、安曇怪談の得がたい特質だろう。
 新たな試みといえば、「かくれんぼ」。これは「山」ならぬ「海」の怪談である。発売中の「幽」最新号の特集「山妖海怪、奇奇怪怪」のために書き下ろされたものだが、「山」縛りを外したこうした作品も、もっと読んでみたいと思わせる情感ゆたかな力作だった。
 巻末の「三面鏡——後書きに代えて」がまた、著者自身の怪談的ルーツに直結する、しかも、とんでもなく怖い話なので、お見逃しなく!


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