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レビュー

近未来の東京、スラム化した新宿の街で繰り広げられるスリル満点の冒険アクション!『B・D・T [掟の街] 新装版』

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

(解説者:池上 冬樹 / 文芸評論家)

 まず、二〇〇〇年代の大沢ハードボイルドの代表作のひとつといっていい、『心では重すぎる』(文春文庫)から話をはじめようか。いささか語弊があるかもしれないが、その物語の〝停滞ぶり〟が何とも僕には頼もしく、刺激的だったからである。
 この小説は、私立探偵の佐久間公が、かつて一世をふうした漫画家の行方を探す物語で、そこに佐久間が二年前までカウンセラーとして関わっていた薬物依存者とのトラブル、そこから波及して起きる渋谷のチーマーややくざの組織との対立などを絡めている。漫画家探しとしぶのチーマーたちの事件、一見するとばらばらに見える二つの事件が後半に入ってから交錯し、いつもならそこから物語に加速度がつくのだけれど、そうはならない。いつもよりテンポはゆったりで、展開もさほど劇的ではない。何より大沢の持ち味の物語の面白さが際立っていない。というより、作者は別の面に興味を抱いている。それは私立探偵と「現代」との関わりである。
 主人公の佐久間公は、デビュー作『感傷の街角』からずっと作者がおりにふれて書いてきたヒーローである。新宿署の鮫島刑事のようなアクション・ヒーローではなく、抑制と克己に富む正統派のヒーロー。ヘリコプターの事故でロックシンガーの妻を失い、一時期、地方の薬物依存者の相互更生施設でカウンセラーの仕事をしていたが、二年前に私立探偵業に復帰した。だからこそ、職業としての「探偵」に自覚的だ。それは決してプロとして事件と一線を画するような傍観者ではなく、積極的に事件に関わる行為者としての探偵であることを理想とする。だからこそ佐久間は関係者としんに語り合う。直面するさまざまな問題、たとえば人生を狂わせ人間を荒廃させていく巨大なビジネスの漫画業界について、少年たちを汚染する薬物依存について、人の心をとらえる新興宗教について、そして価値観のなくなった社会をさまよう若者たちの心のありかについて議論するのである。
 正直言って、『新宿鮫』のような明快でスピーディなエンターテインメントを求めたら、間違いなく失望するだろう。何度も同じところを回っているような停滞感がある。しかし〝現代社会のただなか〟にとどまり、対論を繰り返しているうちに次第に人物たちは役割の域を越えて生々しい肉声をはなち、現実の裏側が恐ろしいリアリティをもって迫ってくる。快調には語り得ない、あえて〝停滞〟することで見えてくる現代の精神状況のやみ、その絶望的なまでにゆがんでいる諸相を鋭く浮かび上がらせている。エンターテインメントよりも普通小説に傾いた、大沢文学の一つの成果といえるだろう。

 さて、本書『B・D・T[掟の街]』である。
 この小説は、およそ二〇五〇年の東京を舞台にした近未来ハードボイルドで、主人公の探偵はヨヨギ・ケン、まだ二十代の若さで、私立探偵の事務所を構えている場所は新青山……といえば、どうしても大沢在昌の代表的なヒーロー、佐久間公を思い出す。
 大沢在昌といえば、新宿署のアウトロー刑事鮫島を主人公にした『新宿鮫』で多くのファンをつかみ、一気にベストセラー作家になり、シリーズ四作目の『無間人形』では直木賞も受賞、人気と実力で押しも押されもせぬ第一級の作家となった。そのためか、大沢在昌のヒーローというと、すぐに鮫島が思い出されるけれど、そうではない。
 また大沢在昌は、北方謙三や逢坂剛、または宮部みゆきと同じく、実に幅広いジャンルの小説を書き、それぞれの代表作、たとえば軽ハードボイルドは『アルバイト探偵(アイ)』、正統派私立探偵小説は『氷の森』、ノンストップ・サスペンスは『走らなあかん、夜明けまで』、ハリウッド映画ばりのSFアクションは『天使の牙』、ホラーは『眠りの家』などを発表しているが、そんな幅広い活躍を示しながらも、たえず本線ともいうべき私立探偵小説、佐久間公シリーズを書きついでいる。調査員佐久間公を主人公にした文壇デビュー作『感傷の街角』が大沢文学の原点であり、それを確かめるかのように『標的走路』『漂泊の街角』『追跡者の血統』『雪蛍』、そして『心では重すぎる』とシリーズが書かれてきたのである。あるエッセイで、〝佐久間公は私の分身である〟と述べているように、佐久間公シリーズは大沢文学の背骨をなすといっても過言ではない。『感傷の街角』でデビューした佐久間公は二十代の若さで、事務所は六本木だったけれど、作者が『B・D・T』に登場させたヨヨギ・ケンは、まさに佐久間公の未来版といえるだろう。
 もちろん時代設定は大きく異なる。さきほども述べたように、小説の舞台は、二十一世紀なかばの東京である。この設定と舞台がまず目をひく。
 かつてバブル華やかなりし頃の日本には、アジアや崩壊した旧共産圏から大挙して外国人が出稼ぎに流れこみ、売春を含む生殖行為の産物として数多くの混血児が生み出された。そして「この国で生まれた子供に対しては日本国籍を与え、かつその扶養者一名については永住権を与える」という新外国人法が制定されて、不法滞在の外国人まで子作りに励み、限度を超えた混血児のベビー・ブームをよんだものの、「子供はひとりで充分」の親たちに捨てられ、〝ホープレス・チャイルド〟が街にあふれだした。いまではその名称も、裕福な層も含む混血児の総称となり、東京に居住する都民の十歳から三十歳までの三割が混血であり、その三割の九十パーセントが、東京の東部(ちょうど渋谷を境にして東部)に位置するB・D・T、すなわちスラム化した危険な街、BOIL DOWN TOWNに住んでいる。ホープレス・チャイルドがあふれたために、東部に住んでいた純粋な日本人たちは杉並以西の西部エリアに移住。経済的成功をおさめた富裕層の外国人も西部へと同じように移住してきた。
 そんなB・D・Tに住む私立探偵ケンのところに、ホープレス・エイジのちようともいうべき人気作家が訪ねてくる場面から、物語ははじまる。しつそうしたひとりの女性の行方を探してくれないかというのだが、相手の女性は、ラテン系のクラブで働く歌手兼コールガール。やがて関係者の聞き取りをしているうちに殺人事件が起きて、ケンはさまざまなシンジケートが暗躍するB・D・Tのアンダーグラウンドへとおりていく……。
 この小説が発表されたとき、文芸評論家の北上次郎氏は、こんな風に称賛した──。

……すこぶる刺激的な物語が始まっていく。特に後半の展開は、目が離せない。おいおい、いったいどうなるの、と思わせて見事に着地を決めるのもいい。見事にハードボイルドするラストの意味は、大沢在昌のこの実験が、SF的な設定を導入することで東京をニューヨークに転換し、ハードボイルド小説を書きやすくするための手法に他ならないということだ。日本におけるハードボイルド小説の書きにくさを作者はこうして巧みに回避する。多民族国家、犯罪多発都市、という外枠が同じなら、たしかにあとは作者の力量の勝負にすぎない。もちろんそれが作者の考えるハードボイルドのすべてではなく、こういう道もあるんだよという余裕の提示であるにしても。つまり大沢在昌の成熟がここにも見られるのだ。もっとも私はそういうハードボイルドの実験としてよりも、近未来小説として愉しかったが。そのようにいろいろな読み方の出来る小説だろう。とにかく、今月断然のおすすめ
「小説推理」九三年十月号。後に本の雑誌社刊『新刊めったくたガイド大全』、現在『新刊めったくたガイド大全』として角川文庫に収録

 この書評が、本書の魅力を端的に伝えているだろう。まずは近未来小説の面白さ。
 北上氏が〝近未来小説として愉しかった〟というように、ここには未来社会の鮮烈なイメージがあふれていて、それだけでもわくわくする。冒頭の西新宿の場面から、僕らは心地よいこうふんを覚えながら、五十年後の東京を呼吸するのだ。ケンとともに卑しき街を歩き、徐々に五十年間に起きたこと(たとえば二〇一五年に直下型の大地震がおきて銀座や羽田周辺が崩壊!)、ホープレス・チャイルドの急増が意外なビジネスを生み出していること(多民族の暴力団がB・D・Tだけで五百から千もあり、彼ら専門の「シンジケート・タイムス」が週刊で出ている!)、さらにはいま人気の食べ物のこと(ラーメンでは中国系とインド系が、いま東京で〝味〟の覇権争いをしている)なども頭に入ってくる。読者の喜びを奪うことになるので、これ以上は触れないが、小説の命ともいうべき細部がしんらつな未来観で裏打ちされていて、実にリアルなのだ。
 次に、ハードボイルドの実験。おそらく作者は、北上氏が指摘しているように、現代ハードボイルド、とくにアメリカン・ハードボイルドを視野に入れて未来の日本を選択したのだろう。たしかに現代の日本を舞台にした場合、銃、麻薬、人種差別、児童ポルノなど、たとえ扱うことができても(とくに銃と麻薬に関しては、大沢在昌が小説で使い、リアリスティックなアクションを展開させているけれど)、日本が舞台だと縛りが多く、特別な事件に見えてしまう。だから、そこから自由になるための設定であるのは充分に考えられる。
 だがしかし、本書をじっくり読むと、いくらでも過激になりそうなのに、意外と派手な仕掛けになるのを抑えているようなところがある。〝ハードボイルド小説を書きやすくするための手法〟として近未来を選び、東京をニューヨークに転換する意図はあったと思うが、決してそればかりではないような気がする。いや、むしろそれとはまた別に、作者のなかでは、あくまでも将来の日本を見すえている部分があるのではないか。ここで描かれているのは、たしかに日本の姿ではなくアメリカのいまの姿に近いけれど、いずれ日本でも起こりうる姿である。つまり多民族国家としての日本、そうなれば当然発生するだろう外国人排斥の動きや民族浄化運動、民族間の対立の激化、そしてそこに付け入ろうとする組織暴力団と政治家たちの影。アメリカで起きていることが将来日本でも起こりうること、その問題点の芽が「現代」にあり、それを拡大し、未来のヴィジョンとして提示していると思えて仕方ない。つまり設定は未来社会になっているけれど、これはまさに現代の物語ともいえるのではないか。
 その物語の切実さを生み出している点で大いに寄与しているのが、やはり主人公ヨヨギ・ケンの存在だろう。最初に『心では重すぎる』の話から入ったのは、切れ味のいい快調なアクション小説としての魅力をそなえつつも、本書『B・D・T』が「現代」の多面的な問題に真摯に取り組んでいるからだが、もうひとつ「私立探偵」の問題もある。前にも触れたように、ヨヨギ・ケンが近未来版の佐久間公であるのは、探偵という職業が、単なる仕事ではなく、彼自身の存在そのものになっているからである。佐久間公はかつて〝探偵とは職業であると同時に、生き方なのではないか〟という認識を示したことがあるけれど、ケンにとってはまさに〝探偵〟は、単なる職業ではなく生き方そのもの。多民族国家のなかでホープレス・チャイルドとして生まれ、B・D・Tで探偵でありつづけることは、生き方を問われているに等しい。職業として〝仕事〟をしているのではなく、全存在をかけて行為にあたっている。『雪蛍』や『心では重すぎる』の佐久間公のように、事件により深くコミットせざるをえないのだ。そんなケンが向き合う刑事や地下組織のリーダーや娼婦たちが、実に生き生きとした存在感を放っていることも、本書の見所のひとつだろう。
 以上のことからもわかるように、本書は、近未来を舞台にしたハードボイルドの異色作であるけれど、大沢文学のなかでもかなめの位置にある作品といえるのではないか。『新宿鮫』シリーズのようなスピーディで迫力に富むアクション小説でありながら、佐久間公シリーズのような正統的な探偵観が追求されているし、さらに近年の大沢在昌の特徴である現代社会の考察という側面も強く打ち出されているからである。大沢文学の魅力のつまった注目すべき作品といえるだろう。

ご購入&試し読みはこちら▶大沢在昌『B・D・T [掟の街] 新装版』| KADOKAWA


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