文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
(解説:風間 賢二 / 幻想文学研究家・翻訳家)
あーあ、おもしろかった。
これがぼくの本書に関する率直な読後感。
このほかに、いったい何を言えばいいのだろう。
本書は数時間というもの、我が極貧文筆業の将来のことも、妻と四人の子供を扶養家族として抱える我が家庭のことも、そして本解説を含むいくつかのとうに過ぎている原稿の締切りのことも、つまりは、浮世の様々なしがらみや苦しみをしばしのあいだ忘れさせてくれる、超一級の娯楽作品であるということを述べれば、それで充分ではないか。
本書はぜったいにおもしろい。噓だと思うなら、ぼくの駄文から目を離して、今すぐ本文を読みはじめるがいい。抜群のストーリーテリングの妙技に乗せられて、ラストまで一気読みさせられてしまうこと請け合い。文字通りのローラーコースター本だ!
以上、解説終わり。
と書いて済ますわけにはいかないところが解説者の辛いところ。などと言いながら、実は、ぼくがこの解説を書くにあたって、辛い理由はもうひとつある。
恥を忍んで打ち明けるが、ぼくは、作者の大沢在昌氏の作品をこれまで一冊も読んだことがないのだ。
それを言うのなら、今日の日本ミステリー作家の作品はほとんど手にしたことがない。ぼくの国産ミステリーの知識は、江戸川乱歩を筆頭とした「新青年」の作家たち──夢野久作や小栗虫太郎、久生十蘭、橘外男、渡辺啓助など──どまりなのである。
もちろん、大沢在昌氏が『新宿鮫 無間人形』で直木賞を受賞した、ハードボイルド系の作家であるということぐらいは知っている。ただし、その超有名な警察小説『新宿鮫』シリーズさえ手にしたことがない。
したがって、大沢氏の他の何十冊とある著作と関連づけて本書を論じることは、今のぼくにはできない相談というもの。
では、なぜ、現代日本推理小説の事情に疎いぼくが本書の解説を引き受けたのか。答えは単純。実は、本書はホラーなのである。
どうだ、驚いたか、『新宿鮫』の作家がホラーを書いてるんだぜ! と言いたいところだが、なんと、大沢在昌ファンならご承知のように、氏にはすでに『暗黒旅人』という、ハードボイルド・タッチの立派な伝奇ホラーがある。失礼しました。そのことも知りませんでした。
となると、本書は、直木賞を受賞した推理作家の長編モダンホラー第二弾! ということになる(たぶん)。
物語は、プロローグを経て、渋谷のクラブでのサブマシンガンによる惨殺事件で幕を開ける。犯人は東洋人ふたりと西欧人(白人と黒人)ふたりの四人組。彼らの目的は、そのクラブに来ていた売人から新種のドラッグを取り戻すことだった。だが、なぜ四人組は、何人もの他の客を巻きぞえに殺してまで、そのドラッグを奪取しなければならなかったのか?
十一名の死傷者を出す原因となったドラッグ──『ナイトメア90』は、米軍が密かに研究していた生物兵器(バイオウェポン)だった。このドラッグを服用することによって、遺伝子の情報を体内で操作する──大脳を刺激することで人間の眠っている太古の遺伝子を目覚めさせることができるのである。ようするに、それを吞むと、人間は生きた殺戮マシーン、いや恐怖の怪物と化すのだ。ただし、このドラッグは未完成品。まだ、動物実験の段階だった。実際に人間が吞んだら、いったいどのようなことになるのか?
その問題のドラッグが、狂信的環境保護団体の過激派に盗まれ、日本に持ち込まれたのである。そのうちの十個が民間人の手にわたり、どうやらクラブに来ていた若者たちに売られてしまったらしい。その数は五個。つまり、五人の若者たちが、いつ化け物になって大殺戮を行うのかわからない状況。
対応に苦慮した日米の軍当局は、フリーランスの軍事顧問である牧原に事態を隠密裡に収拾することを依頼。そして、大惨事の起きたクラブに渋谷のある私立高校の生徒が出入りしていたことをキャッチした軍当局は、牧原をその私立高校の体育教師として潜入させる。かくて牧原は、誰が『ナイトメア90』を買ったのかつきとめるために、高校教師になりすまし、生徒たちに接近する。だが、彼の行く手には、ドラッグの売人と関係のあるヤクザや過激派の殺し屋、そして筆舌に尽くし難い化け物が待ち受けていた!
本書について、作者は次のように述べている。
B級のSFアクションや、ホラーアクションに目がない。〝いい者〟と〝悪い者〟がはっきりしていて、安心して楽しめるような作品だ。映画でもコミックでも、小説でも。 この作品も、そういうものにしたかった。 雨降りの休日や、どこかにでかける列車の中で、暇つぶしに、のんびりと楽しんでいただきたい
まさにそのとおり。本書は、掛け値なしに上質の〝B級のSFアクション、ホラーアクション〟小説である。映画『ターミネーター』や『エイリアン』、『スピーシーズ』が好きな読者なら、本書のスピーディかつ戦慄もんのストーリー展開に大満足することまちがいなし。あるいは、菊地秀行や夢枕獏の伝奇ヴァイオレンス・アクション・ホラーの愛読者にも、ぜひとも一読を薦めたい作品である。
ところで、本書をモダンホラーの数あるサブジャンルに分類すれば、バイオテクノロジー・ホラーという分野に入れることができる。
このバイオ・ホラー、昨今では瀬名秀明の『パラサイト・イヴ』や鈴木光司の『らせん』などのベストセラー作品でおなじみとなったが、本書はそれらの長編に先立つこと二年前に「月刊ドンドン」(九三年一月号─九四年六月号)誌上に『悪夢まで十三秒』というタイトルで連載されている。我が国で遺伝子操作をテーマにしたホラーとしては、梅原克文の『二十螺旋の悪魔』とともにパイオニア的な作品ではないだろうか。
海外の作品で、遺伝子操作の恐怖を扱ったアクション・ホラーと言えば、すぐに思い浮かぶのがディーン・R・クーンツの傑作『戦慄のシャドウファイア』である。新しいところでは、映画にもなったダグラス・プレストン&リンカーン・チャイルドの『レリック』、あるいはスリラーでは、リドリー・ピアスンの『螺旋上の殺意』なんてのもある。
遺伝子操作にこだわらず、広い意味でのバイオ・ホラーということであれば、その鼻祖は、なんと言っても、メアリ・シェリーの不朽の名作『フランケンシュタイン』(一八一八年)である(我が国では、海野十三の『蠅男』)。
だがしかし、本格的なバイオ・ホラーとなると、あらゆる分野のサイエンスが台頭してきた一九世紀後半に始まるといってよい。とりわけ、その背後には、進化論(ダーウィンニズム)と退化論(エントロピー論)、そして犯罪人類学と深層心理学、およびセクソロジーの影響が強い。具体的な作品名をあげれば、スティーヴンスンの『ジキル博士とハイド氏』(一八八六年)やウエルズの『モロー博士の島』(一八九六年)だ。
ようするに、それまで確固として揺るぎのなかった人間のアイデンティティが新しい数々のサイエンスが提唱した知のパラダイムの変換によって崩壊してしまったのだ。先に進化論を筆頭にあげたそれぞれのサイエンスが主張していることは、人間とは不確定で多義的、不統一、安定を欠く未完成の存在であるということ。
そうした言説によって不安に陥った人々の悪夢を見事に表象してのけた怪奇小説がアーサー・マッケンの中編『パンの大神』(一八九〇年)である。この汚穢と禁忌とに満ちた作品では、人の肉体は溶けながら、女性から男性へ、人間から獣へ、そして獣よりさらに語る言葉もないほど醜怪なものへと変化していく様が語られている。
なるほど、人間が化け物に変身するのを指して、人間には〝内なる悪・未知なる野獣〟が潜んでいると言うこともできるが、事はそれだけではない。モンスターに変身という現象は、今や人間の主体が壊滅しているという事実を表象しているのだ。自己のアイデンティティなどといった吞気なことではなく、人間そのもののアイデンティティが消滅してしまったのだ。神は死して久しいが、今や〝人間の終焉〟が問題なのである。
つまり、バイオ・ホラーのバックグラウンドには、たえず黙示録的ゴシックの要素が含まれている。本書もまたしかり。そのことは、ラストまで物語を読んでもらえばわかってもらえるはず。
たしかに、事件は一応の決着を見る。そのかわりに、本当の悪夢が始まったという感慨を抱くのは、ぼくひとりではないだろう。作者は本書の続編を執筆する気はないのだろうか? 可能であれば、ぜひともそうしてもらいたい。
主人公の軍事顧問、牧原が活躍する新たな話を読みたい。なにしろ、この牧原という男、めっぽう強くてカッコイイのだ。しかし、彼が登場する続編が書かれるとしたら、それこそ「怪獣大戦争」のような内容になってしまうかも。
あっ、これってネタばらし?
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