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試し読み

【新連載試し読み 海堂尊「医学のひよこ」】桜宮中学の3年生になったカオルたちが 洞穴で発見したのは……大きな「たまご」!?

4 月 11 日(土)発売の「小説 野性時代」2020年5月号では、海堂尊さんの新連載「医学のひよこ」がスタート。その冒頭を公開します!

【関連記事】※リンクはページ下部「おすすめ記事」にもあります。
>>海堂尊・新連載スタート記念インタビュー「『医学のたまご』を読んで 医学部に入りました」 という方が けっこう多いんですよ。

1章 幸福と不幸はコインの裏表にすぎない。
   2023年4月11日(火)

 あの波乱の日々は、ぼくが中学3年になった春に、なんてことなしに始まった。
 それから半年の間に、次々にあんな「特別」なことが起こるなんて、思いもしなかった。
 でも本当は、ぼくならそんな未来を予感してもおかしくなかった。
 だってぼくは前年、「平凡」な中学生なら絶対しないような「特別」な体験をしていたからだ。その意味で、あの時のぼくは、「特別」な中学生だった。
「幸福と不幸はコインの裏表にすぎない」という言葉を初めて耳にした時、ぼくは「幸福」とか「不幸」について、あまり真剣に考えていなくて、自分に都合がよくなると「幸福」だと思い、思うようにいかないと「不幸」だと嘆いた。
 そんな「平凡」な日々の中では「幸福」も「不幸」もいっしょくたに流れていく。
 でも「平凡」な毎日も実は「特別」なことの集まりだけど、そのことに多くの人は気づいていない。それに気づくためには普段の生活から飛び出し、別の世界に飛び込むことが必要だ。外から眺めると、いかに毎日が波瀾万丈で「特別」なものか、よくわかる。
 でも「特別」であり続けることは難しい。ヒトは「特別」にはすぐに慣れてしまうからだ。
 それと同じで「幸福」もすぐ当たり前と思い、以前の状態を忘れ、いつの間にか「普通」になっていく。そう考えると「幸福」とは、「平凡」という言葉の別の表現なのかもしれない。
 でも「不幸」は違う。「不幸」だと人は繰り返し嘆き続ける。そうすることで「不幸」はいつまでも「特別」であり続ける。それは湿った「かさぶた」のようなものだ。いじり回せば「かさぶた」はいつまでもじくじくと肌を苛み続けるのだから。
「幸福」は人を「平凡」にし、「不幸」は「特別」にし続ける。つまりぼくが自分を「特別」だと思っているということは、ぼくは「不幸」だと言い続けているのと同じことだ。
 でもそれは「特別」なことで、「特別」であり続けることは、滅多にない「幸運」だ。そう気づいた瞬間、「特別」と「平凡」、「幸福」と「不幸」が無限大「∞」の軌跡の交点になる。
 これが「幸福と不幸はコインの裏表にすぎない」という箴言の実相なんだろう。

「カオルちゃん、進路希望調査書は持った?」
 シッターの山咲さんに聞かれてぼくは、「うん、まあね」なんて生返事をして、眺めていたパソコンをシャットダウンした。
 相変わらずパパからはしょうもない朝食の献立メールが送られてきていたけど、ぼくはもう、イライラしなくなっていた。
 1年前までのメールの書き出し、「ディア、カオル」というカタカナ英語が改められて英語で「Dear, Kaoru」と書かれるようになったことも、少しは関係しているのかもしれない。
 だからと言って最後の署名までローマ字で書くようになったのには、正直言って違和感があるけど。
 以前のメールはこんな感じだった。

 ✉ディア、カオル。今日の朝食はカリフォルニア米のリゾットとアボカドサラダだった。伸

 米国の名門・マサチューセッツ工科大学の教授なんだから、せめてディアくらい英語で書いてほしいと思っていた。でもそれはぼくの英語力を考慮してのことで、しかもそれが適切なのだから、余計にムカついたわけだ。
 でも最近メールはこんな風になった。

 ✉Dear, Kaoru. 今日の朝食はポーチト・エッグとマンゴージュースだった。Shin

 こうした変化はたぶん、パパの同僚でノーベル医学賞の有力候補マサチューセッツ医科大学のオアフ教授とぼくが、ひょんなことから知り合いになったことと関係しているのかもしれない。でも考えてみたら医学界を大騒動に巻き込んだあの事件の影響が、パパからのメールの書き出しと署名が英語になっただけというのも、何だかなあ、と思ってしまう。
 それでも一日も欠かさず、毎日飽きもせず献立をメールしてくるという律儀さにはちょっと感動させられる。
 朝食の献立を書くだけなんて、単なる手抜きなのでは、なんて思ったこともあったけど、ある事件でパパとたくさんメールのやり取りをすることがあってから、そうじゃないんだと思えるようになった。
 パパは、必要な時には、ちゃんとしたメールをくれた。ふだんどうでもいい朝食の献立をメールしてくるのは、話すことがない時にムリにメールする気持ちが微塵もなかっただけだ。
 というわけでシャットダウンした黒いモニタ画面を眺めたぼくは立ち上がる。
 鞄を手にズックをつっかけ、家を飛び出す。
 その返事はウソじゃない。でも正確な答えでもない。
 鞄の中には1週間前に配られた進路希望調査書がある。でも何も書いてない白紙のプリントだ。
 言うなれば希望調査書のプロトタイプ、羽化する前のサナギ状態だ。青虫やサナギを蝶々と言わないように、白紙の希望調査書は、進路希望調査書とは呼べない。
 そんな風に考えるのは大好きな生き物番組「ヤバいぜ、ダーウィン」、通称「ヤバダー」の影響が大きい。ぼくは歴史オタの上に生物オタで、「ヤバダー」クラスターを自任している。
 生物の世界は広大で種類は膨大、繰り広げられる物語は遠大で、結末は壮大だ。
 だからそのジャンルを知るため莫大な労力を払うのは当然だけど、それだけ努力していれば当然、桜宮中3年B組という狭い世界ではトップに君臨していてもおかしくないはずだ。
 なのに世の中は思うようにはいかなくて、そんな狭い世界になんと、ぼくに比肩するライバルがいたりするのは人生の皮肉だろう。
 ……話が脱線した。要するにぼくは進路希望調査書をサナギのまま教室に持っていこうとしていた。いや、この喩えはちょっと違うな。サナギはすぐ蝶々になるけど、ぼくの進路希望書はそこまでも育っていないから、サナギよりもタマゴに近いんだろう。
 そんなどうでもいいことを5階から1階に下りるエレベーターの中で考えていた。
 マンションのエントランスから出ると、春の陽射しが身体を包み、肩にさくらの花びらがひとひら降りかかってきた。あれから半年経ったんだなあ、としみじみと思う。
 バス停はマンションの入口の傍にある。玄関からは徒歩1分、走れば30秒。
 ぼくの家の前の停留所は屋根付きだから、雨が降っても傘はいらない。そして「桜宮中学正門前」という停留所も屋根付きで、走って1分で校舎に駆け込める。
 だからぼくは大嫌いな傘を持たずに登校できる、というわけだ。
 向こうから時間通りに青いバスがやってきて、目の前で停まった。ドアが開く。
 乗り込むと空席がちらほらあるくらい、いつもの混み具合だ。一番後ろの席の、長い髪の女の子が、横に置いた鞄をどけて席を空けてくれ、ぼくは当然のようにそこに座る。
「ねえ、カオル、進路希望調査書は持ってきたわよね」
 まあね、とぼくはまたまた生返事をする。
 クラス委員の進藤美智子は幼なじみで、いつもぼくの面倒を見ようと鵜の目鷹の目でいる。
 美智子の善意は山咲さんと似た感じがして、少々煙ったい。
「ふうん、じゃあちょっと見せて」
「なんでぼくの進路先をお前に教えなければならないんだよ」
「別にカオルの進路先に興味があるわけではないけど、提出してないのはクラスではカオルだけなの。クラス委員として田中先生の手間を省いてあげるため、事前チェックしたいだけ」
 ぼくはクシャクシャに丸めた紙を鞄から取り出し手渡した。
 美智子は白紙の紙片を見て、ため息をついた。
「こんなことだろうと思ったわ。ねえ、カオルは高校進学する気はないの?」
「そんなことない」とぼくはふるふる、首を横に振る。
「じゃあなぜ、進路先を書かないのよ」
「なぜって……」とぼくは言葉を切って美智子を見た。
 美智子は、視線を外す。
「そりゃ、あんな目に遭ったら進学に夢が持てなくなる気持ちはわかるけど……」
 わかっているなら問い詰めるなよ、とは言わなかった。美智子は百パーセント善意で言ってくれているからだ。
 カーブでバスが揺れ、美智子が寄りかかってきた。長い髪が腕に触れ、いい匂いが漂う。
 美智子はあわてて身体を真っ直ぐに戻すと、乱れた髪をかき上げた。
「次は桜宮中学正門前、お降りの方はブザーでお知らせください」
 ぼくはブザーを押す。ピンポン、と音がして、バスは徐々に速度を落とした。

 正門では大勢の中学生が入り交じり、校舎に向かって歩く。てんでバラバラのはずなのに、いつの間にか行進みたいになってしまうのは中学生の性質なんだろうか。
「よお、カオルちゃん、今朝も仲良く夫婦一緒に登校かよ。末永くお幸せにな」
 いきなり背中を叩かれた。祝福するような言葉とは裏腹に、言い方に棘がある。
 3年B組のガキ大将、平沼雄介。いつもヘラヘラしているので、ぼくはヘラ沼と呼んでいる。去年まではぼくをいじめていたけど、あの事件以来、あまりいじめられなくなった。
 でもぼくと美智子が一緒に登校するのを見かけると、からかうのは相変わらずだ。
 美智子も慣れた口調で、ヘラ沼に言い返す。
「平沼君こそ毎日同じことを言っていて、よく飽きないわね。前にも言ったけどあたしたちは仲良しじゃない。カオルの面倒を見てほしいってカオルのパパに頼まれただけよ」
「それはわかっているけどよ、それって世話女房みたいなもんだろ」
 美智子は大きく息を吸い込んだ。
「あのね、平沼君、あたしにも好みがあるの。もっとかっこよくて、しゃんとしていて、頼りがいのある人がいいの」
 うん、知ってる。
 美智子はぼくの先輩の佐々木さんに憧れているんだ。
 佐々木さんは東城大学医学部に飛び級入学したスーパー高校生医学生だから、帰国子女の美智子がぽうっとなるのもよくわかる。しかも佐々木さんはこの春、めでたく桜宮学園高等部を卒業して、正式に東城大学医学部の4年生に編入していた。
「あんまりしつこいと、修学旅行の自由行動G班で平沼君の希望を却下するわよ。決定権は班長のあたしにあるんだからね」
「わあーったよ」と平沼はしぶしぶ言う。美智子はぼくに言った。
「カオルも東京での自由行動でどこに行きたいか、考えておいてね。行動計画表の提出期限は明後日なんだから」
 へいへい、と生返事をした。だいたい中3にもなって修学旅行が東京だなんてダサすぎる。
 お隣の私立の桜宮学園は台湾なのにさあ。
 それに気の利いたヤツなら、週末にひとりで新幹線で原宿とかに行っているものだ。
 そんな風に思いながらも、ぼくは秘かに東京での訪問先を考えていた。
 でも今、それを言うつもりはなかった。
 美智子は女の子の一団に駆け寄り仲間に溶け込んだ。おいてけぼりをくらったぼくが周囲を見回すと、本を片手にぶつぶつ呟きながら猫背で歩いている眼鏡少年が通り過ぎた。
 ぼくは、ソイツの背中をどん、と叩く。
「よお、三田村博士。今朝も論文の勉強かい?」
 ずり落ちそうになる黒縁眼鏡を手で押さえた三田村は、お祖父さんの代からの開業医一家のひとり息子で、当然、医学部を目指している。
 ガリ勉なのは、医学部受験に有利な進学校を志望しているからだ。
 一瞬ぼくを見た三田村は、手にした本に視線を落とす。
「触らないでください。曾根崎君に関わるとロクなことがないんですから」
 ぼくは三田村の肩を抱いて、言う。
「ツレないこと言うなよ。来週の修学旅行では、同じ自由行動G班なんだぜ」
「修学旅行なんて時間の無駄です。今の私には、曾根崎君に関わるような無駄な時間は一秒たりともないんです。まして曾根崎君や平沼君と同じ班だなんて……」
「でもぼくたち以外と一緒だったら、もっと大変なんじゃないかなあ」
 即座に否定しないところをみると、どうやら三田村もそう考えているようだ。
 それにしても自由行動G班はなんでこの4人になってしまったんだろう。
 ガリ勉の三田村と暴れん坊のヘラ沼に共通点はない。風来坊体質のぼくを加えた3人の接点となると、もはやM88星雲のハイパーマン・バッカス一族と、M78星雲のシトロン星人が協同作業するようなものだ。でも待てよ、その2つの種族が出会ってハイパーマン・バッカス・サーガが始まったんだから、接点がないことの喩えには不適切かな。
 とにかくそんな、てんでんばらばらなボーイズ・トリオを束ねるクラス委員・進藤美智子隊長の苦労がしのばれる。でも同じ班になったのはやむを得ない腐れ縁かもしれない。
 ぼくたち4人組は「チーム曾根崎」ともいう。
「進藤さんにリーダーシップを発揮していただければ、まとまりのない私たちもなんとか自由行動をやり遂げられるんじゃないかと思います」と三田村が言う。
「だよね。三田村君も憧れの美智子と話せるしな」
「な、な、何を言い出すんですか、いきなり」
 動揺する三田村を見ながら、女子たちと前方を歩く美智子の後ろ姿を見る。
 あれで美智子は男子に結構人気がある。三田村が美智子の隠れファンだということを秘かに見抜いていたぼくは、にやにやして言う。
「まあ、そんなことはどうでもいいや。とにかく今日の放課後は残れよな。修学旅行での行動計画を立てるからな。参加しないと三田村の希望はナッシングだぞ」
 別に希望なんてないんですけど、とぶつぶつ言いながらも、三田村は黒縁の眼鏡をずりあげてうなずいた。

(続きは「小説 野性時代」2020年5月号でお楽しみいただけます)


小説 野性時代 第198号 2020年5月号

小説 野性時代 第198号 2020年5月号


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