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試し読み

【新連載試し読み】世間を震撼させた無差別大量殺人事件。なぜ犯人は、その凶行に及んだのか? 貫井徳郎「悪の芽」

11 月 12 日(火)発売の「小説 野性時代」2019年12月号では、貫井徳郎さんの新連載「悪の芽」がスタート。
その冒頭を公開します!


イラスト/mieze


世間を震撼させた無差別大量殺人事件。なぜ犯人は、その凶行に及んだのか?
現代社会の問題を鋭くえぐる、長編ミステリー!

   プロローグ

 新橋でゆりかもめに乗り換えたときから、車中は人でごった返していた。おそらく大半の人は、東京グランドアリーナ駅で降りるのだろう。日本最大のコンベンションセンターである東京グランドアリーナでは、今日からアニメコンベンション、通称アニコンが開かれる。昨年の実績は、三日間で延べ十万人近い人が集まったそうだ。ここ数年の傾向からして、今年はそれ以上になると予想されている。ラッシュアワー並みに車中で体を寄せ合っている人たちの大半は、アニメファンであろうと思われる風貌だった。流行をまるで意識していない服装と髪型。自分もそうであることを、亀谷壮弥は自覚している。
 息をするのも苦しいようなすし詰め状態から、十駅目にしてようやく解放された。やはり、ほとんどの人が東京グランドアリーナ駅で下車した。人の流れがどっと階段に押し寄せる。壮弥もその流れに乗りながら、密かに深呼吸をして新鮮な空気を吸い込んだ。
 アニコンにはたくさんのブースが出店する。どのブースも、現在放送中か放送は終了しても根強い人気があるアニメ番組のものだ。人気声優をゲストに迎えてトークイベントをやるブースも多く、それが集客にひと役買っている。さらに、ここでしか買えないグッズの販売も、アニコンの人気に拍車をかけていた。
 参加者は、アニコンオリジナルのグッズを入手するためにまとまった金を持ってきているはずだ。壮弥もアルバイトで地道に金を貯め、今日に備えた。ここで買えなければ、高額に跳ね上がったオークションサイトでしか手に入らない。ラッシュの電車に揉まれようと、入場するための列に何時間並ぼうと、アニコンで買った方が結局は安上がりなのだった。
 他に、人気フィギュアの競りも行われる。高い物になると何十万もの値がつくので、壮弥はむろん手が出せないが、競りの結果はニュースで取り上げられるほど世間の注目を集めていた。確か去年は、世界的にも有名なフィギュア作家の作品が三百万円で落札されて話題になった。世の中、金があるところにはあるものである。壮弥の総予算は五万円だが、それでも年に一度の散財だった。
 アニコンの入場は時間制である。前売り券を買う段階で、入場する時間を指定する。早く行った方がたくさんグッズを買える、というわけではない。各ブースは入場時間ごとに小出しにグッズを売り出すし、午前中になかったグッズが午後に並ぶこともある。滞在可能時間は三時間と限定されているので、グッズが手に入るかどうかは運次第だ。もちろん、会場を出る際に延長料金を払えば滞在時間を延ばすことはできるため、朝から晩まで会場内をうろつく強者もいる。もっとも、一日滞在すると一万円以上かかってしまうから、その分をグッズ購入に充てる人の方が多いのだった。
 駅から歩いて三分ほどで、ユニークな形状の東京グランドアリーナが見えてきた。白川郷の合掌造りを模したと言われている外観は、屋根が急角度になっている。正面から見ると、尖っていると表現した方がいいくらい、屋根の一番高い部分が突出していた。もちろん斬新なデザインを狙ったのであろうが、それだけでなくきちんと意味もあるそうだ。尖った屋根の側面はソーラーパネルになっていて、電力を自前で賄った上に売電までしているらしい。だから横から見ると銀の建物は光り輝いていて、完成からすでにずいぶん時間が経っているにもかかわらず、未だに未来的な雰囲気を保っているのだった。
 アニコン会場への入り口は、ひとつに限定されている。すでにそこには、長蛇の列ができていた。列が派手に見えるのは、コスプレイヤーが交じっているからだ。会場に入場はせず、コスプレイヤーを撮影するのが目的とおぼしき、カメラを持った人も少なからずいる。列に並ばず、カメラを構えた男性に囲まれてポージングをしているコスプレイヤーもいた。
 入場時間別に並んでいるので、列は複数ある。たとえ入場時間が決まっていても、その枠の中で誰よりも早く中に入り、目指すグッズを買おうとする人たちは、何時間も前から並び始めるのだ。他にも、並んで待つこと自体が楽しいという面もある。並んでいるうちに前後の人たちと親しくなり、グッズの交換などもできるからだ。
 今回、壮弥はひとりでやってきた。去年同行した友人が、今年はニュージーランドに留学してしまったためだ。ふたりだと手分けしてグッズが買えて好都合だったのだが、今年はやむを得ない。だからよけいに、列に並んでいる間の交流が大事なのだった。
 現在、時刻は九時過ぎである。壮弥が買った前売り券は、十一時入場のものだった。十一時枠の列は、ざっと見て五十人以上が並んでいた。十時枠は最後尾が見えないほどだから、まだましだ。係員の誘導に従って、十一時枠の列に並んだ。
 少し経つと、前の人が「ひとりですか」と話しかけてきた。友達が海外に留学してしまって、と返事をして、そのままやり取りが続く。基本的にアニメファンはあまり社交的ではないと思うが、アニコンの日だけは別なのだ。こうして会話しておかないと、壮弥のようなひとり客はトイレにも行けなくなってしまう。もっとも、話しかけてきた人はふたり組だったので、そもそも社交的なようだが。
 すぐに後ろにも人が並んだ。そちらの人とも言葉を交わしてみたが、さほど反応がよくなかった。そういう人もいるので、無理をせずに放っておく。前の人たちと交流できただけでもよかった。
 三十分も経つと、トイレに行きたくなった。一応、水分は控えておいたのだが、一度も行かずにいるのは不可能だ。入場した後はトイレに行く時間も惜しいので、今のうちに済ませておくことにする。前の人たちに断って、列を離れた。
 屋外のトイレは少し離れた場所にあるのが、この施設の難点だった。設計段階では、入場待ちの列がこんなに長くなるとは想定していなかったのかもしれない。何しろ、会場の収容力は日本一なのだ。それでも行列になってしまうのだから、アニコンの集客力は設計者の予想を遥かに上回っているのだろう。
 ここで並ぶのは初めてではないので、トイレの場所はわかっている。二分ほど歩いて辿り着き、用を済ませて列に戻ろうとした。駅の方からは、人が続々とこちらに向かっている。十一時枠の列も、今頃はかなり長くなっているだろうと想像した。
 列の先頭が見えてきた辺りでのことだった。向かって左手に、カートを押す男の姿があった。大量にグッズを買い込むために、カートを持参する人もいる。ただ会場内にカートは持ち込めないので、おそらくは車をどこかに停め、帰る際にそこからカートを出してくるのだろう。つまり、まだ午前中の段階でカートを押している人は珍しいのだ。カートの上には段ボール箱が載っているから、グッズ販売の人が補充のために追加商品を運んできたのかと推察した。
 それでもカートを押す男が気になったのは、その出で立ちがスタッフには見えなかったからだ。基本、スタッフはどこのブースでも、そのアニメのタイトルやキャラクターが入ったTシャツを着ている。それに、入場の際に見せるIDカードを首から提げているものだ。しかしカートを押す男は、アニメとは特に関係のない普通の服を着ているし、IDカードも提げていない。その違和感が、壮弥の注意を惹いた。
 視界の端でぼんやりとカートの男を捉えながら、歩き続けていた。壮弥が足を止めたのは、信じがたい光景を見たからだ。カートの男は段ボール箱の中から瓶のような物を取り出し、それに火を点けて入場待ちの列に投げ込んだ。瓶は割れ、ばっと炎が広がった。
 何が起きたのか、一瞬わからなかった。あまりにも非現実的なことが眼前で起きると、人は理解を拒絶するのだ。どう見ても、カートの男が行列に火炎瓶を投げ込んだのに、何かの間違いかと考えてしまう。たちまち悲鳴が上がり、炎から人々がいっせいに逃げているにもかかわらず、どうにも現実感が伴わなかった。
 カートの男が持っている火炎瓶は、一本だけではなかった。段ボール箱から二本目三本目を取り出して火を点け、逃げ惑う人々に投げつける。瓶をまともにぶつけられた人は、足許から炎に包まれ火柱になった。その光景を見て、ただごとではないとようやく肌で感じることができた。壮弥はとっさにスマートフォンを取り出して、眼前の惨事を動画で撮影し始めた。
 通常の感覚では、逃げ出すべきところだった。しかしそのときの壮弥の頭には、逃走という選択肢はかけらもなかった。これは大変な事件である、だから記録しなければならない。そのようにしか思考しなかった。それが、朝から晩までスマートフォンを触って生きている者の、当然の判断であった。
 もちろん、カートの男と距離があったからこそできることだった。もっと男が近くにいたら、いくらなんでも逃げ出していた。壮弥はトイレに行っていたから、難を逃れられたのである。壮弥が並んでいた辺りの列はとっくに崩れ、言葉を交わしたふたり組もどこにいるかわからなかった。
 列ができていた場所は、幅こそあるが一本の通路である。二方向にしか逃げることができず、男はその両方に火炎瓶を投げ込んでいた。逃げる背中に火炎瓶をぶつけられ、人が燃え上がる。ぎゃーっと悲鳴を発し、燃えた人が地面をのたうち回った。その恐ろしさに、スマートフォンを持つ手が震えた。それでも、壮弥は撮影を続けた。

▶このつづきは「小説 野性時代」2019年12月号でお楽しみください!


「小説 野性時代」2019年12月号


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