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試し読み

【シリーズ完結!】警察組織を嘲笑うかのように、次の事件が起こり――? 『怪盗探偵山猫 深紅の虎』刊行記念『怪盗探偵山猫』試し読み#6

さらば、山猫――!?
最強の敵が現代の義賊に襲いかかる。累計90万部の話題シリーズ、堂々完結!

ドラマ化もされ、話題になった「怪盗探偵山猫」シリーズ完結巻、
『怪盗探偵山猫 深紅の虎』がいよいよ刊行。
シリーズ完結を記念し、カドブンでは、シリーズ1冊目の『怪盗探偵山猫』
試し読みを公開します。
希代の名盗賊の活躍をぜひお楽しみください。

>>前話を読む

    8

 さくらは、三軒茶屋の駅近くにあるビルの前に立っていた。
 四日前に、山猫が窃盗を働いた場所だ。
 すでに現場検証は終わっていて、今さら見るものも無いのだが、関本がどうしてもと譲らなかった。
 関本と一緒に管理人室に行き、簡単に事情を説明して鍵を借りた。
 事件をきっかけに、被害にあった会社が行っていた詐欺行為が明らかになり、現在も関係者の取り調べが行われている。
 エレベーターで事務所の入っている五階に向かった。
 通路を真っ直ぐ進んだ突き当たりが、問題の場所だった。
 ドアを開けると、ワンフロア三百坪ほどの広いスペースが広がっていた。警察が証拠品の押収を行ったので、デスクが並んでいるだけで、ガランとしている。
「金庫は?」
「あそこです」
 さくらは、部屋の一番奥の、天井までのパーティションで区切られた一角を指差した。
 そこが、社長室になっていて、金庫が保管してあった。
 関本は、足早に事務所の奥に向かい、パーティションに取り付けられたドアを勢いよく開けた。
 一枚板の大きなデスクと、黒い革張りのゼネラルチェア。
 アンティーク調の書棚に、観葉植物に、空気清浄機、応接セットとフルコースで揃えられ、ここだけ別のビルではないかと見間違うほどのごうさだった。
 関本は、デスクの後ろにある金庫に歩み寄ると、丹念に観察している。
「何か見つかりましたか?」
 さくらは皮肉を込めて言った。
 すでに、鑑識が徹底的に調査しているのだから、何も見つかるはずがないのだ。
「この金庫をどう思う?」
 関本は、ゆっくり身体を起こし、濁った目でさくらを見据える。
 金庫は、腰の高さほどの防犯金庫だった。シリンダー式の鍵に加えて、暗証番号を入力するテンキーが取り付けられている。
「頑丈そうな金庫ですね」
「素人が!」
 関本は、ふんっと鼻を鳴らす。
「あたしは、これでも刑事です」
 理不尽に憤りをぶつけられたような気になり、さくらは食ってかかる。
「だったら、おかしいことに気づかないか?」
「おかしいとは?」
「前の現場にあった金庫は、これより旧式のものだ」
「あっ!」
 さくらは、関本の言わんとしていることを察知し、思わず声を上げた。
 今井の事務所にあった金庫より、ここにある金庫の方が、はるかに開けるのが困難だ。
 ここにある金庫は、傷一つなく解錠し、中身を盗み出しているのに対して、今井の事務所の金庫は、扉を強引にこじ開けてあった。
 ──それは、なぜか?
 さくらは、すぐにその答えに思い至った。
「関本警部補は、昨晩の事件は、山猫ではない。そう言いたいんですか?」
「解釈の問題だ」
 関本の突き放すような物言いに、さくらは強い反感を覚えた。
「昨晩の事件のとき、山猫は、偶発的に被害者に犯行現場を目撃され、やむなく殺害。その後、慌てて犯行に及んだため、金庫を解錠するのではなく、こじ開けた……」
 さくらは、思いつくままに推理を羅列した。
 関本は、そんなさくらに、気持ち悪いものでも見るようなけいべつまなしを向ける。
「窃盗犯が、この手の金庫を開けるのに、どれくらいの時間がかかるか知ってるか?」
 関本は、あきれたように言うと、ポケットから煙草を取りだし、火をけた。
 さくらは、煙から逃れるように身体を反らす。
「三分もあれば……」
 質問に答えながら、さくらは自分の推理の欠陥に気づいた。
 経験豊富な窃盗犯からすれば、バールを使って金庫をこじ開けるより、錠前破りをした方が早いのだ。
「窃盗犯が、してはならない三箇条ってのを知ってるか?」
 関本は、煙を吐き出しながらたずねる。
「暴行、居直り、放火ですよね」
 それが、窃盗犯が決して犯してはならない三つの約束──。
 誰が決めたわけでもない。ただ、彼らはそれをかたくななほどに守っている。
「そうだ。窃盗犯は、無秩序なように見えて、特定のルールにのつとって行動している。無計画に行動したり、感情に任せて暴走したりしない。つまりは、プロなんだよ」
「窃盗犯を、擁護しているように聞こえます」
 さくらは、思ったままを口にした。
 関本は、まゆり上げ、驚いたようにさくらの顔を見たが、すぐに目を伏せた。
「擁護じゃない。俺は、事実を話しているんだ」
「それが、何の関係があるんです?」
「お前は、窃盗犯に対して、プロとして敬意を払う必要がある。そこら辺にいる小悪党と一緒にしてると、痛い目を見ることになるぞ」
 やはり、さくらの目には関本が窃盗犯を擁護しているように映った。
 もののたとえであったとしても、現職の警察官が、窃盗犯に敬意を払えなどと口にするものではない。
「山猫が、何で貼り紙を残していくのか分かるか?」
 関本は、革張りのゼネラルチェアに腰掛けながら訊ねる。
けんよく。あるいは、捜査かくらんのための……」
「違う!」
 関本の声が、さくらの言葉を遮った。
 話の途中で全否定されたことで、さくらの中の怒りが増幅していく。
「では、何です?」
 つっかかるようにして、関本に訊ねる。
「正義感だよ」
「正義感?」
 あまりに場違いな言葉に、さくらは口をあんぐりと開けた。
「山猫は、どの窃盗犯よりもルールに厳しい。奴は、金という欲望に自分を見失うことはない。奴を縛っているのは、奴の中にある正義だ」
 関本の顔は、窃盗犯を憎む捜査官の顔ではなかった。
 まるで、自分の成し遂げたことを、声高らかに宣言しているように見えた──。

    9

 サキとの待ち合わせ前に、勝村は新宿にある出版社に立ち寄り、資料室に足を運んだ。
 過去の記事やネットを使って、山猫に関する情報収集にあたるのが目的だ。
 改めて調べてみると、山猫の犯罪が、いかに特異なものかが浮き彫りになってくる。
 さっきの村井の話の通り、山猫の犯行現場では、必ず金庫も出入り口も施錠され、侵入前の状態に戻されている。
 さらには、指紋や毛髪といったこんせきもない。唯一の手がかりは貼り紙だけ。
 この貼り紙がなければ、なぜ現金が消えたのか、分からないままで終わってしまいそうだ。
「ものになりそうか?」
 夕方近くになって、様子を見にきた水上が、声をかけてきた。
「そうですね……山猫が、某国のスパイだって説はどうです?」
「それ、面白いね。どういうこと?」
 冗談半分で言った言葉に、意外にも水上が食いついてきた。
 こうなると、説明しないわけにはいかない。
 勝村は、さっき村井から聞いたばかりの推論を、そのまま水上に説明した。
「なるほど……可能性はあるね」
 水上が、感心したようにうなずく。
「ありますかね?」
「あるよ。たとえば、現在じゃなくて、元スパイだったってこともあるだろ」
「はぁ……」
 現実離れしてはいるが、可能性としては否定できない。
 CIAに所属していた、すごうでスパイが、組織を抜けて窃盗犯になる──考えをめぐらせてみたが、まるでB級アクション映画のような筋立てになってしまう。
「もし、山猫がスパイだったとして、その目的はなんだろうね?」
 水上が、真剣な眼差しで訊ねてきた。
「世界征服」
 勝村は、自分で答えながら笑ってしまった。
「面白いけど、現実味が無いね」
 水上は、ため息まじりに腕組みをした。
「そうなんですよね。調べれば調べるほど、現実味が無いんです。山猫って……」
「警察がてこずるような奴だからね。そう焦ることはないよ」
 水上は、落胆する勝村の肩をたたいてから、資料室を出ていった。
 時計に目を向けると、ちょうどいい頃合いだった。
 勝村は、情報収集をいつたん断念して、サキに会うためにしぶに向かうことにした。

  * * *

 出版社を出た勝村は、JRの新宿駅から、山手線で渋谷に向かう。
 ハチ公口から出て、もの凄い数の人でごった返す駅前広場を抜け、スクランブル交差点を渡り、センター街のアーケードをくぐる。
 同じ髪型、化粧をした十代の若者たちが、ガードレールに、あるいは路上に座り込み、笑い声を上げていた。
 勝村には、それが悲痛な叫びに聞こえた。
 センター街を抜け、幾つか路地を曲がった先に、指定された店はあった。
 四階建ての雑居ビルの三階──青いプレートに〈クラブ・ヴィーナス〉という青い蛍光文字が躍っている。
 約束より少し早いが、店が開いているなら、時間をつぶせるだろう。
 勝村は、エレベーターで三階に上がる。扉が開くとすぐのところに、黒服の男が立っていた。
 勝村が口を開く前に、「いらっしゃいませ」と店内に案内される。
 青を基調とした間接照明の中、かすかにピアノの旋律が聞こえた。座席は、五十席ほどだが、かなり広めになっている。
 落ち着いた雰囲気で、キャバクラというよりは、もう少し高い年齢をターゲットにしたクラブといったところだ。
 銀座ならしっくりくるのだろうが、渋谷という土地柄には合わない気がする。
 時間が早いこともあって、客はガラの悪い二人組だけだった。
 一人は、三十代後半くらいで、光沢のあるグレイのパンツを穿き、髪をオールバックにしている。ワイシャツのそでをたくし上げていて、あらわになった腕に巻き付くように、りゆう刺青いれずみが見えた。
 もう一人は、二十代半ばくらいで、アロハにジーンズというラフなで立ちで、落ち着きなく貧乏揺すりをしている。
 一番奥の席に陣取った二人は、ピンクのドレスを着たホステスを相手に、何やら深刻な様子で話をしていた。
 一瞬、目が合った──。
 勝村は、慌てて視線を落とした。
「ご指名はございますか?」
 黒服が、おしぼりを差し出しながらたずねる。
「サキさんを……勝村が、会いに来たと伝えてください」
 勝村が言うと、黒服は「お待ちください」と頭を下げ、店の奥に陣取っている二人組の席に向かった。
 ──もしかして。
 勝村の予想は的中だった。
 黒服は、ピンクのドレスの女性に、耳打ちをする。頷いて答えた女性は、二人組に会釈をしてから立ち上がった。
 ──彼女がサキだ。
 勝村は、おしぼりで額に浮かんだ汗をぬぐった。
「お待たせしました」
 さっきの、ピンクのドレスの女性が、勝村の横に座った。
 小柄で、手足は小枝のように細いのに、胸だけはかなりのヴォリュームがある。
 巻き髪でそれっぽく見せてはいるが、その中に収まる顔は、中学生でも充分通用するような童顔で、全てにおいてアンバランスな感じがしてしまう。
「サキさんですか?」
 彼女は小さく頷いた。甘酸っぱい香りがこうをくすぐる。
「何にしますか?」
 サキは、勝村の視線から逃れるように、長いまつげを伏せた。
「あ、まだ仕事中なのでウーロン茶とかで」
「氷は?」
「お願いします」
 勝村が答えると、黒服に幾つかのジェスチャーをする。
 それで全てが伝わったらしく、黒服がグラスと氷、ウーロン茶をテーブルに運んできた。
「突然、呼び出したりして、ごめんなさい」
 サキは、悲壮感の漂う声でいいながら、グラスに氷を落とし、ウーロン茶を注ぎ、勝村の前のコースターに置いた。
「今井さんとは、どういう関係だったんです?」
 勝村は、えてその質問をぶつけてみた。
 サキは、ふと動きを止め、唇を軽くんで視線を漂わせる。
「私にとって、今井さんは……大切な友人でした……」
 絞り出すように言ったサキの声は震え、つぶらなひとみには、じわっと涙の膜が張る。
 言葉に出さなくても、それだけで分かった。
 おそらくサキは、今井と恋人関係にあったのだろう。
 今井は、かつては結婚していた。だが、出版社を立ち上げることになったとき、離婚したと聞かされた。
 独身者の今井が、誰と付き合おうと自由なのだが、勝村は、なぜかサキとは不釣り合いだと感じてしまった。
「それで、渡したいモノがあるということでしたよね」
 勝村は、自らの考えを振り払うように話を切り出した。
 サキは、返事をする代わりに、ひざの上に置いたポーチから折り畳んだ白いハンカチを取り出し、テーブルの上に置いた。
「見てもいいですか?」
「ええ」
 勝村は、ハンカチを手に取った。
 微かに重さがある。何かを包んでいるようだ。
 ──今井さんが、何を渡そうとしたのか?
 頭を働かせてみたが、勝村には何も思いつかなかった。
 てのひらに載せ、ハンカチを広げると、中からシルバーのネックレスが出てきた。
 女性物だろう。細いチェーンに、花びらをかたどった装飾が取り付けられている。
「本当に、これですか?」
 勝村は、思わずサキの目を見返した。
 男が、女性物のネックレスを男に渡す。しかも、女性を通じて──ひどく不自然に思えた。
「はい。間違いありません」
 サキは、はっきりとした口調で、勝村の疑問を打ち消した。
「どうしてこれを?」
「私にも分かりません」
 サキは、静かに首を振った。
「分からない?」
「はい。一週間ほど前、もし自分に何かあったら、このネックレスを勝村さんに渡すようにって……」
「何かあったらって……」
 勝村は、急激にのどが干上がっていくのを感じ、グラスに入ったウーロン茶を飲んだ。
 もし、サキの言っていることが真実なら、今井は自分が死ぬことを予見していたことになる。
 だとすると、山猫という窃盗犯が、偶発的に今井に犯行を目撃され、殺害したという警察の見解とは、大きく異なってくる。
 ──そんなはずはない。
 勝村は、頭を振って考えを否定した。
「それは、本当ですか?」
「本当です。そのとき、勝村さんの電話番号も教えてもらったんです……それから、突然あんなことがあって……。私、どうしたらいか分からなくて……」
 サキは、耐えきれなくなったのか、寒さに震えるように自分の両肩を抱いた。その目からは、ボロボロと涙が流れ出してくる。
「あ、あの……」
 慰めの言葉をかけようとした勝村だったが、サキは、それから逃れるように立ち上がると、「ちょっと失礼します」と化粧室に姿を消した。
 勝村は、ため息をつき、改めて掌のネックレスに目を向けた。
 一見すると、特に変わったところはない。
 ──なぜ、今井さんはこれを託したのか?
 いくら考えても、勝村はその答えの糸口すら見つけられなかった。
 しばらくして、サキが戻って来た。涙は拭い、化粧も直してあったが、その目は真っ赤に充血していた。
「今井さんは、他に何か言ってませんでした?」
 今の彼女に、これ以上質問するのは酷だとは思いながらも、勝村は訊ねた。
 サキは、ブレスレットを指先でもてあそぶようにしながら、何やら考えていたが、やがて顔を上げた。
「勝村さんに渡せば分かると……そのネックレスには、とても重要な何かが隠されているそうです」
 ──重要な何か。
 そう言われて、勝村の頭に真っ先に浮かんだのは、「天空の城ラピュタ」というアニメ映画だった。
 さすがに、このネックレスでは、空に浮かぶ島の在りは分からないだろう。
 その後、サキとの会話も続かず、勝村はすぐに店を出ることにした。
「ごめんなさい」
 帰り際、一階まで見送りにきたサキが、腰を折って、深々と頭を下げた。

〈第7回へつづく〉
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