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試し読み

p.50まで読める! 超弩級ミステリ巨編 長浦京『アンダードッグス』試し読み#3

2023年9月22日(金)、長浦京さんによるミステリ巨編『アンダードッグス』(角川文庫)が刊行となります。直木賞候補作となるなど大きな話題を集めた本作の文庫化を記念し、冒頭部約50ページ分が読める豪華試し読みを掲載! 全6回の連載形式で毎日公開します。超スケールで綴られる極上のエンタテインメントの序章を、存分にお楽しみください。



長浦京『アンダードッグス』試し読み#3

 しばらくして古葉の口から出てきたのは、「無理ですよ」という平凡な一言だった。
「無理だという根拠を論理的に説明してくれ。君の中のおくびよう心と常識がそういわせているだけだろ? それにひとりじゃない。リーダーはあくまで君だが、私が練ってきた計画に沿って、ふさわしい四人を他に揃えておく。八十五万アメリカドルの活動資金も用意してある。もちろん必要に応じて追加も供給する」
「準備期間が短すぎます」
「長い方が有利になるとは限らないだろう」
 動揺した頭で考えてみたが、この点は確かにマッシモのほうが正しい。
 何のつながりもない人間たちがチームを組むなら、仕事は素早く終わらせてしまったほうがいい。長く過ごす間にきずなが生まれたりはしない。単に衝突やあつれきを生む機会が増え、目的遂行の障害も増えるだけだ。決行までの日数が長いほど、秘密も外部に漏れやすくなる。
 でも、どうして俺が? 当然の疑問が湧き上がったものの、訊けなかった。マッシモが質問に答えるほど、自分の逃げ道がふさがれてゆくような気がする。
 古葉は黙った。
「当然の反応だな」
 マッシモが小さく笑う。
「短絡的に『Siはい(スィー)』といわれるよりは信用できる。君の返事を聞く前に、まず私の動機を説明するよ。私が以前持っていた会社と、それを継いだ息子のことは知っているだろ?」
レンツィRenzieジョルジアンニGiorgianni(ReG)海上保険とご長男のことですか」
 口を開くか迷ったあと、古葉は小さな声で答えた。
「ああ。息子のその後も知っているね?」
「残念ながらお亡くなりになったと」
「気を遣わなくていい。自殺したんだ。だが、実際は陥れられ、破滅させられたんだ。経営権も財産も失い自殺に追い込まれた。なぶり殺されたも同然だよ」
 マッシモが目配せすると、秘書のクラエスがファイルを運んできた。
「アメリカの上院議員数名とRILIの間で交わされた密約書のコピーの一部だ。君が協力を約束してくれたら、もちろん全文を見せる」
 RILIとはローゼンバーグRosenbergインターナショナルInternationalライフLifeインシュランスInsurance。ユダヤ系資本の総合保険会社で、マッシモの長男が経営責任者をしていたレンツィ・エ・ジョルジアンニ海上保険の経営状態が悪化すると大規模な資金援助をし、のちに合併吸収した。
「私が育て息子が継いだ会社は、意図的に経営たんに追い込まれ、奪われたんだ。アメリカとその同盟国たち、そしてRILIの策略によってね」
 古葉は渡されたファイルを開いた。
 読み進めると、そこには確かにマッシモの言葉を裏付ける証拠が書かれていた。現役のアメリカ上院議員二名の署名も入っている。ただ、このファイル自体が精巧な模造品である可能性もある。
 古葉の疑う目を気にせず、マッシモが話を進める。
「湾岸戦争時に『砂漠の嵐作戦Operation Desert Storm』の裏で行われていた別の作戦のことを知っているかい?」
「うわさ程度ですが」
 ジョージ・H・W・ブッシュ政権下では、湾岸戦争開戦に向けた軍事面での作戦をひそかに進めるのと同時に、その機に乗じた経済面での秘密作戦も進められていた。日本の証券業界でもちょっとした話題となり、うわさは古葉の耳にも入ってきた。
「君も聞いてはいたが、すぐに根拠のない話として話題に上ることもなくなり、いつの間にか忘れていた。そんなところだろう? だが、実際に『ジュネーブの薔薇Rose of Geneva』という作戦が行われていたんだよ。誰かがかねもうけのために作り出したうそやブラフじゃない。ファイルの後半を見てくれ」
 いわれるままページをめくった。
「そう、そこ。SISMI(Servizio per le Informazioni e la Sicurezza Militare:イタリア情報・軍事保安庁)の書庫から持ち出した文章だ。大金と人命を引き換えにしてね」
 作戦の概要が書かれていた。
 マッシモがその内容を強調するように言葉にしてゆく。
「反アメリカ的行動が顕著なヨーロッパ、アジアの各企業に対し、アメリカ政府とその友好機関は、中東湾岸での戦争リスクと開戦時期に関して、あえて事実と反した楽観的な情報を流し続けた。CIAだけでなく各国の情報機関も総動員してね。十分ミスリードしたところで情報に反して突然開戦。同時にアメリカ資本の金融機関を通じて、標的とした企業へのメインバンクからの融資締めつけや打ち切りを要請した。そして企業価値も資金力も底をついたところで、アメリカの企業グループにより一気に買収する。ここまで読み、聞いてみて、君はその資料を偽物で、私の話をねつぞうだと思うかい?」
「まだわかりません。でも、あなたがここまでして私をだます理由も見つかりません」
 古葉の指先がまた震え出した。ひざも震えている。マッシモの視線がその小刻みな揺れに向けられる。だが、震えを止めたくても止まらない。
 これはよくある陰謀論的なものとは違う。今、古葉が手にしている資料を読んだだけで嫌でもわかる。ここに書かれた『反アメリカ的』とは共産主義やイスラムではなく、資本主義陣営の中にいながらもアメリカの方針・政策に盾つく企業という意味だ。そして並んでいるサインは、政治経済に詳しい人間なら誰でも知っている、アメリカ連邦議会議員、閣僚、ヨーロッパの金融機関経営幹部のものだ。
 うそじゃない。だから怖かった。
「私と息子は、何ひとつ汚いことはしていない。なのに、アメリカ政府は自分たちに従わないというだけで、我々を悪と認定した。そして息子は、ブッシュ政権とイタリア政府内の親米派により仕掛けられた、恥知らずで汚い戦争の犠牲者となった。私は残り短い人生のすべてを使って、そのふくしゆうを果たす。何があっても。君がこの部屋に入ってきたとき私から感じたのは、その決意だよ」
「香港の銀行から運び出されるというフロッピーディスクと書類には、あなたのご子息を自殺に追い込んだ人間たちを今の地位から追い落とし、破滅させられるものが記録されている──そういうことでしょうか」
「ああ。アメリカ上下院の現役と元議員、政府の元官僚。イタリア代議院(下院)の現役議員、政府官僚。今は現役をリタイアしている者も含め、やつらの過去現在の違法行為のすべてを世界的に公表し、これまでの栄誉も人生も叩きつぶす」
 そんな無謀な提案を、なぜこんな素人にするのだろう? よほど悪趣味な人間か、頭がおかしくなっているかのどちらかにしか思えなかった。
「心中はお察しします。でも、あまりに壮大で、何をどうやっていいのか見当もつきません」
 早く切り上げたくて、ここから出たくて、言葉を並べた。この老人の話を聞いてしまったことへの後悔だけが頭を巡っている。
「君は私の作ったマニュアルを実行していくだけだ。この計画に高い技術やスタンドプレーは必要ない。成功のかぎは、どう上手うまくやるかじゃない、誰がどれだけ忠実に遂行するかなんだ。ただし、私が心血を注いだこの計画を託すのは君ひとり。行動を共にする他のチームメンバーも、詳細な内容については知らない。本当に信用でき、実行力を持つ人間を探し続け、ようやく君を見つけた。もちろん成功報酬もある。六億円相当の現金。フロッピーと書類に記録されている、日本人政治家と財界人の違法な資産運用の証拠も渡そう。それを使って、日本国内での名誉の回復を求めるのも、相応の対価を要求するのも君の自由だ」
「でも、やはり今回の件は──」
 古葉の言葉をマッシモが断ち切った。
「駄目だよ。考える時間は与えるが、君の選択肢に『No拒否(ノ)』はない。『Si承諾』でなければ『Morte(モルテ)』だ。あの少し開いたドアの向こうに誰が控えているか、君も気づいているだろう。連中は私の護衛であると同時に、れ仕事(違法行為)も担っている。待機させているのは、私が本気だという証拠だよ」
きようですね」
 怯えながらも思わずいった。
「どこが対等の立場での話し合いですか。わなめたも同然じゃないですか」
「うん、いいね。その強気な言葉」
 マッシモがグラスを手にまた笑った。
「そう、嵌めたんだ。どうしても君が必要だったから。罵っても、憎んでもいい。だが、必ず計画には加わってもらう。私の出身はパルマということになっているが、本当はシラクサの生まれだ。シチリア島の男なんだよ。やるといったことは、何があってもやり遂げる。どんな手を使っても」
 古葉はにらんだ。
「視線で訴えるだけでなく、いいたいことは言葉にしてくれ。罵られたとしても、それで殺しはしない」
 マッシモがあおる。
「生まれた土地で、人の行動や思考が確定するわけじゃない。あなたの勝手な思い込みに巻き込まれたくありません。それにここは日本だ。簡単にしたり殺したりはできません」
「できるよ。君だってよく知っているだろう。陥れられた本人なんだから。金と権力を持つ人間が、しかるべき相手と話をつければ、大抵のことはできる。君の死を自殺に見せかけることもね」
 痛みにも似た自分への哀れみと、どうしようもない怒りが湧いてきた。
「こんな非力な男にやらせなくてもいいでしょう」
「弱い者だからこそ、死に物狂いで知恵を出し、時には途方もない力を見せる。考えてみてくれ。君はある意味で私と似ている。高い先見性と計画性、決断力を持ち、しかも復讐心に裏打ちされた強い動機も兼ね備えている。ぼんやり今を生きているようで、自分を陥れた政治家や官僚に対する怒りも憤りも完全には消えていない。君は確かに一度失敗した。でも、その失敗は、君をより強く慎重に、そしてこうかつにしているはずだ」
 手にしているグラスを投げつけたかった。しかし、この手を振り上げた瞬間、ベッドルームから飛び出してきた警護担当者たちに床に押し潰されるだろう。
「来年の香港返還がなければ、フロッピーと書類が移送されること自体なかった。しかも、今回の移送が完了してしまえば、もう決して別の場所に動かされることもなくなる。最初で最後なんだ」
「帰ります」古葉は立ち上がった。「考える時間はいただけるんですよね」
「ああ、十分考えてくれ。ただし、今日ここで聞いたことを少しでも漏らせば、どんな理由があろうと君に明日は来ない」
 怯えながらももう一度睨んだ。それが今できるせいいっぱいの抵抗だった。

(つづく)

作品紹介



アンダードッグス
著者 長浦 京
発売日:2023年09月22日

世界に、牙を剥け。超弩級ミステリー巨編!
1996年、元官僚で証券マンの古葉慶太は顧客の大富豪・マッシモにある計画を強要される。
それは中国返還直前の香港から運び出される機密情報を奪取するというものだった。
かつて政争に巻き込まれ失脚した古葉は、自分を陥れた者たちへの復讐の機会と考え現地へ飛ぶ。
待っていたのは4人のチームメンバーと、計画を狙う米露英中の諜報機関だった。
策謀と銃弾飛び交う香港で“負け犬たち”は世界に牙を剥く!
直木賞候補作にもなった究極のエンタテインメント小説。

詳細ページ:https://www.kadokawa.co.jp/product/322301000216/
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